ジークムント・フロイトの名言・格言

フロイトの名言・格言

フロイトの名言には「力は、あなたの弱さの中から生まれるのです」、「心とは氷山のようなものである。氷山は、その大きさの7分の1を海面の上に出して漂う」などがあります。
精神分析学の創始者として知られるジークムント・フロイト(1856~1939)の名言をご紹介します。

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ジークムント・フロイトの生涯

氏名 ジークムント・フロイト
英語名 Sigmund Freud
生年月日 1856年5月6日
没年月日 1939年9月23日
享年 83(歳)
国籍 オーストリア
出生地 オーストリア帝国モラヴィア辺境伯国フライベルク
名言 愛されていると確信している人間はどれほど大胆になれることか。

1856年5月6日、オーストリア帝国のモラヴィア辺境伯領フライベルクのユダヤ人家庭に生まれる。

父は毛織物商人であり、母親はユダヤ法学者レブ・ナータン・ハレーヴィの子孫と伝えられている。一家はフロイトが3歳のときにウィーンへ転居。

フロイトは10歳のときに中等教育機関に入学。

17歳でウィーン大学に入学し、物理などを学んだ後、医学部で両生類や魚類の脊髄神経細胞を研究した。また、脳性麻痺や失語症の臨床研究も行なっている。

フロイトは終生、脳と心の働きの連関を科学的に解き明かすことを研究の主旨とし、目標としている。

25歳でウィーン大学を卒業。翌年に後の妻と出逢う。28歳のころには局所麻酔剤としてのコカイン研究に情熱を傾けていた。

29歳のときにフロイトに留学奨学金が与えられ、パリの神経学者のもとで催眠によるヒステリー症状の治療法を学ぶ。翌年、帰国したフロイトは『男性のヒステリーについて』という論文を発表。

30歳のときに催眠によるヒステリーの治療法を開業医として実践に移す。治療経験を重ね、自由連想法にたどりつく。これにより患者はすべてを思い出すことができると考え、この治療法を精神分析と名づける。

1895年、39歳のときにヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論と精神病理を発表。今日でいう心的外傷(トラウマ)やPTSDの概念に通じるものであった。

やがて彼の関心は心的外傷から「無意識」そのものへと移り、精神分析は無意識に関する科学として方向付けられた。

しかし、ウィーン学界や社会から彼の理論に対してはげしい反感や非難が集中した。

1902年に「心理学水曜会」という集会が開かれるようになる。しだいに国内外から参加者が増え、1908年には「ウィーン精神分析協会」と名乗るようになる。

フロイトはスイスから参加していたカール・グスタフ・ユング(1875~1961)に特別の期待をかけ、ユングも初めはフロイトを敬愛した。

1910年に「国際精神分析学会」を創立。フロイトはユングを初代会長に就任させたが、無意識の範囲など学問的な見解の違いから両者はしだいに距離を置くようになる。1914年にユングは国際精神分析学会を脱退。

1932年になるとナチスによるユダヤ人迫害が激しくなる。また、ドイツでは精神分析が一掃される。

1938年3月、ヒトラー率いるナチス・ドイツがオーストリアに侵攻。フロイト宅にもゲシュタポが侵入。フロイトは6月にウィーンを発ち、ロンドンへ移った。

1939年9月23日、末期ガンに冒されたジークムント・フロイトはロンドンで83年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


ジークムント・フロイトの名言・格言集


ジークムント・フロイトの名言(1)


ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。
なぜなら自由には責任が伴うからである。
みんな責任を負うことを恐れているのだ。

- ジークムント・フロイト -


人生は個人にとっても人類にとっても、等しく耐えがたいものである。

- ジークムント・フロイト -


自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。

- ジークムント・フロイト -


忘れるのは、忘れたいからである。

- ジークムント・フロイト -


母親から特別に気に入られ育った者は、一生征服者の感情を持ち、その感情がしばしば本当の成功を引き起こす原因になる。

- ジークムント・フロイト -


愛されていると確信している人間はどれほど大胆になれることか。

- ジークムント・フロイト -


幸福になる方法は、自分で実験してみなければ分からない。

- ジークムント・フロイト -


愛情をケチってはいけない。
元手は使うことによって取りもどせるものだ。

- ジークムント・フロイト -


宗教はたとえそれが愛の宗教と呼ばれようと、その外にいる人々には過酷で無情なものである。

- ジークムント・フロイト -


生きる意味や価値を考え始めると、我々は気がおかしくなってしまう。
生きる意味など、存在しないのだから。

- ジークムント・フロイト -


子供が遊ぶ動機は、「大人になりたい」である。
この願望は子供を教育する上で重要になる。

- ジークムント・フロイト -


あらゆるものの中心に愛を置き、愛し愛されることに至上の喜びを見出せたとき、幸福は訪れる。

- ジークムント・フロイト -


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【文学家】
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【政治家・指導者】
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【教育家・活動家】
ヘレン・ケラー英語の名言) / 福沢諭吉 / ナイチンゲール英語の名言) / エレノア・ルーズベルト英語の名言) / 津田梅子

【学者・発明家】
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ジークムント・フロイトの本・関連書籍



『精神分析入門(上巻)』(フロイト)
精神病の命名と分類に終始していた伝統的精神医学に対し、自由連想の採用という画期的方法によって症状の隠された意味を探る精神分析を創始して、二十世紀文学にも多大な影響を与えたフロイト。本書は、1915年から17年までウィーン大学で一般向けに行われた講義の記録であり、明快な論旨の進め方、啓蒙を目的とした対話的手法で書かれた最適の入門書である。



『夢と夢解釈』(フロイト)
夢解釈の先駆者であり、精神分析に巨大な足跡をしるしたフロイトはこう語る。「夢の解釈は無意識の知識を得るための王道である」と。夢を心の深層を表すものとし、無意識の欲動の中心を性におくその理論は、夢の分析に画期をなす衝撃的なものであった。本邦初訳の二論文「実現した夢の予告」「民間伝承の中の夢」など八篇の小論集で知るフロイト夢理論の概要。



『自我論集』(フロイト)
「わたし」の意識はわたしが知らずにいる無意識によって規定されている。「意識」には「無意識」を、「理性」には「リビドー」を対置して、デカルト以来のヨーロッパ近代合理主義に疑問符をつきつけたフロイト。「自我」(「わたし」)を「意識」「前意識」「無意識」という構造として理解しようとした初期の論文から、それを巨大な「エス」の一部ととらえつつ「超自我」の概念を採用した後期の論文まで、フロイト「自我論」の思想的変遷を跡づけた。



ジークムント・フロイトの名言・言葉の一覧

No. ジークムント・フロイトの名言一覧
1 ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。なぜなら自由には責任が伴うからである。みんな責任を負うことを恐れているのだ。
2 人生は個人にとっても人類にとっても、等しく耐えがたいものである。
3 自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。
4 忘れるのは、忘れたいからである。
5 母親から特別に気に入られ育った者は、一生征服者の感情を持ち、その感情がしばしば本当の成功を引き起こす原因になる。
6 愛されていると確信している人間はどれほど大胆になれることか。
7 幸福になる方法は、自分で実験してみなければ分からない。
8 愛情をケチってはいけない。元手は使うことによって取りもどせるものだ。
9 宗教はたとえそれが愛の宗教と呼ばれようと、その外にいる人々には過酷で無情なものである。
10 生きる意味や価値を考え始めると、我々は気がおかしくなってしまう。生きる意味など、存在しないのだから。
11 子供が遊ぶ動機は、「大人になりたい」である。この願望は子供を教育する上で重要になる。
12 あらゆるものの中心に愛を置き、愛し愛されることに至上の喜びを見出せたとき、幸福は訪れる。
13 夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である。
14 錯誤行為 — 言い違い、聞き違い、読み違い、書き違いは受ける側の願望を表わしてる。
15 夢の解釈は、無意識の活動を熟知する王道である。
16 恋に落ちているときほど、苦痛に対して無防備であることはない。
17 非常に強い悲しみというのは、時間が経つと薄らぐだろう。しかし、失われた者の代わりというのは、絶対に有り得ない。どんなに心の中にあいた穴を埋めようとしても、また埋められたと思っても、絶対に、それは最初のものの代わりにはなり得ない。
18 自分に完全に正直でいることは、よい修練になる。
19 力は、あなたの弱さの中から生まれるのです。
20 30年に渡って女性心理を研究してきたにもかかわらず解答の出せない問題は「女性が何を求めているか」である。
21 あらゆる生あるものの目指すところは死である。
22 人間は自分のコンプレックスを除去しようとつとめるべきではなく、それと調和を保つようにつとめるべきです。
23 秘密を守り通せる人間はいない。口を堅く閉じれば、今度は指先がしゃべり出す。全身の毛穴から裏切りがにじみ出るのだ。
24 知性の声は小さい。
25 心とは氷山のようなものである。氷山は、その大きさの7分の1を海面の上に出して漂う。
26 「否定と出会う」ことが出発点である。
27 人生の目的に対する疑問点は無限といってよいほどにしばしば提出されてきているが、ついぞ満足できるような答えが与えられたことはない。また、そのような答えはおそらく決して許されないものなのだろう。
28 自分に対してとことん正直になること、それが心身によい影響を与えるのである。
29 インスピレーションが湧かないときはこっちから迎えにいく。
30 最初に言葉で譲歩すれば、その次にはだんだんと事実についても譲歩してしまうものだ。
31 人は不快な記憶を忘れることによって防衛する。
32 ユーモアと言うものは機知や滑稽と同じく何かしら我々の心を開放するものを持つのみならず、何かしら魂を抑揚させるようなものを持っている。
33 宗教は、人間一般の強迫神経症である。
34 エネルギッシュで成功する人間は、欲望という幻想を現実に変えることに成功する人間である。
35 思考とは、行動の予行演習に他ならない。

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上杉謙信の名言・格言

上杉謙信の名言・格言

上杉謙信の名言には「人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり」、「生を必するものは死し、死を必するものは生く」などがあります。
戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から軍神や越後の虎などと称される上杉謙信(1530~1578)の名言をご紹介します。

上杉謙信の生涯

氏名 上杉謙信
生年月日 1530年2月18日
没年月日 1578年4月19日
享年 48(歳)
国籍 日本
出生地 越後国春日山城(現在の新潟県上越市春日山町)
職業 武将、大名
別名 「軍神」「越後の龍」「越後の虎」
名言 生を必するものは死し、死を必するものは生く。

1530年2月18日、越後守護代・長尾為景の四男として生まれる。幼名は虎千代。

虎千代が6歳のときに父・為景は隠居し、兄の長尾晴景が家督を継ぐ。

虎千代は13歳で元服し、長尾景虎と名乗る。

兄・晴景に越後国をまとめる才覚はなく、景虎が14歳のときに越後の豪族が謀反を起こすも景虎が鎮圧。

1548年、兄・晴景は隠退し、景虎は18歳で家督を相続。

1550年、主君の守護・上杉定実が後継者を遺さずに死去。将軍・足利義輝は景虎の越後国主の地位を認める。

景虎22歳のとき、相模国の北条氏康に上野国を攻められた関東管領・上杉憲政を迎え入れる。景虎は上野沼田城を攻める北条軍を撃退。

同年、武田信玄によって領国を追われた信濃守護・小笠原長時らが景虎に救いを求める。景虎は信濃国に出陣し、武田領内へ侵攻。武田方の諸城を攻め落とす。信玄は決戦を避けたため、景虎は深追いをせず、越後へ引き上げた(第一次川中島の戦い)。

その後も信玄と北信濃の支配権を巡る川中島の戦いは続き、計5回に及ぶ。

1560年、30歳の景虎は北条氏康を討伐するため関東へ向けて出陣。翌年に鎌倉を落とす。さらに10万余の軍で小田原城を包囲。しかし、氏康と同盟を結ぶ武田信玄が川中島で軍事行動を起こす気配を見せ、景虎の背後を牽制。景虎は兵を引いた。

1561年、景虎は山内上杉家の家督と関東管領職を相続、名を上杉政虎と改める。その後、将軍・足利義輝の一字を賜り、輝虎と改めた。

1568年、北条氏康は甲相駿三国同盟を破って駿河国へ侵攻した武田信玄と断交。翌年、氏康は長年敵対してきた輝虎に和を請い、輝虎は氏康と同盟を結ぶ。

1570年、40歳の輝虎は、北条氏康の七男・三郎を養子として迎え入れる。輝虎は法号・不識庵謙信を称した。

1572年、北条氏康の後を継いだ北条氏政は上杉との同盟を破棄し、武田信玄と和睦。謙信は北条氏と敵対する。

同年、武田信玄と交戦状態に入った織田信長から同盟の申し出を受け、謙信は信長と同盟を締結。

1573年、宿敵・武田信玄が病没。謙信は越中国へ出陣し、越中の過半を制圧した。

1576年、46歳の上杉謙信は信長との戦いで苦境に立たされていた本願寺顕如と和睦し、信長との同盟は破綻。

1577年、織田信長は謙信との戦いに踏み切る。柴田勝家を総大将とする3万余の大軍は加賀国へ入って一向一揆勢と交戦しつつ進軍。しかし、羽柴秀吉が総大将の勝家と意見が合わずに自軍を引き上げる。

勝家率いる織田軍は手取川を渡り、水島に陣を張ると、上杉謙信は数万の大軍を率いて一気に南下。形勢不利を悟った勝家は撤退を開始するも、上杉軍は手取川の渡河に手間取る織田軍を追撃して撃破した。

1578年4月15日、上杉謙信は次なる遠征の準備中に春日山城内の厠で倒れる。同年4月19日に謙信は急死。48年の生涯を閉じた。

謙信は、後継を発表していなかったため、内乱によって上杉家の勢力は大きく衰えることとなる。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


上杉謙信の名言・格言集


上杉謙信の名言


家訓16ヶ条「宝在心」
一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を教う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育つる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇みある時は悔やむことなし
一、心賤しからざる時は願い好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず

- 上杉謙信 -


大事なのは義理の二字である。
死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。

- 上杉謙信 -


信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。
自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。
さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。

- 上杉謙信 -


人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。
軽率なことは言ってはならぬ。

- 上杉謙信 -


武士は馬を我が足と思い、弓鎗を左右の手と定め、敵を撃つ刃は己の心と考え、常に武道をたしなむ事が、本意の核心である。

- 上杉謙信 -


昔時の名将は、暑日に扇をとらず、寒日に衣をかさねず、雨の日に笠を用いずして、士卒への礼とす。

- 上杉謙信 -


戦場の働きは武士として当然のことだ。
戦場の働きばかりで知行を多く与え、人の長としてはならない。

- 上杉謙信 -


人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。

- 上杉謙信 -


我は兵を以て戦ひを決せん。
塩を以て敵を屈せしむる事をせじ。

- 上杉謙信 -


生を必するものは死し、死を必するものは生く。

- 上杉謙信 -


我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。
もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし。

- 上杉謙信 -


極楽も
地獄も先は
有明の
月の心に
懸かる雲なし

※ 辞世の句

- 上杉謙信 -


四十九年
一睡の夢
一期の栄華
一盃の酒

※ 辞世の句

- 上杉謙信 -


おわりです。

下に「偉人の一覧」、「人気コンテンツ」、「上杉謙信の本・関連書籍」がございます。

癒しのガイド(見習い)



上杉謙信の本・関連書籍



『上杉謙信』(吉川英治)
謙信を語るとき、好敵手・信玄を無視することはできない。精捍孤高の武将謙信と千軍万馬の手だれの武将信玄。川中島の決戦で戦国最強の甲軍と龍攘虎搏の激闘を演じ得る越軍も、いささかもこれに劣るものではない。その統率者・謙信と彼の行動半径は? 英雄の心事は英雄のみが知る。



『上杉謙信 – 信長も畏怖した戦国最強の義将』(相川司)
乱世を疾風の如く駆け抜けた信玄最大の好敵手。生涯「義」を貫いた越後の龍。



『上杉謙信の夢と野望』(乃至政彦)
「軍神」と呼ばれ、「生涯不犯」を貫いた上杉謙信。毘沙門天を信仰し、助けを求められれば東奔西走し、敵陣にさえ直接馬を乗り入れる「義」を重んじる姿は、戦国最強の義将として定着している。だが、本来の謙信は、父・為景が朝廷や幕府権力を利用する武略を見て育ち、その政治手法を引き継いだ。謙信が目指したのは自らが上に立つことではなく「室町幕府再興」であった。今までの通説を、最新資料をもとに論考を重ね、新たな結論から導いた上杉謙信の実像がここにある。


テーマ別の名言集と偉人の一覧

「人生」「癒し」などのテーマ別の名言集やおすすめ偉人の名言一覧が表示されます。

偉人の一覧(全169名)

【文学家】
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【芸術・ファッション・芸能・音楽家】
岡本太郎 / ココ・シャネル英語の名言) / オードリー・ヘップバーン英語の名言) / ウォルト・ディズニー英語の名言) / 美輪明宏 / 矢沢永吉 / マリリン・モンロー英語の名言) / チャップリン英語の名言) / 手塚治虫 / ジョン・レノン英語の名言) / パブロ・ピカソ英語の名言) / ベートーヴェン英語の名言) / ゴッホ英語の名言) / レオナルド・ダ・ヴィンチ英語の名言) / ボブ・マーリー英語の名言) / オプラ・ウィンフリー英語の名言) / マイケル・ジャクソン英語の名言) / ウディ・アレン英語の名言) / ボブ・ディラン英語の名言) / アンディ・ウォーホル英語の名言) / ミケランジェロ英語の名言) / モーツァルト英語の名言) / ジェームズ・ディーン英語の名言) / ブルース・リー英語の名言) / ロダン英語の名言) / マイルス・デイヴィス英語の名言) / スティーヴン・スピルバーグ英語の名言) / エルヴィス・プレスリー英語の名言) / フランク・シナトラ英語の名言

【政治家・指導者】
ガンジー英語の名言) / キング牧師英語の名言) / リンカーン英語の名言) / チャーチル英語の名言) / ベンジャミン・フランクリン英語の名言) / ジョン・F・ケネディ英語の名言) / ネルソン・マンデラ英語の名言) / マーガレット・サッチャー英語の名言) / マルコムX英語の名言) / ジョージ・ワシントン英語の名言) / シャルル・ド・ゴール英語の名言) / 田中角栄 / 上杉鷹山 / チェ・ゲバラ英語の名言) / セオドア・ルーズベルト英語の名言

【教育家・活動家】
ヘレン・ケラー英語の名言) / 福沢諭吉 / ナイチンゲール英語の名言) / エレノア・ルーズベルト英語の名言) / 津田梅子

【学者・発明家】
アインシュタイン英語の名言) / 斎藤茂太 / ピーター・ドラッカー英語の名言) / エジソン英語の名言) / ソクラテス英語の名言) / ニーチェ英語の名言) / ダーウィン英語の名言) / 孔子英語の名言) / ルソー英語の名言) / ガリレオ・ガリレイ英語の名言) / ニュートン英語の名言) / アリストテレス英語の名言) / プラトン英語の名言) / エマーソン英語の名言) / 野口英世 / ジークムント・フロイト英語の名言) / パスカル英語の名言) / 老子 / 荘子 / カント英語の名言) / モンテスキュー英語の名言) / 湯川秀樹 / サルトル英語の名言) / エーリッヒ・フロム英語の名言) / デカルト英語の名言) / ジョン・ロック英語の名言) / ショーペンハウアー英語の名言) / ヴォルテール英語の名言) / モンテーニュ英語の名言) / マキャベリ英語の名言) / キルケゴール英語の名言) / ニコラ・テスラ英語の名言) / 牧野富太郎

【宗教家】
マザー・テレサ英語の名言) / マルティン・ルター英語の名言

【ビジネスパーソン】
松下幸之助 / スティーブ・ジョブズ英語の名言) / デール・カーネギー英語の名言) / 本田宗一郎 / ヘンリー・フォード英語の名言) / 渋沢栄一 / ビル・ゲイツ英語の名言) / アンドリュー・カーネギー英語の名言

【スポーツ・格闘技選手】
イチロー / 松岡修造 / 本田圭佑 / アントニオ猪木 / マイケル・ジョーダン英語の名言) / 野村克也 / 落合博満 / 長嶋茂雄 / 王貞治 / モハメド・アリ英語の名言) / ペレ英語の名言) / コービー・ブライアント英語の名言) / リオネル・メッシ英語の名言

【幕末・明治維新】
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【武将・軍人】
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【その他】
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上杉謙信の名言・言葉の一覧

No. 上杉謙信の名言一覧
1 大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。
2 信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。
3 人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならぬ。
4 武士は馬を我が足と思い、弓鎗を左右の手と定め、敵を撃つ刃は己の心と考え、常に武道をたしなむ事が、本意の核心である。
5 昔時の名将は、暑日に扇をとらず、寒日に衣をかさねず、雨の日に笠を用いずして、士卒への礼とす。
6 戦場の働きは武士として当然のことだ。戦場の働きばかりで知行を多く与え、人の長としてはならない。
7 人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。
8 我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ。
9 生を必するものは死し、死を必するものは生く。
10 我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし。
11 極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし ※ 辞世の句
12 四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒 ※ 辞世の句

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英語の名言・格言【ボブ・ディラン】

ボブ・ディランの英語の名言

 
ボブ・ディランの英語の名言には「Boy, go and follow your heart. And you’ll be fine at the end of the line.(あなたの心に従ってゆきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく)」などがあります。

グラミー賞やアカデミー賞など数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしているボブ・ディラン(1941~)の英語の名言をご紹介します。

「ボブ・ディランの日本語の名言」へ
 

ボブ・ディランの経歴

 
1941年5月24日、アメリカ中西部の北部にあるミネソタ州ダルースに生まれる。出生名はロバート・アレン・ジマーマン。後に本名もボブ・ディランに改名。

ボブ・ディランの祖父母は現在のウクライナやリトアニアからの移民で、両親はアシュケナジム(東欧系ユダヤ人)の一員であった。

ボブ・ディランは幼少時に家にあったピアノを独習。ラジオを聴き、レコード店に入り浸り、ギターやピアノを弾いて育つ。

高校時代はロカビリーの全盛期。ディランもエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組む。

1959年、18歳のボブ・ディランは奨学金を得てミネソタ大学に入学。半年後には授業に出席しなくなり、ミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始める。この時にボブ・ディランと名乗る。

「ボブ」は自身のロバートの愛称ボビーから、「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマス(1914~1953)にちなむ。

1961年、20歳のボブ・ディランは大学を中退。ニューヨークに移動し、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りを始める。

やがてコロムビア・レコードにその才能を見出され、1962年3月にアルバム『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』でレコードデビュー。

1963年5月、セカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』をリリース。7月、ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」がビルボード2位のヒットを記録。

1963年8月28日、キング牧師らによる人種差別撤廃を求めるワシントン大行進でボブ・ディランが演奏。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいてディランは次第に「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになっていった。

1964年1月、アルバム『時代は変る(The Times They Are a-Changin)』リリース。しかし、過激化する運動や世間が抱いている大げさな自分のイメージに違和感を持ち、次第にスタイルを変化させ、次のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』(1964年)では、プロテストソングと呼べる曲はなくなっている。

その後、ビートルズやローリング・ストーンズなどのイギリスのミュージシャンと交流。1965年頃のジョン・レノンはボブ・ディランに傾倒し、作風から精神面、スタイルに至るまでディランに触発された。

一方、ディラン自身もこれらブリティッシュ・インヴェイジョンに刺激を受け、『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』などエレクトリック楽器を取り入れた作品を矢継ぎ早に発表。従来のフォーク・ソング愛好者、とくに反体制志向のプロテストソングを好むファンなどはこの変化を「フォークに対する裏切り」ととらえ、賛否両論を巻き起こした。

1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきたボブ・ディラン。現在も「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍。

ボブ・ディランはグラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たした。

2012年にはアメリカの文民最高位の勲章である大統領自由勲章を受章。

2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を受賞。

2016年、歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


ボブ・ディラン 英語の名言・格言集


ボブ・ディランの名言メニュー

ボブ・ディランの英語の名言

【関連ページ】
ボブ・ディランの名言・格言(日本語の名言)

ボブ・ディランの英語の名言


1.英語の名言・格言

 

Colleges are like old-age homes, except for the fact that more people die in colleges.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
大学なんて老人ホームみたいなもんだ。ただ、大学で死んでしまう人のほうが多いけどね。


2.英語の名言・格言

 

You do what you must do and you do it well.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
やらなきゃいけないことをやるんだ。そうすればうまくいくさ。


3.英語の名言・格言

 

Miles Davis has been booed. Hank Williams was booed. Stravinsky was booed. You’re nobody if you don’t get booed sometime.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
マイルス・デイヴィスはブーイングを浴びてきた。ハンク・ウィリアムズもブーイングを浴びた。ストラヴィンスキーもそうだ。君もたまにブーイングを浴びないと何者でもなくなる。


4.英語の名言・格言

 

I ain’t looking for you to feel like me, see like me, or be like me.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない。


5.英語の名言・格言

 

Boy, go and follow your heart. And you’ll be fine at the end of the line.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
あなたの心に従ってゆきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく。


6.英語の名言・格言

 

No one is free, even the birds are chained to the sky.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている。


7.英語の名言・格言

 

A hero is someone who understands the responsibility that comes with his freedom.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
ヒーローとは、自分の自由に伴う責任を理解している人のことだ。


8.英語の名言・格言

 

I define nothing. Not beauty, not patriotism. I take each thing as it is, without prior rules about what it should be.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
僕は何も定義しない。美も愛国心も。僕はそれぞれをありのままで受け止める。こうあるべきだという既存のルールを無視して。


9.英語の名言・格言

 

He not busy being born is busy dying.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい。


10.英語の名言・格言

 

You don’t need a weatherman to know which way the wind blows.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
風向きを知るのに天気予報官はいらない。


11.英語の名言・格言

 

The future to me is already a thing of the past.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
僕にとって未来とは、既に過去のことなんだ。


12.英語の名言・格言

 

Ah, but I was so much older then, I’m younger than that now.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
あのころ自分はずいぶん年をとっていた。今はもっと若い。


13.英語の名言・格言

 

All I really want to do is, baby, be friends with you.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
僕が本当にしたいことは、君と友達になることなんだ。


14.英語の名言・格言

 

You can’t be wise and in love at the same time.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
恋をしながら賢くなんてなれやしない。


15.英語の名言・格言

 

Behind every beautiful thing there’s been some kind of pain.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
すべての美しいものの陰には、何らかの痛みがある。


16.英語の名言・格言

 

A man is a success if he gets up in the morning and gets to bed at night, and in between he does what he wants to do.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ。


17.英語の名言・格言

 

All the truth in the world adds up to one big lie.

 

- Bob Dylan (ボブ・ディラン) -

 
世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる。


おわりです。

下に「偉人の一覧」、「人気コンテンツ」、「ボブ・ディランの本・関連書籍」がございます。

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ボブ・ディランの本・関連書籍

 



『ボブ・ディラン自伝』(ボブ・ディラン)
伝説のシンガー、ボブ・ディランの半生が、今、自らの手によって明かされる。この自叙伝はこれまで謎に包まれていた彼の私生活やその折々の彼の心情が赤裸々に吐露されている。



『はじまりの日』(ボブ・ディラン)
名曲「フォーエバー・ヤング」の絵本。アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードによる歌える日本語訳。



『ボブ・ディラン – ロックの精霊』(湯浅 学)
ディランの歌は深読みを誘う。聴けば聴くほど憶測をよぶ。意味を問えば問うほど意味が逃げていく。謎多き現代の吟遊詩人。数々の名曲で人びとを魅了しながらも、つねに人びとの理解を超えていく。その人生の足跡と作品の軌跡をたどりながら、幻惑するトリックスターの核心に迫る。


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【ビジネスパーソン】
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【スポーツ・格闘技選手】
イチロー / 松岡修造 / 本田圭佑 / アントニオ猪木 / マイケル・ジョーダン英語の名言) / 野村克也 / 落合博満 / 長嶋茂雄 / 王貞治 / モハメド・アリ英語の名言) / ペレ英語の名言) / コービー・ブライアント英語の名言) / リオネル・メッシ英語の名言

【幕末・明治維新】
坂本龍馬 / 吉田松陰 / 高杉晋作 / 勝海舟 / 西郷隆盛 / 大久保利通 / 島津斉彬 / 岩崎弥太郎 / 伊藤博文 / 山岡鉄舟

【武将・軍人】
織田信長 / 武田信玄 / 徳川家康 / 豊臣秀吉 / ナポレオン英語の名言) / 宮本武蔵 / ユリウス・カエサル英語の名言) / 上杉謙信 / 伊達政宗 / 諸葛孔明 / 明智光秀 / 山本五十六

【その他】
アンネ・フランク英語の名言) / 中村天風 / 升田幸三 / 羽生善治 / ジョセフ・マーフィー / ダイアナ妃英語の名言) / マリー・アントワネット英語の名言) / ニール・アームストロング英語の名言

 


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ボブ・ディランの名言・格言

ボブ・ディランの名言・格言

ボブ・ディランの名言には「自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている」、「泳ぎ出したほうがいいよ。そうしないと石のように沈んでしまう」などがあります。
グラミー賞やアカデミー賞など数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしているボブ・ディラン(1941~)の名言をご紹介します。

「ボブ・ディランの英語の名言」へ

ボブ・ディランの経歴

氏名 ボブ・ディラン
英語名 Bob Dylan
生年月日 1941年5月24日
国籍 アメリカ
出生地 ミネソタ州ダルース
職業 シンガーソングライター
名言 自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている。

1941年5月24日、アメリカ中西部の北部にあるミネソタ州ダルースに生まれる。出生名はロバート・アレン・ジマーマン。後に本名もボブ・ディランに改名。

ボブ・ディランの祖父母は現在のウクライナやリトアニアからの移民で、両親はアシュケナジム(東欧系ユダヤ人)の一員であった。

ボブ・ディランは幼少時に家にあったピアノを独習。ラジオを聴き、レコード店に入り浸り、ギターやピアノを弾いて育つ。

高校時代はロカビリーの全盛期。ディランもエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組む。

1959年、18歳のボブ・ディランは奨学金を得てミネソタ大学に入学。半年後には授業に出席しなくなり、ミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始める。この時にボブ・ディランと名乗る。

「ボブ」は自身のロバートの愛称ボビーから、「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマス(1914~1953)にちなむ。

1961年、20歳のボブ・ディランは大学を中退。ニューヨークに移動し、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りを始める。

やがてコロムビア・レコードにその才能を見出され、1962年3月にアルバム『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』でレコードデビュー。

1963年5月、セカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』をリリース。7月、ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」がビルボード2位のヒットを記録。

1963年8月28日、キング牧師らによる人種差別撤廃を求めるワシントン大行進でボブ・ディランが演奏。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいてディランは次第に「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになっていった。

1964年1月、アルバム『時代は変る(The Times They Are a-Changin)』リリース。しかし、過激化する運動や世間が抱いている大げさな自分のイメージに違和感を持ち、次第にスタイルを変化させ、次のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』(1964年)では、プロテストソングと呼べる曲はなくなっている。

その後、ビートルズやローリング・ストーンズなどのイギリスのミュージシャンと交流。1965年頃のジョン・レノンはボブ・ディランに傾倒し、作風から精神面、スタイルに至るまでディランに触発された。

一方、ディラン自身もこれらブリティッシュ・インヴェイジョンに刺激を受け、『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』などエレクトリック楽器を取り入れた作品を矢継ぎ早に発表。従来のフォーク・ソング愛好者、とくに反体制志向のプロテストソングを好むファンなどはこの変化を「フォークに対する裏切り」ととらえ、賛否両論を巻き起こした。

1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきたボブ・ディラン。現在も「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍。

ボブ・ディランはグラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たした。

2012年にはアメリカの文民最高位の勲章である大統領自由勲章を受章。

2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を受賞。

2016年、歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


ボブ・ディランの名言・格言集


ボブ・ディランの名言(1)


自由なものなど何もない。
鳥さえも空につながれている。

- ボブ・ディラン -


僕は何も定義しない。
美も愛国心も。
僕はそれぞれをありのままで受け止める。
こうあるべきだという既存のルールを無視して。

- ボブ・ディラン -


君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない。

- ボブ・ディラン -


苦しむ側につく者が政治的人間とは限らない。

- ボブ・ディラン -


僕が本当にしたいことは、君と友達になることなんだ。

- ボブ・ディラン -


やらなきゃいけないことをやるんだ。
そうすればうまくいくさ。

- ボブ・ディラン -


風向きを知るのに天気予報官はいらない。

- ボブ・ディラン -


どんなレッテルを貼られてもかまわない。
歌うためなら。

- ボブ・ディラン -


言葉はいろんな意味を持ち、10年後には違う意味になる。

- ボブ・ディラン -


すべての美しいものの陰には、何らかの痛みがある。

- ボブ・ディラン -


ブーイングは素敵だ。
逆に、やさしさが人を殺す場合がある。

- ボブ・ディラン -


世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる。

- ボブ・ディラン -


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【文学家】
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【芸術・ファッション・芸能・音楽家】
岡本太郎 / ココ・シャネル英語の名言) / オードリー・ヘップバーン英語の名言) / ウォルト・ディズニー英語の名言) / 美輪明宏 / 矢沢永吉 / マリリン・モンロー英語の名言) / チャップリン英語の名言) / 手塚治虫 / ジョン・レノン英語の名言) / パブロ・ピカソ英語の名言) / ベートーヴェン英語の名言) / ゴッホ英語の名言) / レオナルド・ダ・ヴィンチ英語の名言) / ボブ・マーリー英語の名言) / オプラ・ウィンフリー英語の名言) / マイケル・ジャクソン英語の名言) / ウディ・アレン英語の名言) / ボブ・ディラン英語の名言) / アンディ・ウォーホル英語の名言) / ミケランジェロ英語の名言) / モーツァルト英語の名言) / ジェームズ・ディーン英語の名言) / ブルース・リー英語の名言) / ロダン英語の名言) / マイルス・デイヴィス英語の名言) / スティーヴン・スピルバーグ英語の名言) / エルヴィス・プレスリー英語の名言) / フランク・シナトラ英語の名言

【政治家・指導者】
ガンジー英語の名言) / キング牧師英語の名言) / リンカーン英語の名言) / チャーチル英語の名言) / ベンジャミン・フランクリン英語の名言) / ジョン・F・ケネディ英語の名言) / ネルソン・マンデラ英語の名言) / マーガレット・サッチャー英語の名言) / マルコムX英語の名言) / ジョージ・ワシントン英語の名言) / シャルル・ド・ゴール英語の名言) / 田中角栄 / 上杉鷹山 / チェ・ゲバラ英語の名言) / セオドア・ルーズベルト英語の名言

【教育家・活動家】
ヘレン・ケラー英語の名言) / 福沢諭吉 / ナイチンゲール英語の名言) / エレノア・ルーズベルト英語の名言) / 津田梅子

【学者・発明家】
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【宗教家】
マザー・テレサ英語の名言) / マルティン・ルター英語の名言

【ビジネスパーソン】
松下幸之助 / スティーブ・ジョブズ英語の名言) / デール・カーネギー英語の名言) / 本田宗一郎 / ヘンリー・フォード英語の名言) / 渋沢栄一 / ビル・ゲイツ英語の名言) / アンドリュー・カーネギー英語の名言

【スポーツ・格闘技選手】
イチロー / 松岡修造 / 本田圭佑 / アントニオ猪木 / マイケル・ジョーダン英語の名言) / 野村克也 / 落合博満 / 長嶋茂雄 / 王貞治 / モハメド・アリ英語の名言) / ペレ英語の名言) / コービー・ブライアント英語の名言) / リオネル・メッシ英語の名言

【幕末・明治維新】
坂本龍馬 / 吉田松陰 / 高杉晋作 / 勝海舟 / 西郷隆盛 / 大久保利通 / 島津斉彬 / 岩崎弥太郎 / 伊藤博文 / 山岡鉄舟

【武将・軍人】
織田信長 / 武田信玄 / 徳川家康 / 豊臣秀吉 / ナポレオン英語の名言) / 宮本武蔵 / ユリウス・カエサル英語の名言) / 上杉謙信 / 伊達政宗 / 諸葛孔明 / 明智光秀 / 山本五十六

【その他】
アンネ・フランク英語の名言) / 中村天風 / 升田幸三 / 羽生善治 / ジョセフ・マーフィー / ダイアナ妃英語の名言) / マリー・アントワネット英語の名言) / ニール・アームストロング英語の名言


ボブ・ディランの本・関連書籍



『ボブ・ディラン自伝』(ボブ・ディラン)
伝説のシンガー、ボブ・ディランの半生が、今、自らの手によって明かされる。この自叙伝はこれまで謎に包まれていた彼の私生活やその折々の彼の心情が赤裸々に吐露されている。



『はじまりの日』(ボブ・ディラン)
名曲「フォーエバー・ヤング」の絵本。アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードによる歌える日本語訳。



『ボブ・ディラン – ロックの精霊』(湯浅 学)
ディランの歌は深読みを誘う。聴けば聴くほど憶測をよぶ。意味を問えば問うほど意味が逃げていく。謎多き現代の吟遊詩人。数々の名曲で人びとを魅了しながらも、つねに人びとの理解を超えていく。その人生の足跡と作品の軌跡をたどりながら、幻惑するトリックスターの核心に迫る。



ボブ・ディランの名言・言葉の一覧

No. ボブ・ディランの名言一覧
1 自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている。
2 僕は何も定義しない。美も愛国心も。僕はそれぞれをありのままで受け止める。こうあるべきだという既存のルールを無視して。
3 君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない。
4 苦しむ側につく者が政治的人間とは限らない。
5 僕が本当にしたいことは、君と友達になることなんだ。
6 やらなきゃいけないことをやるんだ。そうすればうまくいくさ。
7 風向きを知るのに天気予報官はいらない。
8 どんなレッテルを貼られてもかまわない。歌うためなら。
9 言葉はいろんな意味を持ち、10年後には違う意味になる。
10 すべての美しいものの陰には、何らかの痛みがある。
11 ブーイングは素敵だ。逆に、やさしさが人を殺す場合がある。
12 世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる。
13 ヒーローとは、自分の自由に伴う責任を理解している人のことだ。
14 大学なんて老人ホームみたいなもんだ。ただ、大学で死んでしまう人のほうが多いけどね。
15 朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ。
16 マイルス・デイヴィスはブーイングを浴びてきた。ハンク・ウィリアムズもブーイングを浴びた。ストラヴィンスキーもそうだ。君もたまにブーイングを浴びないと何者でもなくなる。
17 私が自信を持って出来ることは、自分自身であること。たとえ自分という存在が、どんな人間であろうとも。
18 日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい。
19 泳ぎ出したほうがいいよ。そうしないと石のように沈んでしまう。
20 恋をしながら賢くなんてなれやしない。
21 時間を止めようと人はいろんなことをする。しかし、そんなことはできない。
22 僕にとって未来とは、既に過去のことなんだ。
23 僕にはヘンな癖があるけど、捨てなかった。それがぼくの個性だから。
24 あのころ自分はずいぶん年をとっていた。今はもっと若い。
25 君の立場になれば君が正しい。僕の立場になれば僕が正しい。
26 最低の犯罪者とは、間違ったものを目にし、それが間違っていることに気づいたにもかかわらず、そこから目を背けてしまう人たちだ。
27 僕はよそ者だった。ますます疎外感を感じた。違うのに道づれにしようとするんだ。
28 ある時からぼくに対して歪んだ見方をする人が出てきた。
29 あなたの心に従ってゆきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく。

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野口英世の名言・格言

野口英世の名言・格言

野口英世の名言には「過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ」、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」などがあります。

黄熱病や梅毒の研究で知られ、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がった野口英世(1876~1928)の名言をご紹介します。

野口英世の生涯

氏名 野口英世
生年月日 1876年11月9日
没年月日 1928年5月21日
享年 51(歳)
国籍 日本
出生地 福島県耶麻郡三ッ和村(現在の耶麻郡猪苗代町)
職業 医師、細菌学者
名言 私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。

1876年(明治9年)11月9日、福島県の三ッ和村三城潟(現:猪苗代町)に生まれる。父・佐代助と母・シカの長男で清作(せいさく)と名付けられる。

翌年、清作は囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負う。清作は左手の障害から農作業が難しく、学問の力で身を立てるよう母に諭される。

1891年、左手の障害を嘆く清作の作文が教師や同級生らの同情を誘い、清作の左手を治すための手術費用を集める募金が行われ、清作は左手の手術を受ける。

不自由ながらも左手の指が使えるようになった清作はこの手術の成功に感激し、自身も医師を目指すようになる。

1893年、高等小学校を卒業した清作は、病院に書生として住み込みで働きながら医学の基礎を学ぶ。この時期に高山高等歯科医学院(現:東京歯科大学)の講師・6歳年長の血脇守之助と知り合う。

1896年、20歳になった清作は上京し、翌年に医師免許を取得。

1898年、清作は北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)に勤め始める。

同年、坪内逍遥の小説「当世書生気質」に、弁舌を弄し借金を重ねつつ自堕落な生活を送る登場人物・野々口精作が彼の名前によく似ており、また本人も借金を繰り返して遊郭などに出入りする悪癖があったことから、そのモデルであると邪推される可能性を懸念。「英世」と改名する。

1899年、横浜港検疫所検疫官補となった英世は、清国でのペスト対策のための国際防疫班に選ばれ渡航。翌年、義和団の乱により清国の社会情勢が悪化し、帰国。

同年、英世は医師を志す女学生・斉藤ます子と婚約し、その婚約持参金を渡航費に当て、アメリカへ渡る。

英世はペンシルベニア大学医学部で蛇毒を研究。この研究により英世はアメリカの医学界に名を知られることとなる。

1904年、英世はロックフェラー医学研究所に移籍。翌年、血脇が婚約持参金を斉藤家に返済し、斉藤ます子との婚約を破棄。

1911年、34歳の英世はアメリカ人女性と結婚。

同年、英世は「病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」と発表。世界の医学界に名を知られることとなる。(しかし純粋培養の成功は現代ではほぼ否定されている)

1913年、英世は梅毒スピロヘータを進行性麻痺・脊髄癆の患者の脳病理組織において確認。この病気が梅毒の進行した形であることを証明する。

1914年、英世はこの年のノーベル医学賞候補となる。

1915年、38歳の英世は年老いた母との再会を果たすため、15年振りに日本に帰国。

1918年、まだワクチンのなかった黄熱病の病原体発見のため、英世は黄熱病が大流行していたエクアドルへ派遣される。英世は病原体を特定することに成功し、開発された野口ワクチンにより、南米での黄熱病が収束したとされる。

1924年、アフリカ・セネガルにて黄熱病が発生。しかし野口ワクチンは効果を見せなかった。

1927年、英世はトラコーマ病原体を発表。(ただし後年クラミジアが発見され否定される)

同年、英世はアフリカへ黄熱病研究のために出張。

1928年3月、英世は黄熱病病原体をほぼ特定できた旨の電報を出す。秘書への手紙に濾過性微生物(ウイルス)が病原であると言及し、それまでの自説を否定。

同年5月、英世の体調が悪化。黄熱病と診断され入院。1928年5月21日、英世は病室で死去。51年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


野口英世の名言・格言集


野口英世の名言メニュー

野口英世の名言(1)
野口英世の名言(2)

野口英世の名言(1)


私は少しも恐れるところがない。
私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。

- 野口英世 -


志を得ざれば再び此の地を踏まず。

- 野口英世 -


忍耐は苦い。
しかし、その実は甘い。

- 野口英世 -


ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。
彼になしえられる努力が、自分になしえられぬはずがない。

- 野口英世 -


誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。

- 野口英世 -


絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。

- 野口英世 -


名誉のためなら危ない橋でも渡る。

- 野口英世 -


障害者であることは、学問においては問題にならない。

- 野口英世 -


学問は一種のギャンブルである。

- 野口英世 -


過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。
なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。

- 野口英世 -


家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。
人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。
周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。

- 野口英世 -


教えに来たのではありません。
習いに来たのです。

- 野口英世 -


次ページへ続きます。
 

偉人の一覧(全169名)

【文学家】
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【その他】
アンネ・フランク英語の名言) / 中村天風 / 升田幸三 / 羽生善治 / ジョセフ・マーフィー / ダイアナ妃英語の名言) / マリー・アントワネット英語の名言) / ニール・アームストロング英語の名言


野口英世の本・関連書籍


『野口英世 – 見えない人類の敵にいどむ』
(滑川道夫)

(Amazonでチェック)

みんなに『てんぼう』とからかわれた清作少年が、やがて世界の野口英世となるまで、その苦難の生涯を支えたのは母シカの大きな愛である。見えない人類の敵――細菌を追った世界の医学者野口英世伝の決定版。


『遠き落日(上)』
(渡辺淳一)

(Amazonでチェック)

自堕落にして借金魔。しかし、その一方で、寝食を忘れるほど研究に没頭し、貧農の倅という出自の壁、火傷によって不自由となった左手のハンディ、日本人に対する西洋人の蔑視を撥ね除けた。偉人伝の陰で長く封印されていた野口英世の生身の姿を、見事に甦らせた傑作伝記長編。第十四回吉川英治文学賞受賞作品。


『野口英世の母シカ』
(田中章義)

(Amazonでチェック)

極貧の暮らしを耐えに耐え、働きに働き、遂には息子を世界的な医者に育て上げた女の一生

野口英世の書籍一覧(Amazon)



野口英世の名言・言葉の一覧

No. 野口英世の名言一覧
1 私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。
2 志を得ざれば再び此の地を踏まず。
3 忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。
4 ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼になしえられる努力が、自分になしえられぬはずがない。
5 誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。
6 絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。
7 名誉のためなら危ない橋でも渡る。
8 障害者であることは、学問においては問題にならない。
9 学問は一種のギャンブルである。
10 過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。
11 家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。
12 教えに来たのではありません。習いに来たのです。
13 自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。
14 この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである。
15 モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人のすぐれた性質であり、たくましい能力でもあるのです。
16 正直であることが最高の手段だ。
17 人は能力だけでは、この世に立つことはできない。たとえ、立身しても、機械と同様だ。人は能力と共に徳を持つことが必要である。
18 人生最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない。
19 人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ。

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英語の名言・格言【アンディ・ウォーホル】

アンディ・ウォーホルの英語の名言

アンディ・ウォーホルの英語の名言には「Think rich, look poor.(考えは豊かに、見た目は貧しく)」などがあります。

ポップアートの旗手、アンディ・ウォーホル(1928~1987)の英語の名言をご紹介します。

「アンディ・ウォーホルの日本語の名言」へ

アンディ・ウォーホルの生涯

1928年8月6日、アメリカ北東部のペンシルベニア州ピッツバーグにスロバキアの移民の子として生まれる。

父は肉体労働者であり、敬虔なカトリック教徒であった。三男のアンディは幼いころから虚弱で、肌は白く日光アレルギーがあり、赤い鼻をしていた。一方、早くから芸術の才能を現していたという。

アンディが14歳のときに父が死去。アンディはアルバイトをしながら高校に通い、カーネギー工科大学(現:カーネギーメロン大学)に進学。広告芸術を学んだ。

大学卒業後はニューヨークへ移り、『ヴォーグ』など雑誌の広告やイラストで知られるようになる。24歳で新聞広告美術の「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞。商業デザイナー・イラストレーターとして成功する。

1960年、アンディ・ウォーホルはファインアートの世界へ移り、『バットマン』『スーパーマン』などのコミックをモチーフに一連の作品を制作。翌年には、キャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描く。

1964年、アンディはニューヨークにファクトリーと呼ばれるスタジオを設立し、シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作。ファクトリーはアーティストたちが集まる場となる。

1968年、アンディはファクトリーの常連で「全男性抹殺団」のメンバーだった女性に拳銃で撃たれる。重体となるが一命をとりとめた。

1970年、「ライフ」誌にて、ビートルズとともに「1960年代にもっとも影響力のあった人物」としてアンディ・ウォーホルが選ばれる。

1987年2月22日、アンディ・ウォーホルは心臓発作で死去し、58年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


アンディ・ウォーホル 英語の名言・格言集


アンディ・ウォーホルの名言メニュー

アンディ・ウォーホルの英語の名言

【関連ページ】
アンディ・ウォーホルの名言・格言(日本語の名言)

アンディ・ウォーホルの英語の名言


1.英語の名言・格言

 

In the future everyone will be world-famous for 15 minutes.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。


2.英語の名言・格言

 

I don’t see anything wrong with being alone, it feels great to me.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
孤立することが悪いなんてちっとも思わない。僕にとっては最高の気分さ。


3.英語の名言・格言

 

Being good in business is the most fascinating kind of art.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
好調なビジネスは、何よりも魅力的な芸術だ。


4.英語の名言・格言

 

I’m afraid that if you look at a thing long enough, it loses all of its meaning.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
物事を見すぎることで、それが持つ意味がまったく見えなくなることを僕は怖れる。


5.英語の名言・格言

 

I like boring things.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
退屈なことが好きなんだ。


6.英語の名言・格言

 

If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface of my paintings and films and me, and there I am. There’s nothing behind it.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。


7.英語の名言・格言

 

I’ve never met a person I couldn’t call a beauty.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
美しくない人なんて、僕は出会ったことがない。


8.英語の名言・格言

 

Think rich, look poor.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
考えは豊かに、見た目は貧しく。


9.英語の名言・格言

 

Isn’t life a series of images that change as they repeat themselves?

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
人生って、繰り返し見る度に変化していく映像のようなものだ。そうだろう?


10.英語の名言・格言

 

They always say that time changes things, but you actually have to change them yourself.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。


11.英語の名言・格言

 

I never think that people die. They just go to department stores.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
人が死ぬなんて思えない。ちょっとデパートに行くだけだ。


12.英語の名言・格言

 

It’s the place where my prediction from the sixties finally came true: “In the future everyone will be famous for fifteen minutes.” I’m bored with that line. I never use it anymore. My new line is, “In fifteen minutes everybody will be famous.”

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう」僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。もう二度と言わない。これからはこう言う。「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」。


13.英語の名言・格言

 

Making money is art and working is art and good business is the best art of all.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
お金を稼ぐことはアートだ。働くこともアートだ。ビジネスで成功することが最高のアートだ。


14.英語の名言・格言

 

Don’t pay any attention to what they write about you. Just measure it in inches.

 

- Andy Warhol (アンディ・ウォーホル) -

 
自分について何か書かれていても、その内容は気にしちゃいけない。大事なのは、どのくらいのスペースが割かれているかだ。


おわりです。

下に「偉人の一覧」、「人気コンテンツ」、「アンディ・ウォーホルの本・関連書籍」がございます。

癒しのガイド(見習い)



アンディ・ウォーホルの本・関連書籍


『ぼくの哲学』
(アンディ・ウォーホル)

(Amazonでチェック)

現代文明の「聖像」を大胆にサンプリングしてPOP革命を起こした天才アーティストが明かす美、愛、死、成功、ライフスタイルなどの「哲学」。


『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』

(Amazonでチェック)

ポップアートの天才が教える、「生きなおす」ことの意味。


『ポッピズム ウォーホルの60年代』
(アンディ・ウォーホル)

(Amazonでチェック)

1960年代のはじめにポップ・アーティストとして登場したウォーホルが、一躍メディアの寵児となる前後から、一人の女性にピストルで撃たれながら奇跡的に回復する1969年までの克明な回想録。60年代という特異な時代に対する挽歌である。

アンディ・ウォーホルの書籍一覧(Amazon)


テーマ別の名言集と偉人の一覧

 
「人生」「癒し」などのテーマ別の名言集やおすすめ偉人の名言一覧が表示されます。

偉人の一覧(全169名)

【文学家】
シェイクスピア英語の名言) / ゲーテ英語の名言) / 武者小路実篤 / 相田みつを / 瀬戸内寂聴 / 村上春樹 / 太宰治 / オスカー・ワイルド英語の名言) / マーク・トウェイン英語の名言) / ヘミングウェイ英語の名言) / トルストイ英語の名言) / 夏目漱石 / 芥川龍之介 / バーナード・ショー英語の名言) / ドストエフスキー英語の名言) / サン=テグジュペリ英語の名言) / レイモンド・チャンドラー英語の名言) / カフカ英語の名言) / アガサ・クリスティ英語の名言) / ヴィクトル・ユーゴー英語の名言) / アルベール・カミュ英語の名言) / スコット・フィッツジェラルド英語の名言) / 魯迅 / マヤ・アンジェロウ英語の名言) / ダンテ英語の名言) / 吉川英治 / ヘルマン・ヘッセ英語の名言) / チャールズ・ディケンズ英語の名言) / ルイス・キャロル英語の名言) / ジョージ・エリオット英語の名言) / ツルゲーネフ英語の名言) / バルザック英語の名言) / セルバンテス英語の名言) / 三島由紀夫

【芸術・ファッション・芸能・音楽家】
岡本太郎 / ココ・シャネル英語の名言) / オードリー・ヘップバーン英語の名言) / ウォルト・ディズニー英語の名言) / 美輪明宏 / 矢沢永吉 / マリリン・モンロー英語の名言) / チャップリン英語の名言) / 手塚治虫 / ジョン・レノン英語の名言) / パブロ・ピカソ英語の名言) / ベートーヴェン英語の名言) / ゴッホ英語の名言) / レオナルド・ダ・ヴィンチ英語の名言) / ボブ・マーリー英語の名言) / オプラ・ウィンフリー英語の名言) / マイケル・ジャクソン英語の名言) / ウディ・アレン英語の名言) / ボブ・ディラン英語の名言) / アンディ・ウォーホル英語の名言) / ミケランジェロ英語の名言) / モーツァルト英語の名言) / ジェームズ・ディーン英語の名言) / ブルース・リー英語の名言) / ロダン英語の名言) / マイルス・デイヴィス英語の名言) / スティーヴン・スピルバーグ英語の名言) / エルヴィス・プレスリー英語の名言) / フランク・シナトラ英語の名言

【政治家・指導者】
ガンジー英語の名言) / キング牧師英語の名言) / リンカーン英語の名言) / チャーチル英語の名言) / ベンジャミン・フランクリン英語の名言) / ジョン・F・ケネディ英語の名言) / ネルソン・マンデラ英語の名言) / マーガレット・サッチャー英語の名言) / マルコムX英語の名言) / ジョージ・ワシントン英語の名言) / シャルル・ド・ゴール英語の名言) / 田中角栄 / 上杉鷹山 / チェ・ゲバラ英語の名言) / セオドア・ルーズベルト英語の名言

【教育家・活動家】
ヘレン・ケラー英語の名言) / 福沢諭吉 / ナイチンゲール英語の名言) / エレノア・ルーズベルト英語の名言) / 津田梅子

【学者・発明家】
アインシュタイン英語の名言) / 斎藤茂太 / ピーター・ドラッカー英語の名言) / エジソン英語の名言) / ソクラテス英語の名言) / ニーチェ英語の名言) / ダーウィン英語の名言) / 孔子英語の名言) / ルソー英語の名言) / ガリレオ・ガリレイ英語の名言) / ニュートン英語の名言) / アリストテレス英語の名言) / プラトン英語の名言) / エマーソン英語の名言) / 野口英世 / ジークムント・フロイト英語の名言) / パスカル英語の名言) / 老子 / 荘子 / カント英語の名言) / モンテスキュー英語の名言) / 湯川秀樹 / サルトル英語の名言) / エーリッヒ・フロム英語の名言) / デカルト英語の名言) / ジョン・ロック英語の名言) / ショーペンハウアー英語の名言) / ヴォルテール英語の名言) / モンテーニュ英語の名言) / マキャベリ英語の名言) / キルケゴール英語の名言) / ニコラ・テスラ英語の名言) / 牧野富太郎

【宗教家】
マザー・テレサ英語の名言) / マルティン・ルター英語の名言

【ビジネスパーソン】
松下幸之助 / スティーブ・ジョブズ英語の名言) / デール・カーネギー英語の名言) / 本田宗一郎 / ヘンリー・フォード英語の名言) / 渋沢栄一 / ビル・ゲイツ英語の名言) / アンドリュー・カーネギー英語の名言

【スポーツ・格闘技選手】
イチロー / 松岡修造 / 本田圭佑 / アントニオ猪木 / マイケル・ジョーダン英語の名言) / 野村克也 / 落合博満 / 長嶋茂雄 / 王貞治 / モハメド・アリ英語の名言) / ペレ英語の名言) / コービー・ブライアント英語の名言) / リオネル・メッシ英語の名言

【幕末・明治維新】
坂本龍馬 / 吉田松陰 / 高杉晋作 / 勝海舟 / 西郷隆盛 / 大久保利通 / 島津斉彬 / 岩崎弥太郎 / 伊藤博文 / 山岡鉄舟

【武将・軍人】
織田信長 / 武田信玄 / 徳川家康 / 豊臣秀吉 / ナポレオン英語の名言) / 宮本武蔵 / ユリウス・カエサル英語の名言) / 上杉謙信 / 伊達政宗 / 諸葛孔明 / 明智光秀 / 山本五十六

【その他】
アンネ・フランク英語の名言) / 中村天風 / 升田幸三 / 羽生善治 / ジョセフ・マーフィー / ダイアナ妃英語の名言) / マリー・アントワネット英語の名言) / ニール・アームストロング英語の名言

 


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アンディ・ウォーホルの名言・格言

アンディ・ウォーホルの名言・格言

アンディ・ウォーホルの名言には「考えは豊かに、見た目は貧しく」、「美しくない人なんて、僕は出会ったことがない」などがあります。
ポップアートの旗手、アンディ・ウォーホル(1928~1987)の名言をご紹介します。

「アンディ・ウォーホルの英語の名言」へ

アンディ・ウォーホルの生涯

氏名 アンディ・ウォーホル
英語名 Andy Warhol
生年月日 1928年8月6日
没年月日 1987年2月22日
享年 58(歳)
国籍 アメリカ
出生地 ペンシルベニア州ピッツバーグ
職業 画家、版画家、芸術家
名言 考えは豊かに、見た目は貧しく。

1928年8月6日、アメリカ北東部のペンシルベニア州ピッツバーグにスロバキアの移民の子として生まれる。

父は肉体労働者であり、敬虔なカトリック教徒であった。三男のアンディは幼いころから虚弱で、肌は白く日光アレルギーがあり、赤い鼻をしていた。一方、早くから芸術の才能を現していたという。

アンディが14歳のときに父が死去。アンディはアルバイトをしながら高校に通い、カーネギー工科大学(現:カーネギーメロン大学)に進学。広告芸術を学んだ。

大学卒業後はニューヨークへ移り、『ヴォーグ』など雑誌の広告やイラストで知られるようになる。24歳で新聞広告美術の「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞。商業デザイナー・イラストレーターとして成功する。

1960年、アンディ・ウォーホルはファインアートの世界へ移り、『バットマン』『スーパーマン』などのコミックをモチーフに一連の作品を制作。翌年には、キャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描く。

1964年、アンディはニューヨークにファクトリーと呼ばれるスタジオを設立し、シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作。ファクトリーはアーティストたちが集まる場となる。

1968年、アンディはファクトリーの常連で「全男性抹殺団」のメンバーだった女性に拳銃で撃たれる。重体となるが一命をとりとめた。

1970年、「ライフ」誌にて、ビートルズとともに「1960年代にもっとも影響力のあった人物」としてアンディ・ウォーホルが選ばれる。

1987年2月22日、アンディ・ウォーホルは心臓発作で死去し、58年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


アンディ・ウォーホルの名言・格言集


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アンディ・ウォーホルの名言

【関連ページ】
英語の名言・格言【アンディ・ウォーホル】

アンディ・ウォーホルの名言


考えは豊かに、見た目は貧しく。

- アンディ・ウォーホル -


退屈なことが好きなんだ。

- アンディ・ウォーホル -


誰もが15分間なら有名人になれる。
いずれそんな時代が来るだろう。

- アンディ・ウォーホル -


お金を稼ぐことはアートだ。
働くこともアートだ。
ビジネスで成功することが最高のアートだ。

- アンディ・ウォーホル -


物事を見すぎることで、それが持つ意味がまったく見えなくなることを僕は怖れる。

- アンディ・ウォーホル -


時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。

- アンディ・ウォーホル -


人が死ぬなんて思えない。
ちょっとデパートに行くだけだ。

- アンディ・ウォーホル -


美しくない人なんて、僕は出会ったことがない。

- アンディ・ウォーホル -


それはあまりたいした問題じゃない。
私はいつもこの「それはたいした問題じゃない」という哲学を持ってきた。

- アンディ・ウォーホル -


孤立することが悪いなんてちっとも思わない。
僕にとっては最高の気分さ。

- アンディ・ウォーホル -


人生って、繰り返し見る度に変化していく映像のようなものだ。
そうだろう?

- アンディ・ウォーホル -


自分について何か書かれていても、その内容は気にしちゃいけない。
大事なのは、どのくらいのスペースが割かれているかだ。

- アンディ・ウォーホル -


好調なビジネスは、何よりも魅力的な芸術だ。

- アンディ・ウォーホル -


もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。
裏側には何もありません。

- アンディ・ウォーホル -


「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう」僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。
僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。
もう二度と言わない。
これからはこう言う。
「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」。

- アンディ・ウォーホル -


おわりです。

下に「偉人の一覧」、「人気コンテンツ」、「アンディ・ウォーホルの本・関連書籍」がございます。

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アンディ・ウォーホルの本・関連書籍


『ぼくの哲学』
(アンディ・ウォーホル)

(Amazonでチェック)

現代文明の「聖像」を大胆にサンプリングしてPOP革命を起こした天才アーティストが明かす美、愛、死、成功、ライフスタイルなどの「哲学」。


『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』

(Amazonでチェック)

ポップアートの天才が教える、「生きなおす」ことの意味。


『ポッピズム ウォーホルの60年代』
(アンディ・ウォーホル)

(Amazonでチェック)

1960年代のはじめにポップ・アーティストとして登場したウォーホルが、一躍メディアの寵児となる前後から、一人の女性にピストルで撃たれながら奇跡的に回復する1969年までの克明な回想録。60年代という特異な時代に対する挽歌である。

アンディ・ウォーホルの書籍一覧(Amazon)


テーマ別の名言集と偉人の一覧

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偉人の一覧(全169名)

【文学家】
シェイクスピア英語の名言) / ゲーテ英語の名言) / 武者小路実篤 / 相田みつを / 瀬戸内寂聴 / 村上春樹 / 太宰治 / オスカー・ワイルド英語の名言) / マーク・トウェイン英語の名言) / ヘミングウェイ英語の名言) / トルストイ英語の名言) / 夏目漱石 / 芥川龍之介 / バーナード・ショー英語の名言) / ドストエフスキー英語の名言) / サン=テグジュペリ英語の名言) / レイモンド・チャンドラー英語の名言) / カフカ英語の名言) / アガサ・クリスティ英語の名言) / ヴィクトル・ユーゴー英語の名言) / アルベール・カミュ英語の名言) / スコット・フィッツジェラルド英語の名言) / 魯迅 / マヤ・アンジェロウ英語の名言) / ダンテ英語の名言) / 吉川英治 / ヘルマン・ヘッセ英語の名言) / チャールズ・ディケンズ英語の名言) / ルイス・キャロル英語の名言) / ジョージ・エリオット英語の名言) / ツルゲーネフ英語の名言) / バルザック英語の名言) / セルバンテス英語の名言) / 三島由紀夫

【芸術・ファッション・芸能・音楽家】
岡本太郎 / ココ・シャネル英語の名言) / オードリー・ヘップバーン英語の名言) / ウォルト・ディズニー英語の名言) / 美輪明宏 / 矢沢永吉 / マリリン・モンロー英語の名言) / チャップリン英語の名言) / 手塚治虫 / ジョン・レノン英語の名言) / パブロ・ピカソ英語の名言) / ベートーヴェン英語の名言) / ゴッホ英語の名言) / レオナルド・ダ・ヴィンチ英語の名言) / ボブ・マーリー英語の名言) / オプラ・ウィンフリー英語の名言) / マイケル・ジャクソン英語の名言) / ウディ・アレン英語の名言) / ボブ・ディラン英語の名言) / アンディ・ウォーホル英語の名言) / ミケランジェロ英語の名言) / モーツァルト英語の名言) / ジェームズ・ディーン英語の名言) / ブルース・リー英語の名言) / ロダン英語の名言) / マイルス・デイヴィス英語の名言) / スティーヴン・スピルバーグ英語の名言) / エルヴィス・プレスリー英語の名言) / フランク・シナトラ英語の名言

【政治家・指導者】
ガンジー英語の名言) / キング牧師英語の名言) / リンカーン英語の名言) / チャーチル英語の名言) / ベンジャミン・フランクリン英語の名言) / ジョン・F・ケネディ英語の名言) / ネルソン・マンデラ英語の名言) / マーガレット・サッチャー英語の名言) / マルコムX英語の名言) / ジョージ・ワシントン英語の名言) / シャルル・ド・ゴール英語の名言) / 田中角栄 / 上杉鷹山 / チェ・ゲバラ英語の名言) / セオドア・ルーズベルト英語の名言

【教育家・活動家】
ヘレン・ケラー英語の名言) / 福沢諭吉 / ナイチンゲール英語の名言) / エレノア・ルーズベルト英語の名言) / 津田梅子

【学者・発明家】
アインシュタイン英語の名言) / 斎藤茂太 / ピーター・ドラッカー英語の名言) / エジソン英語の名言) / ソクラテス英語の名言) / ニーチェ英語の名言) / ダーウィン英語の名言) / 孔子英語の名言) / ルソー英語の名言) / ガリレオ・ガリレイ英語の名言) / ニュートン英語の名言) / アリストテレス英語の名言) / プラトン英語の名言) / エマーソン英語の名言) / 野口英世 / ジークムント・フロイト英語の名言) / パスカル英語の名言) / 老子 / 荘子 / カント英語の名言) / モンテスキュー英語の名言) / 湯川秀樹 / サルトル英語の名言) / エーリッヒ・フロム英語の名言) / デカルト英語の名言) / ジョン・ロック英語の名言) / ショーペンハウアー英語の名言) / ヴォルテール英語の名言) / モンテーニュ英語の名言) / マキャベリ英語の名言) / キルケゴール英語の名言) / ニコラ・テスラ英語の名言) / 牧野富太郎

【宗教家】
マザー・テレサ英語の名言) / マルティン・ルター英語の名言

【ビジネスパーソン】
松下幸之助 / スティーブ・ジョブズ英語の名言) / デール・カーネギー英語の名言) / 本田宗一郎 / ヘンリー・フォード英語の名言) / 渋沢栄一 / ビル・ゲイツ英語の名言) / アンドリュー・カーネギー英語の名言

【スポーツ・格闘技選手】
イチロー / 松岡修造 / 本田圭佑 / アントニオ猪木 / マイケル・ジョーダン英語の名言) / 野村克也 / 落合博満 / 長嶋茂雄 / 王貞治 / モハメド・アリ英語の名言) / ペレ英語の名言) / コービー・ブライアント英語の名言) / リオネル・メッシ英語の名言

【幕末・明治維新】
坂本龍馬 / 吉田松陰 / 高杉晋作 / 勝海舟 / 西郷隆盛 / 大久保利通 / 島津斉彬 / 岩崎弥太郎 / 伊藤博文 / 山岡鉄舟

【武将・軍人】
織田信長 / 武田信玄 / 徳川家康 / 豊臣秀吉 / ナポレオン英語の名言) / 宮本武蔵 / ユリウス・カエサル英語の名言) / 上杉謙信 / 伊達政宗 / 諸葛孔明 / 明智光秀 / 山本五十六

【その他】
アンネ・フランク英語の名言) / 中村天風 / 升田幸三 / 羽生善治 / ジョセフ・マーフィー / ダイアナ妃英語の名言) / マリー・アントワネット英語の名言) / ニール・アームストロング英語の名言


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人間関係の悩み・ストレス


アンディ・ウォーホルの名言・言葉の一覧

No. アンディ・ウォーホルの名言一覧
1 考えは豊かに、見た目は貧しく。
2 退屈なことが好きなんだ。
3 誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。
4 お金を稼ぐことはアートだ。働くこともアートだ。ビジネスで成功することが最高のアートだ。
5 物事を見すぎることで、それが持つ意味がまったく見えなくなることを僕は怖れる。
6 時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。
7 人が死ぬなんて思えない。ちょっとデパートに行くだけだ。
8 美しくない人なんて、僕は出会ったことがない。
9 それはあまりたいした問題じゃない。私はいつもこの「それはたいした問題じゃない」という哲学を持ってきた。
10 孤立することが悪いなんてちっとも思わない。僕にとっては最高の気分さ。
11 人生って、繰り返し見る度に変化していく映像のようなものだ。そうだろう?
12 自分について何か書かれていても、その内容は気にしちゃいけない。大事なのは、どのくらいのスペースが割かれているかだ。
13 好調なビジネスは、何よりも魅力的な芸術だ。
14 もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。
15 「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう」僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。もう二度と言わない。これからはこう言う。「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」。

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豊臣秀吉の名言・格言

豊臣秀吉の名言・格言

豊臣秀吉の名言には「敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ」、「財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ」などがあります。
織田信長に仕官して頭角を現し、信長の死後に天下統一を果たした豊臣秀吉(1537~1598)の名言をご紹介します。

豊臣秀吉の生涯

氏名 豊臣秀吉
生年月日 1537年3月17日
没年月日 1598年9月18日
享年 61(歳)
国籍 日本
出生地 尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)
職業 武将、天下人、太閤
名言 負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。

1537年3月17日(天文6年2月6日)、尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)に足軽の子として生まれる。

1554年頃、織田信長に小者として仕える。清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて成果を挙げる。

1568年、近江箕作城攻略戦で活躍。1573年には長浜城の城主となる。

1577年、秀吉は毛利氏の勢力下にある中国地方攻略を命ぜられ出陣。

1582年、織田信長が明智光秀の謀反により本能寺で自害。秀吉は明智光秀の軍勢を征伐。織田家の実力者たちとの戦いに勝利し、家臣第一の地位を確立。

勢力を伸張した秀吉と徳川家康の対立が深まり、1584年の小牧・長久手の戦いで秀吉は家康と対峙。家康は軍略的には勝利したものの政略的には後れをとり、秀吉に臣従する。

1587年の九州平定、1590年の小田原征伐と奥羽仕置の完了をもって、秀吉は天下統一を達成。

1592年、明の征服と朝鮮の服属を目指して16万の軍勢を朝鮮に出兵。やがて戦況は膠着状態となり、明との間に講和交渉を開始。

1598年9月18日、秀吉は後継者の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没。61年の生涯を閉じた。

1600年、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握。大坂の陣(1614~1615)で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


豊臣秀吉の名言・格言集


豊臣秀吉の名言(1)


戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。

- 豊臣秀吉 -


戦は六、七分の勝ちを十分とする。

- 豊臣秀吉 -


敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。

- 豊臣秀吉 -


主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。

- 豊臣秀吉 -


主人は無理をいうなるものと知れ。

- 豊臣秀吉 -


一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。

- 豊臣秀吉 -


この黄金の輝きも
茶の一服に勝るものかな

- 豊臣秀吉 -


家康は愚か者だ。
が、油断のならない愚か者だ。

- 豊臣秀吉 -


側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。

- 豊臣秀吉 -


負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。
逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。

- 豊臣秀吉 -


いつも前に出ることがよい。
そして戦のときでも先駆けるのだ。

- 豊臣秀吉 -


猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。

- 豊臣秀吉 -


世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。

- 豊臣秀吉 -


いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。
彼らは早く死んでよかったのだ。
生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。

- 豊臣秀吉 -


信長公は勇将であるが良将ではない。
剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。
ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。
だから降伏する者をも誅殺した。
これは人物器量が狭いためである。
人には敬遠され、衆から愛されることはない。

- 豊臣秀吉 -


次ページへ続きます。
 

偉人の一覧(全169名)

【文学家】
シェイクスピア英語の名言) / ゲーテ英語の名言) / 武者小路実篤 / 相田みつを / 瀬戸内寂聴 / 村上春樹 / 太宰治 / オスカー・ワイルド英語の名言) / マーク・トウェイン英語の名言) / ヘミングウェイ英語の名言) / トルストイ英語の名言) / 夏目漱石 / 芥川龍之介 / バーナード・ショー英語の名言) / ドストエフスキー英語の名言) / サン=テグジュペリ英語の名言) / レイモンド・チャンドラー英語の名言) / カフカ英語の名言) / アガサ・クリスティ英語の名言) / ヴィクトル・ユーゴー英語の名言) / アルベール・カミュ英語の名言) / スコット・フィッツジェラルド英語の名言) / 魯迅 / マヤ・アンジェロウ英語の名言) / ダンテ英語の名言) / 吉川英治 / ヘルマン・ヘッセ英語の名言) / チャールズ・ディケンズ英語の名言) / ルイス・キャロル英語の名言) / ジョージ・エリオット英語の名言) / ツルゲーネフ英語の名言) / バルザック英語の名言) / セルバンテス英語の名言) / 三島由紀夫

【芸術・ファッション・芸能・音楽家】
岡本太郎 / ココ・シャネル英語の名言) / オードリー・ヘップバーン英語の名言) / ウォルト・ディズニー英語の名言) / 美輪明宏 / 矢沢永吉 / マリリン・モンロー英語の名言) / チャップリン英語の名言) / 手塚治虫 / ジョン・レノン英語の名言) / パブロ・ピカソ英語の名言) / ベートーヴェン英語の名言) / ゴッホ英語の名言) / レオナルド・ダ・ヴィンチ英語の名言) / ボブ・マーリー英語の名言) / オプラ・ウィンフリー英語の名言) / マイケル・ジャクソン英語の名言) / ウディ・アレン英語の名言) / ボブ・ディラン英語の名言) / アンディ・ウォーホル英語の名言) / ミケランジェロ英語の名言) / モーツァルト英語の名言) / ジェームズ・ディーン英語の名言) / ブルース・リー英語の名言) / ロダン英語の名言) / マイルス・デイヴィス英語の名言) / スティーヴン・スピルバーグ英語の名言) / エルヴィス・プレスリー英語の名言) / フランク・シナトラ英語の名言

【政治家・指導者】
ガンジー英語の名言) / キング牧師英語の名言) / リンカーン英語の名言) / チャーチル英語の名言) / ベンジャミン・フランクリン英語の名言) / ジョン・F・ケネディ英語の名言) / ネルソン・マンデラ英語の名言) / マーガレット・サッチャー英語の名言) / マルコムX英語の名言) / ジョージ・ワシントン英語の名言) / シャルル・ド・ゴール英語の名言) / 田中角栄 / 上杉鷹山 / チェ・ゲバラ英語の名言) / セオドア・ルーズベルト英語の名言

【教育家・活動家】
ヘレン・ケラー英語の名言) / 福沢諭吉 / ナイチンゲール英語の名言) / エレノア・ルーズベルト英語の名言) / 津田梅子

【学者・発明家】
アインシュタイン英語の名言) / 斎藤茂太 / ピーター・ドラッカー英語の名言) / エジソン英語の名言) / ソクラテス英語の名言) / ニーチェ英語の名言) / ダーウィン英語の名言) / 孔子英語の名言) / ルソー英語の名言) / ガリレオ・ガリレイ英語の名言) / ニュートン英語の名言) / アリストテレス英語の名言) / プラトン英語の名言) / エマーソン英語の名言) / 野口英世 / ジークムント・フロイト英語の名言) / パスカル英語の名言) / 老子 / 荘子 / カント英語の名言) / モンテスキュー英語の名言) / 湯川秀樹 / サルトル英語の名言) / エーリッヒ・フロム英語の名言) / デカルト英語の名言) / ジョン・ロック英語の名言) / ショーペンハウアー英語の名言) / ヴォルテール英語の名言) / モンテーニュ英語の名言) / マキャベリ英語の名言) / キルケゴール英語の名言) / ニコラ・テスラ英語の名言) / 牧野富太郎

【宗教家】
マザー・テレサ英語の名言) / マルティン・ルター英語の名言

【ビジネスパーソン】
松下幸之助 / スティーブ・ジョブズ英語の名言) / デール・カーネギー英語の名言) / 本田宗一郎 / ヘンリー・フォード英語の名言) / 渋沢栄一 / ビル・ゲイツ英語の名言) / アンドリュー・カーネギー英語の名言

【スポーツ・格闘技選手】
イチロー / 松岡修造 / 本田圭佑 / アントニオ猪木 / マイケル・ジョーダン英語の名言) / 野村克也 / 落合博満 / 長嶋茂雄 / 王貞治 / モハメド・アリ英語の名言) / ペレ英語の名言) / コービー・ブライアント英語の名言) / リオネル・メッシ英語の名言

【幕末・明治維新】
坂本龍馬 / 吉田松陰 / 高杉晋作 / 勝海舟 / 西郷隆盛 / 大久保利通 / 島津斉彬 / 岩崎弥太郎 / 伊藤博文 / 山岡鉄舟

【武将・軍人】
織田信長 / 武田信玄 / 徳川家康 / 豊臣秀吉 / ナポレオン英語の名言) / 宮本武蔵 / ユリウス・カエサル英語の名言) / 上杉謙信 / 伊達政宗 / 諸葛孔明 / 明智光秀 / 山本五十六

【その他】
アンネ・フランク英語の名言) / 中村天風 / 升田幸三 / 羽生善治 / ジョセフ・マーフィー / ダイアナ妃英語の名言) / マリー・アントワネット英語の名言) / ニール・アームストロング英語の名言


豊臣秀吉の本・関連書籍



『新史太閤記(上巻)』(司馬遼太郎)
日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し”の天才、豊臣秀吉。生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。



『豊臣秀吉(1)』(山岡荘八)
尾張中村の鼻たれ小僧日吉は負けん気の強い暴れん坊。だが心やさしく頭もきれる。百年うち続く戦乱に奪われ焼かれ、犯され殺される庶民の地獄絵を見て、戦いのない日本を作ろうと大志をいだく。自ら元服して木下藤吉郎と名乗り、諸国修業の旅に出た彼を待ちうける難関の数々。



『豊臣秀吉(上)』(山路愛山)
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を対比し、浮き彫りにした史論



豊臣秀吉の名言・言葉の一覧

No. 豊臣秀吉の名言一覧
1 戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。
2 戦は六、七分の勝ちを十分とする。
3 敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。
4 主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。
5 主人は無理をいうなるものと知れ。
6 一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。
7 この黄金の輝きも 茶の一服に勝るものかな
8 家康は愚か者だ。が、油断のならない愚か者だ。
9 側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。
10 負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。
11 いつも前に出ることがよい。そして戦のときでも先駆けるのだ。
12 猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。
13 世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。
14 いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。彼らは早く死んでよかったのだ。生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。
15 信長公は勇将であるが良将ではない。剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した。これは人物器量が狭いためである。人には敬遠され、衆から愛されることはない。
16 およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり。
17 財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ。
18 人と物争うべからず、人に心を許すべからず。
19 女狂いに好き候事、秀吉真似これあるまじき事
20 降参した者を殺してはいけません。
21 やるべき事が明確であるからこそ、日夜、寝食忘れて没頭できる。
22 何事もつくづくと思い出すべきではない。
23 ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり。
24 人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。
25 それは上々、一段の吉日にござる。信長公のために討ち死にするは覚悟のうえ、二度と生きて帰ろうとは思わぬ。さてまた光秀の天命が尽きれば、大利を得て、思いのままに国をもらい、この播磨の城に帰ることはない。
26 どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ。気にするな。
27 返す返す秀頼のこと 頼み申し候 五人の衆 頼み申し候 頼み申し候
28 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 ※ 辞世の句

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猫と猫的な人間の出逢い – 連載コラム「猫の名言」


photo: torne (where’s my lens cap?)

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 50 「猫と猫的な人間の出逢い」

 
猫は人間の規範に添って生きることはないし、自分を決められた行動様式に合わせることもない。だからこそ、猫は創造的な人間と結びつくのだろう。

Andre Norton (アンドレ・ノートン 米国のSF作家 / 1912~2005)
 

 いよいよ当連載もとりあえず最終回となりました。
 大変長きに渡り、何方もがお忙しいこのご時世、短かからぬ文章に何時もお付き合い下さって、誠にありがとうございました。

 皆様からのご感想を伺う機会がありませんでしたが、先日思わぬところで民族音楽の関係で初めてお知り合いになった愛猫さんに、当連載のことをお話ししたら、「しばしば涙しながら全部熟読した」と言って下さって、予想外のことに驚かされました。
 
 「意味が分からない」とか、「まぁ意見としては面白いかもね」というご感想の方が多いのだろう、と思っていたからです。勿論、それが事実で、感想を下さった方はお優しいリップサービスも加えて下さったのだろうとも思います。

 
 とは言いつつ、極力普遍的なもの、そして「樹を見て森を観ず」のような個人的な印象論や決めつけに成らないようには心がけて来たつもりです。なので、もしかしたら「意味が分からない」と思われた方も、しばらく経って読み返して下さると、また異なった印象を感じるかも知れません。

 「自画自賛」のように聴こえるかも知れませんが…………。
「普遍的」というものは、昨今では「大衆的」と混同されがちですが、本来「普遍的」というものは、得てして「一見して当たり前のように思えたり」もしくは、その逆の「分からない」と思えるものだという意味で申し上げています。

 もしこの先、読み直しで下さって新たな再発見でもありましたら、是非ブログ(Ameblo)の方にでもメッセージをお寄せ下さると幸いです。(日頃あまり更新していないので恐縮ですが)

 
 この「個人の印象か?普遍的か?」「普遍性は大衆性か?」というテーマは、
正に本日の表題の名言が言わんとしている奥の意味に強く関わります。

 表題の言葉は、もう既に何も加える必要の無い程に「分かり易く」「言い得ている」と言えます。が、強いて言えば、猫という存在を媒体にして「人間の創造は、規範や既存の様式に添わない」と言っているとも考えられます。

 しかし、そこに「猫」という、極めて「マイペース」で、しばしば「我が儘」で「身勝手」のように誤解される存在を介在しますと、
 
 「ありのまま」の中から「非常識なもの」が生まれ、それが「新鮮な創造物」となる、かのような「公式」さえ見出すことが出来ます。
 が、果たして語り手のアンドレ・ノートン(このペンネームは男性名ですが、女性のようです)の意図はそうなのでしょうか?

 私が最も意外に思い、驚き感心しましたのは、、彼女の作品は、同じく愛猫家のSF作家H・G・ウェルズ同様に人間の「文明(科学)」の行き着いた先の「わくわくドキドキする未来世界」を描いている、ということです。彼女のヒット作は「ミュータント少年」の物語であり、「宇宙関連」が特に目立ちます。

 つまり、逆説的に不思議なことに、(前回のファーブルの名言のテーマにも通じますが)「文明(科学)の発展と進化」を思い描いた人々の中に、傍らに猫を置いて居た人が少なくない。ならば、そこには何らかの「関連性」があるのではないか? ということなのです。

 これについて詳しく述べる機会が今ないことは申し訳ございませんが、表題の名言が持つもうひとつの大切な要素(提議)である「創造とは?」ということと絡めてならば、是非、今回お話しすべきと思っています。
 
 つまり、「新たな創造」とは、人間の歴史を振り返れば、それは常に「既成観念」や「既存の物」を覆す、「全く新しい発想」でありました。しかし、人々はそれに驚きながらもやがてはそれを享受し、そして「当たり前」になって行き、新たな「改革/革新的なもの」を追い求めたり、待ち望んで来た訳です。

 しかし、その仕組こそが、ファーブルが懸念したものであり、言わば「一本道を邁進する」かのような物であったのでは? と考え直してみるとどうでしょうか?
 そう考えると「単に新たな刺戟が欲しかっただけ」とも言えるのではないでしょうか? その傾向は、高度成長期が終わり、「生活必需品」は殆ど揃ってしまった後、それでも「購買意欲」を促すための様々な工夫や付加価値によって「市場経済を活性化させ続ける」という大命題に襲われるようになってから、一層顕著になったように思います。 

 それ故に、巷では「えっ?まだそんな? そんなものはもう古い古い!」などと言われて恥をかく。「私はこれが良いのだ!」などというと「古くさい」とか「懐古主義」などと言われ「前向きじゃない」と仲間外れにも成りかねません。

 このような不思議な風潮が何故か、数百年前から当たり前のように蔓延し、「常に革新的」であることが「進歩であり成長であり発展である」として来たのが人間とその文明の歴史であると言えます。

 しかし、例えば、「無農薬野菜」や「スローフード」「マクロビオティック」などは、明らかに「復古主義的」とも言えます。また「流行はくり返される」とも言います。
 更に、それら以上に、「物事の見方や考え方」は、「コロンブスの卵」のようなことも多くあった筈です。少なくとも、近年の医学の飛躍的な進歩のひとつには、「発想の転換」というものが多く見られます。

 
 さすれば「創造」とは、何も「真新しい」ものや「奇抜なもの」「既成観念を打破するもの」ばかりではないかも知れないということです。

 そう考えて、この連載に登場した「猫と深く関わる著名人」の作品や業績を振り返ってみると、意外にも(もしくは、予想以上に)「或る種の共通性」が見えて来るのです。

 それは、殆どの著名人の業績や作品が、数十年、場合によっては数百年経った今日でも色褪せることなく、「新鮮で斬新である」ということです。逆に、この連載に登場しなかった人々の作品や業績で、その時ばかりは大いに話題になっても、程なく忘れ去れているものはとても多いのだろうと思います。 

 もちろんこのことは、厳しく吟味して概念を構築しての話しではなく、あくまでも私の印象的な認識ですが、実際この連載の50編の中の30編前後の「猫に関する名言」以外は、「あまり大したものが無い」と言っては失礼ですが、「猫賛美犬けなし」のものが残る程度で、ほぼ世界に知られている名言の殆どが網羅されたのだろうと思います。その一仕事を終えて「気付けば」のことですから、ある程度事実に近い印象なのではないでしょうか。

 そして、気付いてから考えてみれば、なるほど合点が行きました。というのは、その「色褪せない業績」は、何れも「珍しさ、奇を衒った、既成観念の打破」ではない「新しさ=発想の転換」であったり、今まで人が「見落としていた、考え落としていた」ようなことが主体であるからでした。やはりそのようなものは、時代が変わっても、流行や価値観がめまぐるしく変化しようとも、ある程度「普遍的」に存在するものなのでしょう。
 例えば、巷で「様々な新しい調味料」や「組み合わせの食べ方」が次々と考え出され新製品が生まれて行く中で、その逆転の発想は、「何も調味料をつけないこと」のようなものだと比喩することが出来ます。 
 
 表題の語り手アンドレ・ノートンにしても、「現代文明(科学)の先」を予測したり模索したりというよりは、「宇宙への飽くなき憧れと畏怖」というものが根本にあるような気がします。
 ただ、偉そうなことを言いますと、彼女は「きっと神髄を分かっている」のだろうけれど、まだ論理では整理で来て居ないような気がします。それ故、冒頭に書きましたような「規則に縛られないことが独創性の基本」のような幼稚で表面的な解釈も許してしまうのだとも思います。
 
 そもそも「自分を決められた行動様式に合わせることもない」というのも実に言葉足らずで、「人間が決めた行動様式」に関してはそうですが、「猫が決めた様式」には従います。と言うよりむしろ「非常にこだわります」。しかし、それもまた「猫が決めた」というよりは、「自然の摂理」や「状況や状態からの必然」に素直であるのだろうと思います。(これは比較的最近気付いたのですが)

 例えば、その例を挙げれば、前々から、「食事」ってなると、必ず「爪研ぎ」をする子が何頭か現れますが、最近やっと分かったのですが、そうやって「一旦気を落ち着けないと、無茶喰いをして嘔吐してしまう」と気付いた子のようなのです。
 また、しばしば「皿からわざわざ手で床にこぼして食べる子」は、懸命に「食欲を増そう」と努力しているようです。体調が良い時にはしませんし。 更に、必ず隣から顔を出す子を1~2回ひっぱたく意地悪で勝ち気な姉御も居ます。それもまた、自らの食欲を鼓舞するようであり、弟分の逸る気持ちを抑えているようでもあります。などなど、「考え直し」をしてみると、気付かなかった「答え」というものに辿り着くのです。

 それもこれも猫と感覚が「同化しつつある」私の経年変化なのだろうと共に、「分かろう」という想いの為せるものである訳ですが、その一方で、
 「今ある姿には必ず理由(道理)がある」
 けれど
 「その理由(道理)を分かれば代替もあり得る」というところに、
 新たな発見と創意が生まれるような気がします。
 
 そして、それは「単なる珍しさや奇を衒ったもの」では全くない為、
 時代が変わってもその価値は損なわれない。
 なにしろ、変えられないし替わりがない「本質」にとって、
 極めて「相性が良い(自然な)もの」であるからです。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫と人間の生まれ変わり – 連載コラム「猫の名言」


photo: Carolina Barría Kemp

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 49 「猫と人間の生まれ変わり」

 
人間というものは、進歩に進歩を重ねた挙げ句の果てに、文明と名付けられるものの行き過ぎの為に自滅して滅びてしまう日が来るように思われる。

Jean-Henri Fabre (ジャン・アンリ・ファーブル フランスの博物学者 / 1823~1915)
 

 何時もご高読下さり、ありがとうございます。

 このサイトさんの御厚意で書かせて頂きました「猫の名言」の50編は、
 「世界の著名人の猫についての名言」「世界の猫にまつわる諺」
 そして、「世界の著名人で愛猫家、もしくは極めて猫的な人の名言」
 少し、「猫が語ってくれた(と私が思い込んでいる)言葉」をご紹介して来ました。
 
 
 三番目のジャンルの最後になります今回は、
 世界的に有名な昆虫学者アンリ・ファーブルは、とりわけ「愛猫家」としては紹介されませんが、その生涯を知りますと、「猫が居なかったことは無い」ほど、常に猫は家族だったようなのです。

 
 「進歩させた文明によって人間は自滅の方向性に在る」と要約出来るこの名言は、
 原っぱで何時間も何日も、小さな「虫けら」の暮らしを観察したファーブルにとって、もしかしたら晩年に見聞きした、第一次大戦によって自然が大きく破壊された狂気の様を言っているのかも知れません。
 ですが、92歳という長寿で亡くなる一年前に、喉かな南フランスで余生を送っていた時のことだけでの言葉であるとも思えません。

 
 しかし、いずれにしても今から100年以上も前の世界を観て、この名言を残したファーブルは、やはりただ者ではありません。

 逆に言うと、ファーブルのような警告を発する人間が居たにも拘らず、人間はとうとう100年以上もの間、殆ど何の顧みも無く、とうとう楽観が出来なそうな状態の時代に至ってしまったとも言えます。つまり、ファーブルが「ただ者ではない」のか? 人間が「余程の馬鹿者」なのか? ということです。

 
 名言では「文明」と抽象的に述べていますが、その実態は「科学とその応用(活用)」に他ならないことは言うまでもありません。

 では、何故人間は「自滅の方向性であると考えせずに文明(科学)を発展させたのか?」というテーマと、どうしてファーブルは100年以上も前に、この言葉を発し得たのか?というテーマが浮かんで来ます。

 前者は、案外単純な理由なのでしょう。それは、子どもが「ご飯を食べずにデザートばかり食べたがる」のと同じに、人間は、「楽したい」「満足したい」という本能を持って居るからに他成りません。

 この「楽をしたい」という本能は、人間に「工夫する」「知恵を働かせる」という作用をもたらしました。ところが、人間は、それを「何処まででストップさせるか?」を全く考えなかったのです。

 なので、「運動不足」になって健康を害する程「楽」をしたり、「食べ過ぎ」で胃腸を壊すまで自制することが出来なかったようなことを、あらゆる事柄で行ってしまった訳です。
 
 また、人間の「向上心、探究心」というものもまた、「諸刃の剣」で、良い面もあると共に「飽くなき欲求」「常に欲求不満」の錯覚をも呼び起こし、やはり上記の方向に行き着いてしまう面もあります。

 つまりは、ファーブルも勿論分かっての言葉でしょうけれど、
 「文明(科学)の発展」が悪いのではなく、人間が「その使い道」と「限度」、及び
 それによる「弊害」と「副作用」をしっかり考えなかったことが犯人であることもまた、紛れも無いことでしょう。 

 そこに加えて「文明(科学)」そのものではなく、
 より正しくは、「文明(科学)の活用」であることもまた改めて考えねばなりません。

 
 私は、このテーマを考える度に、何度かお話したと思いますが,ノーベル賞受賞者の山中伸弥(2012年ノーベル生理学・医学賞)教授の言葉を思い出します。
 ある意味、翌年の受賞者:大隅良典(2016年ノーベル生理学・医学賞)教授の言葉も同じことを言っているのかも知れません。

  山中氏の言葉で最も感銘を憶えましたのは、「予想に反する結果にワクワクする(要約)」と、「最近の研究者はそのような時、大概愕然とする(要約)」です。
 後者はあまり何度も強調されてはいなかったと思いますが、確かに一回は述べてらしたと思います。
 
 これらの言葉は、大隅教授の「近年は、基礎研究が出来にくいが、これが最も大切(要約)」と実は全く同じではないか、と考えます。

 つまり、敢えて言葉を悪く言いますと「役に立たない」もしくは「役に立つかどうか分からない」研究を、「ワクワクしながらやっていた結果」が大発見・大発明であるということです。

 言い換えれば、「役に立つかどうか分からない研究」に対しても、伸び伸びとことん出来るような理解と環境が必要だ。でなければ「大発明・大発見も生まれ難い」ということです。
 しかし現実は、どうしても「役に立つもの」に予算が出るのが当たり前であり、それが時代と共により厳しくなっているようなのです。

  逆にこの数年の間に、その成果を急ぐあまり、もしくはその暗黙のプレッシャーの中での研究であったが為に、「誤解?勘違い?」かははっきりしませんが、結果的に「不正研究」とされた出来事もありました。

 「そんなことは昔から同じだろう」とおっしゃる人もいるかも知れません。

 しかし、問題は、科学者・研究者の意識、心持ちの問題なのです。

 勿論、どんな研究者も、ある程度の「テーマや的」はあるに違いありません。 ですが、「仮説」が裏切られる度にむしろ「ワクワク」する、というのは、常に「大自然」と向い合っていると、そこに「人智や科学」を超越した世界や、時にはあざ笑われるかのような畏怖の念を抱く「何か」が感じられるというのが、昔からの科学者・研究者だったのではないでしょうか。

 勿論、そのような「意識/心持ち」も、全て余裕がもたらすものであるかも知れません。しかし、逆に言えば、「科学文明が発展し、便利になればなるほど、その余裕が失われて行く」という皮肉な方向性であるとも言える訳です。

 ファーブルでさえも晩年は、スポンサーや定職に恵まれず、貧しい暮らしを余儀なくされたと言いますから、100年後の今日では、長閑に一日中、「糞転がし」を眺めているような「科学」は、まずもって許されないのかも知れません。
 さりとて「プロの研究者」という人々は、アマチュアの趣味の領域とは異なり、常に「生活する」ということからのプレッシャーや危機感も必要なのかも知れません。
 
 大金持ちの道楽で、膨大な資金と最新技術を駆使して成し遂げた発見もありましょうが、やはり「我が身を追いつめたところで得られる覚醒と閃き」というのも大切なのかも知れません。

 ファーブルに言わせれば、「それこそ神の領域に入り込む者の最低限の資格」なのかもしれないと思わせるのは、ファーブルの別な言葉があるからです。
 それは、

 死は終わりではない、更に高貴な生への入り口である。

 勿論、ファーブルは「輪廻転生」を信じないキリスト教文化で生まれ育った人なのですから、「更なる高貴な生」は、天国でのことなのかも知れません。
 
 しかし、「大自然」というものと対峙している時、たかだか2千年程度の「新しい宗教」では説かれていない「深遠なる世界」を感じるということはありえます。
 勿論、仮にファーブルが述べたことが「輪廻転生」であったとしても、「来世が今生より高貴である保証」もない筈ですから、何とも判断し難いものがあります。

 ただ、ファーブルの専門の昆虫と、常に傍らに居た猫のことを考えると、ファーブルの言う「高貴」とは、今に生きる私たちが実感する「至福」とは必ずしも同じではないと、言えるかも知れません。

 私の16年前の昆虫飼育の最初の頃の感動の想い出ですが、
 子どもの頃に「カブトムシ」を採ったエリアがすっかり様変わりしていたのですが、奇蹟的にたった一匹のメスを摑まえることが出来たのです。

  しかし、夏も終わりに近かったので、程なく死んでしまい、その悲しみに加えて、良い歳になって「昆虫飼育」なぞするもんじゃないな。どっちにしても死んでしまうのなら、「自然のままに置いておけば良かった」と我に返った想いをしたのです。
 ところが、日にちも少ないし、ペアリングの雄も居なかったので考えもしなかったのですが、一月程すると、彼女が去った飼育ケースの中に、70匹もの赤ん坊(幼虫)が生まれたのです。勿論次第に数は減りましたが、その後、五年は累代(代替わり)しました。十数匹は、母親の居た林にも戻しました。

 私の身勝手な解釈かも知れませんが。「一匹が80匹の分身になった」ような驚きと感動でした。
 私たちの身体の37兆とも言われる細胞の多くが、ある程度の時を経て死滅し生まれ変わる様に。たった一匹のメスが、80匹に生まれ変わったような錯覚を憶えたのです。
 そのような感動体験を何十年も毎年のように体験して来たファーブルにとって、個々の細胞や、人間や生き物の意識が「至福」を実感する以前に、そのこと自体が「高貴」なのではないか? そう思える訳なのです。

 少なくともファーブルに関して言えば、その子孫は今もフランスの何処かに何人か居るでしょうし、何よりも、縁も所縁もないこの私が100年経ってもこうして語るということもまた、彼の「研究に邁進し、常に探究心を絶やさなかった」姿が生き続けているからこそ、と思います。

 そんな「森羅万象」を感じる人間であったからこそ、ファーブルの「役に立たない研究」でさえも、人間の心を打ち、語り継がれている。「今の世の中にそういう研究者が生まれ得るか?」というテーマもありますが、少なくともファーブルの時代の研究者が持っていた「心持ち」に対する感動と敬意だけは、失いたくないものだと思います。
 それは或る意味「役に立つ大発明」と同じ位の価値があるのではないでしょうか?

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫賛美と猫けなし – 連載コラム「猫の名言」


photo: William Yeung

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 48 「猫賛美と猫けなし」

 
三月の猫の様に惚れっぽい
ポーランドの諺

雑犬の毛並は悪いが魂は清らかだ。猫の毛並は美しいが魂は黒い
タタールの諺

猫の断食
トルコの諺

猫は祭りを恐れない
コートジヴォアールの諺
 

こんにちは、
 何時もご愛読頂きまして、誠にありがとうございます。

 本日の「猫の名言」は、世界各地の「猫にまつわる諺」の中から
 「猫賛美の諺」と「猫けなしの諺」を数編、
 ご一緒にその意味を考えて頂けたらと思います。

 
 三月の猫の様に惚れっぽい(ポーランドの諺)

 まず、東欧北部のポーランドの諺は、いたってシンプルで、世界の他にもありそうな「猫のサカリ」に関連しての「諺」です。
 ポーランドでは、冬は極寒の地方であるにも拘らず、猫は半外飼いなのでしょうか? 
 日本でも1970年代位まではそうだったように、避妊・虚勢するという習慣もなかったのかも知れません。

 そうすると、猫は、表題の言葉通りに、冬の後半に「サカリ」が来て、春先に出産、夏過ぎには子離れしてしまいます。なので、放って置くと、秋口にはまた「サカリ」となる訳ですが。何分「諺」のことです。「三月と九月の猫の様に」などというと回りくどいので「三月」だけにしたのかも知れません。
 
 また、ポーランドのような寒い国では尚更でしょうが、三月はまだまだ寒い日がありますから、人々は家に閉じこもって夜の町や村は「しーん」と静かなのでしょう。
 そこに「サカリのLove Song」のダミ声や喧嘩声のような激しい声がこだまするわけです。
 それに対して九月はまだ暖かいのでしょうか? 冬ほど閉じこもって居なければ、「サカリの声」も三月ほど酷くは感じないのかも知れません。
 
 そして、この「諺」は、極めてシンプルで素直に
 「おい!どうしたんだい? 息巻いて!」「まるで『三月の猫』みたいじゃないか!」
 のように言ったのでしょう。

 ポーランドも田舎に行けば、昔のままのたたずまいかも知れませんが、都会では、日本の都会と同じように、実際「三月、九月」どころではないのが、哀しい実状かも知れません。
 と言うのも、野良たちの場合、子離れ親離れが早いことと、様々な要因で都会の猫は自然の本能が狂わされていることもあるでしょう。初夏や年末や年初めにも「サカリ」になってしまうこともあって、昔は「年二回」がせいぜいだったのが、「三四回」ということもあるようですし、同じ猫ではなくても「皆が同様に三月と九月」ではなくなっていて、夏や冬に産んでしまうことがあるようなのです。
 
 当然のように、冬に生まれた子は、母親も弱っていますし、春を迎えられない乳児も多くなります。また、秋に生まれた子は、充分に育つ前に冬を迎え、同様の哀しいことが起きるようです。
 なので、「諺」自体は、「猫賛美」でも「猫けなし」でもないのでしょうけれど、
 「猫のサカリ」に関わる話しを聞いてしまうと、どうしても哀しい話題を思い出さずにはいられないのです。

 最近では、人間が生きて行くのも大変になり、私の「猫の会」への義援金もほんの数名の方がご無理して下さっている状況になりました。

 なのに先日、あり得ない状況の中で、生まれてひと月ほどの赤ん坊に呼び止められてしまいました。自転車で買い物帰りの道すがら、小雨が振って来たので「急ごう!」と思った矢先です。

 民家の裏庭から声がするので、歩道から声を掛けると、「とことこ」と出て来てしまい。そのお家が真っ暗だったので、とりあえず急いで連れて帰りました。
 翌日、お伺いしたところ「知らない!」「家では飼ってない」のお返事でしたから、「野良の子」なのでしょう。でも二三件廻っても同じ返事でした。不思議なことです。
 
 もっと不思議なことは、自転車でしたから、降りて片手で自転車を牽き、片手でその子を胸に抱きしめている間。なんとその子は道中10分程、全てが分かっていたかのように、暴れも鳴きもせず。じっとしがみついて家まで辿り着いたのでした。

 その子だけ天から降ってきたのでしょうか? 普通に考えれば数頭生まれ、何故か親兄弟と逸れてしまった。飢えや寒さも怖いですが、烏もとても怖いのが今日この頃です。

 
 雑犬の毛並は悪いが魂は清らかだ。猫の毛並は美しいが魂は黒い(タタールの諺)
 
 打って変わって、「ちょっとこれは誤解!思い込みですよ!」と言いたい「諺」です。
 タタール人(民族)は、近代でこそ彼のスターリンに強制的に西に移住させられたともいわれ、元々はシルクロードを闊歩する遊牧民族の一群で、西洋の「タルタル・ソース]の語源となった民族料理で知られる人々ですから、トルコ系、フン系が入り交じろうとも、基本的には「犬は好きじゃないが猫は嫌いじゃない」筈なのですが、どうも一世紀近い苦難の歴史の間に変わってしまったのでしょうか? 
 
 また、犬と猫では、その魂の純粋さはそんなに変わらないと思います。むしろ、生き様と言いましょうか、性質ではなく性格的には、やはり群棲の犬は「社会的で従順」で、独立(単独)棲の猫は「マイペース」という部分を「魂」と大げさに言っているようで、恐縮ながら、この「諺」だけで言う限りに於いては、「タタールさん」ちょっと決めつけな上に考察が浅いのでは?と思ってしまいます。

 尤も、「表現」として「悪い、黒い」というのは、必ずしも文字通りや表面的な意味ではなく。つまり、「浅いぞ」と言う私の方が「浅い」場合がありますから、一概には言えませんが……….。それでも「犬は清らか」と並べているのですから、やはり決めつけなのでしょう。 しかし「諺」としては長過ぎるこれは、一体どのように日常活用するのでしょう?

 
 猫の断食(トルコの諺)

 民族的にも歴史、文化的にもタタール人との関わりが浅くないトルコ人のこの「諺」は、「賛美でもけなしでもない」ということなのでしょう。しかも、使い方は二通りあるようです。(知らない!と言ったトルコ人の友人の方が多かったですが)
 
 つまり「えっ?お前が酒を断つだと?『猫の断食』じゃああるまいし!無理に決まってら」のような、「無理」「あり得ない」「止めときな」という場合と、
 「珍しく酒飲んでないんだって? 『猫の断食』のようだなぁ 大丈夫か?」のように、「珍しい」「心配」という意味合いです。

 実際、後者の場合、一般人が思っているよりは猫の身体と健康にとっては大きな問題で、猫は、腎臓や肝臓(或る意味)が、犬や人間ほど丈夫でない替わりに、
 「筋肉」が臓器としての役割(代謝や貯蓄などで)が高いという説もあり、
 実際「三日」食べない状態が続くと、早速危険な状態になり、「筋肉の貯蓄」更には「骨の貯蓄」を消化代謝してしまうとも言われます。

 それらは、幼少青年期の元気な時に蓄えるクセを付けたものですから、
 老齢になると、「元に戻りにくい」ということになってしまい、老化や病気が加速するとも言われます。
 
 その一方で、最近人間の「免疫機能」に関しては「断食法」が言われていますが、猫にもある程度はあるのかも知れません。しかし、上記の性質を考えると必ずしも当てはまらない可能性も考えられます。しかし、夜行性の本質的な傾向としては、朝~午前中に「一食抜く」というファスティングは健康管理には良いようです。

 などなど、「猫にとっての食事と断食」は、結構深いテーマです。

 トルコ人の場合、後者の意味合いでこの「諺」を使っている人は、
 猫に対する思いやりの感覚を豊かに持っているのだなぁと思わされます。

 
 猫は祭りを恐れない(コートジヴォアールの諺)
 
 コートシヴォアールがある西アフリカは、善くも悪くも西洋キリスト教的、及び東洋の儒教的な倫理観の尺度では計り知れない感覚が多く見られます。
 私には、西アフリカの音楽の師匠の他に、歌の歌詞を教わった友人や知人が結構居ます。一頃TVに良く出ていたサンコンさんともお仕事が一緒になったこともあり、色々お話を聴きました。

 そんな中で、この「諺」で思い出すことが「アフリカの閂」についてです。
 その話しでは、その部族の村の「閂」は、子どもでも簡単に開けられる、「フック」を掛けて、「楔状の棒を差し込むだけ」だと言うのですが、
 大切な「穀物や家畜」が、何故そんな不用心な仕組みでも、隣の部族の泥棒に入られないのか?と言うと、その「楔状の棒の元」には、隣の部族が怖れる「神」か「魔神」が彫刻されているというのです。

 恐らく、ヨーロッパやアジアでは、少なくとも中世以降。古いところでは古代で既に、「奉りを恐れる」という「畏怖の念」は失われているのでしょう。
 
 しかし、「アニミズム(自然崇拝)」が根強い地域では、「奉り」は、「楽しむもの」ではありません。結果として、ある程度の「トランス(恍惚)」状態になったり、あたかも「歓喜」しているかのような興奮や盛り上がりがあろうと、それは「神々との一体化」のようなもので、人間が娯楽をエンジョイする感覚とは異なるものなのです。

 故に、「諺」は、
 「猫は奉りを楽しまない」とはならない訳なのです。

 とは言え、この「諺」もまた、二通りの使い方がありそうです。
 
 あまり猫が好きじゃないとか、興味がない人は、
 「猫には奉りの意味や深みが分からない」つまり「馬の耳に念仏」や
 「猫に小判」的な意味合いで用いるかも知れません。

 しかし、逆の場合、
 「猫には神々が見えている」
 「だから、おどろおどろしい儀式や人間の狂気の様を見ても恐がらない」
 という全く逆の意味合いも考えられます。

 以前にも何処かでお話したと思いますが、
 猫が時々「蜥蜴の尻尾」や「蝉」を持って来てくれることがある、
 という体験をした愛猫家さんは少なくないと思われます。

 「ただ運んで来て、飽きて放っただけだろ?」と思う人も居るかも知れませんが、
 「とことこ」と銜えてやって来ては、丁寧に「どうぞ」と置いて行くこともあります。

 そして、「ああ、これはあれのお礼なんだな?」と思いつく飼い主さんも多いようです。
 つまり猫は「お礼」という概念を理解しているのです。
 ということは「神々への供物、貢ぎ物」の感覚が分かっているということに他なりません。

 尤も、現代では、「お礼」や「お返し」というものが、
 「本音では面倒臭い」ことがお互いに分かっているものですから、
 「お互いの労り、気遣い」の意味合いで「社交辞令はよしましょう」などとされます。

 つまり、「お礼、お返し」というものが、「人間対人間」になってしまったからに他ならない感覚なのです。
 しかし、昔の人は、「頂き物」や「お礼、お返し」は、
 まず「神棚」や「仏壇」にお供えし、「人と人の有難い関わりや気持ち」も全て
 神々に感謝したものでした。

 それが「近代化」や「合理化」によって、「人間の社会的な問題」や「慣習」
 「義理の意思表示」などに変化し、やがて、本音では「面倒臭い」とか
 「これ見よがしに馬鹿丁寧で堅苦しい」などと感じるようになった、
 と考えることが出来ます。

 もっとも、猫が「お礼」を持って来たとしても、
 それが「神々との関わり」を意味しているという確固たる証拠はないのですが、
 それでも「群棲ではない=社会性はほとんど重んじない」猫のことです。
 
 それを「猫のお礼」から差し引くと、そこには、「純粋な感謝」もしくは、
 「お礼、お返し、供物、貢ぎ物」の感覚が確かに存在する、
 ということにもなるのではないでしょうか?

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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お寺の廊下の陽だまりの猫 – 連載コラム「猫の名言」


photo: Caffè Artistico

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 47 「お寺の廊下の陽だまりの猫」

 
虎になれて、何故猫になれん

朝比奈宗源(臨済宗禅僧 / 1891~1979)
 

 流石禅僧のお言葉。
 端的な中に、奥行きが感じられます。

 
 鎌倉円覚寺住職の朝比奈宗源氏は、時代劇の題字を書いたことで一般にも知られると共に、1963年に「世界連邦日本仏教徒協議会」を結成し、世界平和のためのユニバーサルな運動も展開されました。ところが、その5年後、禅僧ですが伊勢神宮に参拝した際、「世界平和も大切だが、今の日本のことをしっかりやらないといけない」という天啓を受け「日本を守る会」の運動にシフトしたと言われます。

 数々の著書の多くは仏法を基本にした人間の生き方、心持ちを説いたものですが、「現代を生きる心」「若い人への手紙」「覚悟はよいか」など、直接的に今日の日本人に訴える、切なる願いに満ちたものが強い印象を与えます。
 表題の言葉は、一説には同じ臨済宗の江戸末期~明治大正の高僧:釈宗演の言葉の引用とも言われます。

 
 冒頭で私は、表題の言葉に「奥行き」があると述べました。
この奥行きを「深み」と言いますと、ちょっと違うような気もします。
 何故ならば、「言葉や想いの深み」とか「重み」というと、ややかしこまった気分にさせられます。

 しかし、宗源和尚のお言葉には、そのような堅さは感じられず、むしろ伸び伸びとした心持ちが感じられます。それは和尚が猫を「或る種の理想像」として見事に引用されたからではないでしょうか。

 「重み」に対しては、それを引き受ける覚悟が要求されるような気がします。
 「深み」と言われると、所謂「深いねー!」と気楽に眺めているのならば良いですが、いざ、その深淵の世界に入って行こうとすると、中途半端では居場所が無いような感じがします。
 
  ところが宗源和尚のお言葉に感じる「奥行き」は、大げさに言えば、
 「無限の広がり」であり、「世界」を通り越して(とっくに包括して)「宇宙に繋がる」感覚さえ憶えるのです。
 
  表題の言葉を初めて知った(読んだ)時、実際は違うかも知れませんが、
 暖かい陽射しが入りつつも、落ち着いた真摯な空気が漂う僧坊の広い畳の部屋と
 お坊さんたちが丹念に磨いた歴史ある木の廊下が感じられました。

  その何処までも続くような廊下の「奥行き」の中で私たちの想いや心は、
 「何処に居ても良い」そんな印象を強く感じたのです。
 
  そして、猫は、その中の一番暖かで居心地の良いところで「昼寝」をしているのでしょう。

 そうイメージすると、確かにその場には「虎」は、居場所がなさそうです。
 「猫を被る」どころか、もし虎がそこに居たいのならば、
 心底「猫」にならないと居られないような感じのする、「柔らかな空間」です。

 しかし、その場所は、とても敬虔で清らかで落ち着いた場所です。
 好き勝手に大の字になって寝転ぶような場所でもない。

 その意味では、お寺の縁側で丸くなって昼寝する猫の姿は、誠にその場に相応しい姿ではないでしょうか。
 勿論、猫の中には暑い夏、大の字になって寝る子も居ます。またお行儀良く丸くなっているのも、礼儀正しさではなく、それが「最も心地良い」からの自然な姿であり、素直と言えば聞こえが良いですが、単なる我が儘の結果かも知れません。

 しかし、猫が「大の字」になる時は、余程安全を確信していなければ、あり得ません。縁側の猫も、屋外の軒の上の猫も、同じ様に丸くなるのは、
 何時何が起ろうとも即座に対処出来る緊張感は捨てていないからに他成りません。

 この意味では、廊下の猫の姿は、程よく安心しながら陽の恵の暖かさを存分に享受しつつ、決して油断したり、だらけたり、甘えたりはしない。宗源和尚の僧坊の廊下に、最も相応しい似合ったたたずまいかも知れません。

 逆に、虎は可愛そうな気もします。まるで幼児に返ったようであるか、気が抜けた力の無い状態にでもならないと、日だまりの廊下で「猫」のようには居られないような感じがします。

 そんな風景や想像を思いめぐらせますと、改めて「流石禅僧のお言葉」と、
 改めて、その「奥行き」の見事さ、暖かさ、そして、厳しさ、清らかさを感じる訳です。

 虎になるのは簡単だ。時に哀れなほど大変だけれど、簡単だ。
 しかし、
 猫になるのはもっと大変だ。力を抜きながらも気を抜かない。
 気を張らずに、だらけない。

 そんな教えが伝わってくるような気がします。

 それもこれも、
 宗源和尚が、「猫」を引き合いに説いて下さったから分かったことです。
 
 しかし、人間は、数多の「業」を引き受けて行きて行かねばならず、
 猫のように「悟り切った」姿で一生を終える訳には行きません。
 
 縁側で猫が昼寝するような喉かな場所に於いてこそ、
 猫が居づらくならないような「ゆとりある心」で、
 聡明な思考と、不屈不断の決意を抱いて、己の内面に確かな答えを見出し、
 柔らかく立ち上がらねばならないのでしょう。

 猫たちが猫で居られるように。
 虎も竹林の何処かでこっそり「猫」になれるように。
 世の中や大自然の安寧を保つために、否、そのような世界に戻すために、
 人間にはきっと多くの責務が課せられているのではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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神としての猫、猫を通しての神 – 連載コラム「猫の名言」


photo: Tirso Lecointere

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 46 「神としての猫、猫を通しての神」

 
古代、猫は神として崇められていた。そのことを猫は忘れていない。

(不詳)
 

 今回の名言は、当連載50編の中でも、私的に最も意味深いものではないか、と想っています。しかし、残念ながら詠み人知らずです。

 確かに猫は、古代エジプトの古王朝の頃には神、もしくは神の使徒として崇められていました。しかし、古代エジプト新王朝の頃には既に「愛玩動物」に変化しています。

 また、西アジアや中央アジアでは犬より猫の方を圧倒的に優遇する民族が殆どです。故に、古代エジプトで「神/神の使徒」であった頃、古代メソポタミアでも同様であったのだろうと容易に推測出来ます。

 その二つの古代文明の土壌から、後にユダヤ教、キリスト教、イスラム教が興り、いずれも旧約聖書に基づくか、大きな基礎をそれに見出すことが出来ます。が、そこには「猫は神」と明言する記述は見当たりません。

 その一方で、古代エジプトでも、古代メソポタミアでも、またその後の地中海東部の今日、紛争が絶えないシリア北部や、今日のトルコ共和国の大部分を占めるアナトリア半島でも、「猫の神」もしくはそのイメージを継承する「スフィンクス」の類いと共に「或る種の神」であり、時には「魔神」の象徴であったのが、動物学的に見ても「猫の最大の天敵」である「蛇」でした。 神話にもしばしば登場し、石彫にも「蛇」が奉られていた痕跡が見られます。

 
 文献で辿ることが出来る歴史の中では、「猫の存在感」は、もっぱら「人間を鼠の害から守る益獣」としていますが、より昔古代や太古に於いては、「猫の天敵」は「蛇」だったのです。

 
 表題の文言「そのことを猫は忘れていない」の証拠となるのが、「猫の威嚇の声」と「尻尾」そして、「爪パンチ」です。

 「爪パンチ」に関しては、大型のネコ科のライオンやピューマ、豹、虎なども当然狩りの必要な手段ではある筈です。しかし、記録映画や動画をご覧になると分かるように、獲物を狩る時は、「爪パンチ」などする間もなく、前足で抑えた瞬間に大きな顎で喰らい付きトドメを刺します。
 故に、ライオンたちも同族同士のナワバリ争い以外には「爪パンチ」は使わないとも考えられます。

 「猫の威嚇の声」が「しゃー!」なのは、「蛇の声」の模倣という説があります。
「犬」は「うー ワン!」ですが、猫も「うー!」は言えるのですから、それが「最も効果的」と想えば「ワン」と威嚇するように進化した筈です。

 しかし、そうではなかった。古代メソポタミアの名言? 「目には目を、歯には歯を」のように、「蛇のしゃー!」には、やはり「しゃー!」が最も有効な威嚇手段。
 力が拮抗している場合、互いにその「武器」はほぼ同一になる。ということだったのでしょう。
 
 「尻尾」は、空を飛ぶ「モモンガ」では、「尾翼」の役を果たし、「猿」たちは、「第五の手足」のように巧みに活用しますが、様々な動物に於いて、特に何の役に立たずとも持っている場合はあります。
 昔の日本猫の基本のように「短尾」の猫が、木登りもジャンプも苦手であった、ということはない筈です。
 ところが猫の尻尾は、興奮したり、驚いたり、威嚇する時には毛が逆立ち、1.5倍近く太く見えます。これもまた、「しゃー!」とセットの「蛇の真似」という説があります。
 そして、前述の「爪パンチ」ですが、極めて高速で繰り出しては、瞬時に引っ込めるその技は、「蛇の噛み付き」と全く同じです。
 「猫」が蛇に勝つ時、「爪パンチ」を敵の真上から繰り出すことが上げられます。、山猫などが蛇を仕留める時は、真上から頭を強打していますが、蛇がそれをやろうとするならば、急所の腹を無防備に晒さねばなりません。

 また、蛇は、巻き付き締め付けることが出来る程の大蛇は別として、その牙ひとつしか武器がありませんが、猫は、それに見立てた二本の前足と、本来の牙のみっつも持っているのです。
 なので、この条件だけですと、圧倒的に「猫は蛇より強い」と言えます。しかし、毒蛇の「ひと咬み」は猫を容易に死に至らしめますが、猫の「みっつの牙」のひと咬みでは蛇を仕留めることは出来ませんので、結局は、「生きるか死ぬか」の真剣勝負となる訳です。

 尤も、猫の口内には、その猫自身にとっても強力な毒性を持つ細菌があるとも言われます。なので、猫同士の喧嘩で咬み傷があると、咬まれた部位によっては致命傷になります。

 私はどうも免疫が出来たようで、しかもお医者さんが「あり得ない!」と言う程代謝が速い質らしく、普通二日目以降に腫れて「膿」が出るのが、半日でそうなり、自分で絞り出してはお医者に行かず治ってしまうようになりました。しかし、初めの二三年は、発熱で全身がだるくなったり、結構辛い思いをしましたし、治まったと思っても、脊髄や神経に潜んでいる場合もあるらしいですから、素人療法は危険とも思ってはいます。

 
 このように、「猫と蛇」は、古代エジプトやメソポタミアに楔文字や、壁画、彫刻が生まれる前から「強力なライバル同士」だった可能性があるのです。

 そして、これは幾分、ミステリー好きな人々のテーマのようでもありますが、もし古代人に二つの流派(大部族)があったとして、一方は「蛇を神と奉り」他方が「猫を神と奉る」場合、その勢力争いの中で、猫と蛇の立場が変化したことも想像出来ます。

 その一方で、世界の殆どの古代宗教が、常に「二つの神々」を持っていました。
 何れも西はキリスト教、中部はイスラム教、東は仏教によって改宗させられてしまい、神話に残るだけですが。

 北欧神話では、「神々の住む天」の他に、「地獄とは別な神々の世界」が説かれています。インドのヒンドゥー教でもしかり。イランやメソポタミア、古代エジプトの古王朝でもしかり。しかし多くは、後の主流の神々に滅ぼされたり、地獄に落とされ「冥界の神」になったりしています。日本では、伊勢神宮の神々「アマテラス」を頂く「天津神」の他に、出雲に奉られている、元「国津神」の「オオクニヌシ」系の二つがあります(ました?)。

 勿論、これらには「先住民族の神」と「後から来た民族の神」という図式が見られる場合も多くあります。
 因に仏教では「別種の神々」は「阿修羅」などで、いずれも「邪悪」とされながらも、改心して仏教に帰依し、後は四天王の眷属などで仏典の守護に就きます。故に、仏様の入滅の際に、「猫は呼ばれなかった。鼠が知らせなかった。虎は呼ばれた。だから十二支に猫がない」などの話しに至る訳です。

 このような、まだまだ世界的にも明らかにされていない分野に於いて、「猫と蛇」の関係や、「猫が神(や使徒)だった時代」や「猫が神でなくなった訳」などの謎があるのです。

 しかし、だからと言って、表題の文言を「猫は未だに人間を僕(しもべ)と考え、自らを神だと思っている」という単純な話しではありません。
 確かに猫の中には態度がデカイ子も居ますし、気付けば私たち愛猫家は、猫に振り回されっぱなしで、まるで「僕(しもべ)」のようです。ですが文言は、そういう意味ではないのです。

 
 人間の本質に普遍的にある神に対する「本音」は、
 「もし居るなら出て来て側に居ておくれ」であることは「偶像崇拝」と「それを禁じる」対峙した教義によって明らかです。より上記の「本音」の思いが強ければ、なまじ人間の作った偶像では哀しい、と後者になることはあり得ます。
 つまり「偶像崇拝」も「それを禁じる教義」も、同じく「神の出現」を望んでいるという意味に於いては対立しないと言えるのです。

 古代エジプトでは、ほぼ実物大からせいぜい倍ほどの大きさの猫の像が作られると共に、巨大なスフィンクスも作られました。恐らく、表題の文言でいうところの「猫=神」は、スフィンクスのような巨大な存在なのでしょう。故に、実際の猫は、またちょっと異なる意味合いがあったに違いないのです。

 今日私たちの膝の上で気持ち良さそうに昼寝をしてばかりの猫の先祖は、人間が神の意志を分かろうとするために、神に強請って側に置いた、メッセンジャーなのではないか、と思えてなりません。
 その理由は、この連載を通じてお話しして来ました様々なことの全てが、「自然の摂理」「運命や宿命」「樹に捕われずに森(森羅万象=宇宙)を観る(感じる、意識する)」などといったテーマに通じるからです。
 
 そして、私のインド音楽やインド哲学、ヒンドゥー教、アラブ音楽やイスラム教の勉強はかれこれ45年になりますが、今回お話ししましたような考えに至ったのは、猫と改めて暮らすようになったこの20年のことなのです。
 不思議なことに、猫の御陰で、私自身の生い立ちから人生と、学んで来た様々なことが、全て符合し習合して行ったのです。

 少なくとも、私には、「最高の師匠」であることは間違いありません。

 そして、私のみならず多くの人間にとって普遍的な意味で、
 「神」という存在が、「願いを叶えてくれる」とか「守ってくれる」ということだけでなく。人間が学び続けることと、忘れてはならないことを思い出すために不可欠な「師」であることが真っ先に重要な意味であったならば。
 
 人間は既に古代エジプト新王朝の頃に、それを忘れ始めたのかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫好きが嵩じると猫に成る? – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: dave.see

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 45 「猫好きが嵩じると猫に成る?」

 
好かれているか拒否されているかによって、魅力的にもなれば嫌味たらしくもなる。サティーは、一筋縄ではいかない人物だった。

Anne Rey (アンヌ・レエ)
 

何時もお読み頂きまして、誠にありがとうございます。

 今回の言葉は、当連載の中でもちょっと異色な方面からの言葉です。

 当連載では、「(主に)愛猫家が述べた猫についての言葉」と、「愛猫家で知られる著名人の如何にも猫的な発想の言葉」をメインに、「猫についての世界の諺」などを織り込みながらご紹介して来ました。

 今回の言葉は、ドビュッシーやラベルとも親交があった、フランスの奇才(作曲家)エリック・サティーについて何冊かの著作を発表している、アンヌ・レエがサティーについて語った一言です。

 しかし、まるで「猫」について語っているかのような言葉です。
 やはりサティーは筋金入りの「猫的な人間」だったことの証言でもあるわけです。

 つまり、表題の文言は、素直にそのまま受け取って
「猫は、好かれているか拒否されているかによって、魅力的にもなれば嫌味たらしくもなる」と読んでも、全く「その通り!」なのです

 が、それでは当連載でスペースを頂いてご紹介し、皆様に読んで頂く意味がありません。

 今回は、当連載も残り後僅かになりましたこともあって、私と猫(や生き物)との「そもそも出逢い」についても触れながら、表題の文言を解いてみることをお許し頂ければ幸いです。

 私が生まれて「物心着いた頃」既に私の回りにはシャム猫母子とコリー犬、そして母や借家人の日航の客室乗務員さんに抱かれて庭に出れば、禽舎には数十種の鳥が飼われていました。

 昭和30年代初頭当時、父は文学座の研究生でしたが、結核入院で出世が遅れ、研究生の給料だけでは生活出来なかったので、犬猫・鳥類のブリードという「趣味と実益」を兼ねたことをしていたのです。血統証付きのシャムとコリーは、当時ではかなり高価なペットでした。庭の特別な禽舎で飼われていたインド孔雀の二世は、ニッカウィスキー仙台工場に貰われて行き、その際に頂いたホームバーセットは今も我が家にあります。
 
 文学座がまる一月、大きな芝居を上演・巡演する時は、母と私が生き物の飼育係でした。小学校でも当然のように六年殆ど「飼育係」でしたが。

 当時は、まだまだ差別的な感覚も少なくなく、差別用語もふんだんにありましたし、虐めも問題視されていませんでした。なので、「やーい!役者の子!」「河原○○!」などと同級生に石を投げられることなどしょっちゅうでした。

 尤も、学校には給食目当てで行っていたような子でしたので、友達を作ろうとも思わず、終われば「飼育小屋」か我が家の「飼育小屋」に飛んで行く毎日でした。

 ある時期、近所の病院の患者さんが手を付けず鍋に残った残飯を貰えるようになり、「アヒル」の餌に私が貰いに行く係になったのですが、小学校低学年には、5kgのビニール袋が重たくて、道を引きずって帰ったものでした。
 それを同級生の親御さんが見たらしく、「おまえの家では、病人の食べ残しを食べて暮らしているんだってな!」「わぁー汚い!」「病気が移るぞ!逃げろ!」とより一層大変な事態になったこともありました。
 
 でも幸いにわたしもかなり猫的な子どもだったので、そんなことを悲しく思うことはなく、当時一番哀しい想い出は、真冬の雪の日、片足が曲がったアヒルが私の腕の中でこと切れたこと、という子でした。虐めについて思い出して苛めを自覚したのは中学になってからというほどで、大して気にもせず、傷ついてもいなかったのです。

 そんな生き物との毎日でしたから、その実全ての発端の父とはあまり接点がなかったのです。むしろ夜遅く帰り、私が学校に行く頃はまだ寝ていて。「起こさないように!」と母に厳命されながら出掛ける日々でしたし、私が風邪を引けば「近寄って移したら芝居で声が出ない」と、緊張させられてばかりでした。

 なので、父ともその演劇ともとても距離があったのです。

 しかし「門前の小僧、習わぬ経を読む」のごとく、父の台詞の稽古を襖一枚で聞いて育っていたのでしょう。2010年に父が亡くなって数年して、親戚会議で使命されて、父の演劇の遺品の整理と、インターネットにてその業績を紹介するサイトの立ち上げを引き受けた際、その資料の芝居の内容や、当時父がどのように考えて、どのような心持ちであったか?などの記憶が、彷彿と蘇って来たのです。

 それでも現場の父は殆ど見ていないので、既にお亡くなりになった盟友の方々も多いのですが、ご健在の方、後輩の方、「恩師だった」と言って下さる方々にもインタヴューを重ねました。その中に、今回の表題の言葉と深く通じる父の言葉を「今も忘れられない」とおっしゃって下さった方が、数人(異口同音に)居たのです。

 それは、父がヨーロッパ各地の国際演劇祭に出席したり出演した時のことです。
と或る大学教授で言語学者が「あいつの語学力は天才的だ」と言って下さったとかの語学力もさることながら「なにしろ向こうの演劇の巨匠や名優に対して一切物怖じしないのが驚いた」と何人かの方が言うのです。
 
 そして、ある時期父の側近をしてくれていた人は、父の言葉に目の鱗が落ちた、と話してくれました。

 そのひとつが、「こっち(ヨーロッパ)では、自分の意見を即座に言えない奴は、翌日から食事も同席して貰えないぞ」でした。
 父は後に仏文相となったJ・ラング氏と何度もランチタイム・ミーティングをしたり、彼の車で空港に送って貰って打ち合せをしたり、彼の寺山修司(日本の前衛演劇の雄)さんを仏フェスティヴァルに連れて行ったりしていました。

 フェスティヴァルで何処かの国の芝居が終わった休憩やランチで、感想を聞かれ、多くの日本人のように「良かった!」「感動した!」ではあちらでは全く駄目。
「何処がどうだったか?」を見事に自分の意見で即答出来ないと「つまらん奴だ」「時間の無駄だ」とされてしまう、ということです。
 
 ところが、同じことが、その元側近さんにとって全く別な意味になりました。
それは日本に於いてのことです。
 
 側近さんが「あっ!○○さんだ! ご挨拶しなくて良いの?」と,何処かのお偉いさんか、その仲介の人を見掛けて言うと父は、
 「いいんだ………。あいつはつまらん、時間の無駄だ」と言ったというのです。

 もし、日本では日本人を貫いていれば……….。昨年亡くなって特集番組も組まれた演劇人のような地位と収入が得られたかも知れないのですが。
 
 サティーもまた。それをしていれば。日本人の多くがドビュッシーやラベルと同じだけ知って、愛奏・愛聴したかも知れません。

 しかし、父が述べたようなことが基本のヨーロッパに於いて、「魅力的」から「嫌味たらしい」までの大きなギャップがあるヨーロッパ人って? 
 サティという人の偏屈ぶりは、並大抵ではないということです。
 
 猫はそれでも、多少つれないくらいは猫好きには容認されていますし、
 万が一度が過ぎて、生涯野良であったとしても、寿命は短いかも知れませんが、
 自分の力で食物を入手することが出来ますが。

 やはり人間は社会という「集団」に守られ、寄与しながらでは生きて行けない。
 逆に言うと、サティーのような超絶的な「偏屈」や、父のような人間が、伸び伸びと好きなことが出来たのは、

 確かに「良い時代」だったのだろうな。
 
 と、今の時代を体験してみると、つくづく想います。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
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猫の脳裏に景色が見える – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: James Petts

連載コラム「猫の名言」

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Vol. 44 「猫の脳裏に景色が見える」

 
猫は一度頭に入れた事を忘れるようなことは絶対にない。人間のようにくだらない事に頭を煩わせないからだ。

Paul Corley (ポール・コーレイ)
 

 ポール・コーレイは、現在の若手(恐らく)の作曲家ですが、この連載でもご紹介した、ドビュッシー~サティー~ジョン・ケージ~ブライアン・イーノなどの流れを組む所謂「現代音楽」の人と言うことが出来ます。

 その作品は、「アンビエント(環境音楽)」に属すると思われますが、「ダウンテンポ」と呼ばれた極めてゆったりとしたテンポ感をさらに下げた感じて、「あれっ?終わったか?」とさえ思ってしまうほどの音楽でもあります。
 その極限まで音を省いた音楽には、或る種別の「景色」。例えば、荒涼とした風景や、朝もやの中の遠くの山並のようなものを感じる人は多いかも知れません。
 
 そんなコーレイの表題の言葉もまた、「猫とは」というテーマに於いて、誠にその神髄を掴んだ明言に思えます。尤も、現代人だからでしょうか? その言葉には、いささか厳しい言い切りや決めつけ的な感じも否めませんが。

 彼が言いたいことは、当連載のVol.7でご紹介した、英SF作家:H・G・ウェルズが、猫には猫の目標と意志があるけれど、犬と人間の頭は混乱している(要約)とほぼ同じにも思えます。

 その一方で、Vol.1、すなわち当連載の一番最初にご紹介した、英詩人:ウォルター・スコットが述べた、猫の脳裏には人間の常識を越えた多数のものが在る(要約)とは、同じようでいて逆のようにも一瞬思えます。何故ならば、今回の表題の言葉と、スコットの言葉を合わせると、猫は、人間以上に多くのことを記憶していることになってしまい、「それでも混乱しないのは何故なんだ?」ということになってしまうからです。

 そこで私は、このことをコーレイの音楽を聴きながら考えてみました。

 その音楽は、前述しましたように、限りなく音やリズムを省いた、或る種「荒涼」とさえ言いたいような「音の景色」が広がります。

 ところがコーレイが、1970年代の「アンビエント系」作曲家と異なるのは、突然、もの凄く素直で素朴な「西洋クラシック的なメロディー」や「ポピュラーミュージックのような親しみ易いメロディー」が現れては消えることです。

 その訳を論理的に検証すると、それは、1970年代迄のアーティスト(作曲家など)が引きずっていた、ジョンケージなどの「現代音楽の作曲家」に課せられた大命題「旧式の音楽(モーツァルトやベートヴェンなど)からの脱却」と「耳に新鮮な新しい音楽」そして「既成の観念や常識を覆す」というような大それた役割を担っていない。そのつもりが無いからである、という答えに至ったのです。

 2000年代後半に世に出たコーレイにとっては、1980年代のポップスでさえ、1970年代のアンビエント音楽や1950年代の現代音楽と同じような「古い音楽」であり、「何処か懐かしい」とさえ感じられるのかも知れません。それ程に世代と時代の隔たりがあれば、何のこだわりも制約も、使命もなく、あくまでも自然に素直に音を並べることが出来るのでしょう。

 しかし、それでは、単なる音の遊びになってしまいかねません。もしくは、1970年代に欧米で始った「DJ/クラブミュージック」のような方向性に行ってしまいます。だとすれば、それは「ダンスミュージック」であり「アンビエント」ではなくなってしまいます。

 私のような昭和30年代生まれの人間にとっては「DJ」と言えば、深夜放送のディスクジョッキーであり、「クラブ」と言えば、「ク」にアクセントが付く、ある程度お金持ちが行く酒場ですが、1980年代に日本でも一部で熱狂的なファンが生まれた「クラブ_」は、アクセント無しで平坦な声調で言う、ダンスホールであり、「DJ」は、そこでレコードを掛けるアーティストで、二枚のレコードを高速のスウィッチングで切り替えたり、手でレコード盤を止めたり逆回しにしたりして、踊る聴衆のノリを狂わさずに、全く「新しい、その瞬間限りの音楽」を在り物(録音された)レコードを用いてパフォーマンスする新しい演奏(?)家を指します。

 おそらくコーレイもまた、ある時はそういった「クラブ」で踊り、またある時は「アンビエント」に夢うつつになったり瞑想したりして育って来た人なのでしょう。「音遊び」や「既成の音のセレクトのセンス」は、筋金入りな感じがします。

 しかし、それでも尚、何らかの大きなテーマがあることで「遊び」以上のものが表現されているのですが、それ故彼の音楽は、一環して「アンビエント(環境)」であり「サウンドスケープ(音の景色)」なのです。つまり、彼の音楽には、実に様々な音(素材)、音色が登場しますが、全てが「風景画」のようなまとまりとなっているのです。

 と、こうして彼の音楽や、そもそもの「アンビエント・ミュージック」「サウンド・スケープ」を理解すると、彼が述べた表題の言葉のみならず、ウォルター・スコットが述べた言葉もまた、すんなりと理解出来ると思われます。

 つまり、「猫の頭の中に、確かに記憶されていること」は、全て「景色」なのだ、ということなのです。

 実際に、それぞれの猫が生まれてこのかた見て来た「風景」が記憶されている、ということもありましょうが、猫にはその他に、人間には思いつかない「脳内」と「記憶」のシステムがあるのでしょう。

 それは、飼い主の発した「嬉しい言葉」や嬉しい「おやつ」、猫嫌いのご近所さんが怒鳴りながらぶっ掛けたコップの水。うるさく吠える犬の居る家。ライバルのドラ猫との喧嘩。そして、猫だけに見えるのかも知れない「宇宙」や「神様」。別れ別れになった親兄弟の「魂」などが、全て「景色」のように脳裏に並んでいて、全てが「自然の摂理」「自然の風景」のように関連して存在している。
 
 それが「猫の脳裏にある景色」ということなのではないでしょうか。

 
 その域に達して音楽を理解し創作し。猫を理解し、愛すのであるならば、
 コーレイが言う多少きつめの言葉「人間のようにくだらない事に」もまた理解が可能に成って来ます。

 何故ならば、「自然の摂理」や「風景」のように並ぶ世界に於いて、「好かれているのだろうか? 違うのか?」「信じてよいのだろうか?」とか、「どう言ったら好かれるか?どう言ったらら嫌われるか?」「どう言い逃れをすれば良いのだろうか?」などは、いずれも「景色」「風景」を美しくはしないからに他なりません。

 そう考えると、コーレイは、実に猫を分かり、極めて猫的な感性の持ち主であることが分かり、その音楽もまた、より一層心休まって聴くことが出来ます。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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他者と同じになった時、消える自分とは – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Kevin Dooley

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 43 「他者と同じになった時、消える自分とは」

 
猫は確固たる個である。すべてに対して自分自身の見解を持っていて、その中には、自分が支配する人間も含まれている。

Maurice John Dingman (モーリス・ジョン・ディングマン 米国の聖職者 / 1914~1992)
 

 猫について名指しで名言を残す著名人の中に、カソリックの神父さんがいらっしゃるとは、正直意外でした。逆に、改めて「なるほどな」と感じ入るところもありました。

 
 と言うのも、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教などの、俗に言うアブラハム教などの比較的新しい宗教(と言っても千数百年~二千年以上ですが)の感覚と、猫の感覚には隔たりがあるのだろう、と思っていたからです。

 逆に言うと、カソリックの場合、そういった感覚を持ち得る余地が豊かなのかも知れない、と改めて考えた訳です。

 勿論、お言葉と宗教を絡めてこのように申し上げるのは、当のディングマンさん御自身、良くは思わないかも知れませんが………..。

 

 もし、猫が人間になったとしたら………。
 その宗教は、紛れもなくアニミズム(自然崇拝)に違いありません。

 そして、そこには教祖も教義もお寺も神社もない。
 だから異教徒との戦争もなければ、宗派抗争もない。
 けれど、祈りはあり、供物もある。

 
 野良猫が時々何かのお礼に「蜥蜴の尻尾」などを持参してくることがありますが、
 猫はその(お礼や貢ぎ物の)感覚を、元来持っているのです。

 
 そして、預言者も居ない。と言うか、殆ど全ての猫が預言者だから。
 正にアニミズムの純粋な形がそこに現れるに違いないのです。

 
 愛猫家の多くが体験し感じていることと思いますが。
 どうも猫は、人間が見えないものや聞こえない声を感じているようなのです。

 知人の愛猫家さんたちからも、そのような話しを多く聞きますが、残念ながら私の場合、猫に対する想いの割には、そのような体験は少ないかも知れません。
 
 また、もっと残念なことに、私の知り合いの「猫の神さまと話しが出来る」という人や、二三人のヒーラーさんで、「猫の言葉(想い)」を私に語って下さった方々のような才能(能力)は、全く持ち合わせていないのです。

 勿論、全てをお伽噺のように想われる方も多いと思いますし、私も(羨ましさを通り越した悔しさも手伝って)何時だって半分以上懐疑的に聞いていますが。

 それでも当の猫と私しか知らないことを言われたり。行方不明で大慌ての時にSOSで伺ったところ、見事に居場所を言い当てて下さったことが異なる方で何回かあって、有難さも含め、否定出来ない思いも少なくないのです。
 
 勿論、微妙な解釈の違いや、見え方聞こえ方の判断の違い、私の勘違いもあって、大いに振り回されることも少なくありませんでしたが。

 

 このように、人間の場合、特殊な才能を持っている人だけが聞こえる、見える、感じるものを、猫はきっとどの猫もごく普通に持ち合わせ、日常的に発揮活用しているのでしょう。

 勿論、何らかの病気や強いトラウマを抱えて、目先の問題や体調に支配されている場合、流石の猫も現象論的、現実論的に我が儘、身勝手、目先を生きることで精一杯の場合も少なくありませんが。
 
  
 お伽噺の続きになりますが、
 その不思議体験の最たるものが、不治の病で失った猫が生まれ変わって戻って来るということでしょう。

 私は百頭近い猫との出逢いの中で、十頭前後その体験をしたと思っています。

 けれど、おそらくその半分は、猫の家族(飼い主)の希望的観測(自己暗示/思い込み)かも知れません。
 しかし、それをも含めて、知り合いの「猫の神さまと話しが出来る」人や、二三人のヒーラーさんが、時には異口同音に「そうだよ、あの子だよ!」
 とおっしゃって下さったのです。

 
 しかし、何処かに懐疑的な思いも捨て切れない。

 と言いますか、私の想いの正体は、「ぬか喜びしたくない」ということと、
 
 失った「悔しさ、虚しさ」や、不治の病と分かってはいても、
「あの頃、もっと早く気付いて、あれをしていれば」という後悔や自責が絶えない。

 それからの「解放(逃げ)」であってはならないし、そうであって欲しくない。
 という思いが懐疑心を掻き立てているのでしょう。
 
 勿論、根が素直じゃないからに違いありません。
 素直に喜んで「お帰り!」とまた幸せな日々を送れば良いのかも知れませんが。
 逆に言うと、「疑り深い人程騙される」という道理もありますから、私もそれなのかも知れませんが。 

 
 しかし、このような話し、とりわけ自然崇拝(結果的に多神教になるので)や生まれ変わり(輪廻転生)は、アブラハム教のいずれもが否定している筈のことです。

 尤もカソリックの場合、天使の存在や人間なのにその類い稀なる宗教的な行いによって「聖人/聖者」とされた人物も少なくなく、人間にとっての最初の信仰(アニミズム)から遠くない側面も見れるように思います。

 勿論、信者から聖職者に至る迄、「人それぞれ」である面も多々あることでしょう。それを許す柔軟さも、それこそ二千年以上掛けて得たものかも知れませんが、カソリックには少なくなく、ディングマンさんは少なくともそれが豊かな人であることは確かなのでしょう。

 
 悪い意味ではなく、常識的な聖職者が猫について語るのであるならば、この連載のVol.39でご紹介した米人気アニメ「ガーフィールド」の作者、ジム・デイビス氏の口振りを模して、

「我々は心の奥深くに同じ神を持つ。ネコさえもそれを信じて生活している。」とでも言いそうです。
 
 
 ところが、ディングマンさんは全く逆の発想を述べているのです。
 故に、如何に観念に捕われず実に純粋に猫を観察しているかが偲ばれ、
 やはり「愛猫家なのだろう」と思わされるのです。

 
 むしろこの連載のVol.16でご紹介した米小説家マーク・トゥウェイン氏の「神の創造物全ての中で、たった一つ綱の奴隷にならないものがある」の方が、カソリック神父に相応しいような気さえするのです。

 
 それどころか、もしディングマンさんが、猫を引き合いに出して神とか宗教について説いたとしたら。 否、既に表題の言葉に「すべてに対して自分自身の見解を持っていて」とあるのですから、もうおっしゃっているに違いないのですが。

 全ての猫は、それぞれの神をその心に抱いている。

 ということに他ならないのです。

 
 もしこの解釈が正解であるならば。世界中のあらゆる宗教を否定しかねず、愛猫家で信仰心の厚い多くの方々から非難が寄せられ得るに違いない程の話しかも知れません。

 何故ならば、人間とその宗教は、何千年にも渡って「神とは○○である」と、説いて来たからです。

 しかし、その答えと異なる答えを許さなかった歴史も多く長い。
 あなた方の信仰は間違っている。私たちの神こそが神なのだ、と。

 それは、物質的な繁栄が最高点に達したかのような今日現代、その排他性や敵対心はむしろ顕著になりつつあるとも言えます。

 
 ところが、
 猫の場合,猫それぞれなのです。
 そして、おそらく猫の誰もが、他者のそれを否定しない。

 むしろ、それぞれである方が、「答えはひとつなのか?」とさえ思える程に。

 
 今日でもアニミズム性を強く残している信仰は、世界に極めて希少ですが、
 強いて言えば、古き良き時代の日本人とアフリカ人がそうであると言えると思います。

 
 しかし、アフリカ人と日本人では決定的な違いがあります。
 そのことについては、その音楽の楽しみ方に関して、私はアフリカ音楽をご紹介するレクチャー・コンサートで良く述べる次の話しに見ることが出来ます。

 
 日本の聴衆は、回りと異なる手拍子や拍手をすることを恥じるけれど、アフリカは全く逆。ライブ風景を捕らえた映像などを見ると、聴衆は勝手気まま、自由奔放に隣と異なる手拍子やノリで楽しんでいる。

 まるで「人と同じになると自分を見失うような気分になる」と敬遠しているかのようでさえあります。

 正に、猫の音楽会の様子です。
 もちろん、そこには「同じ音楽」が聴こえているのです。

 もし、日本人が同じ姿を見せるとしたら、同じコンサート会場に集いながらも、各自でヘッドフォンで異なる音楽を聴いてノッている場合に限られるように思えます。
 それでさえも、あちこちで同じ音楽を聴いているのか? 元来表現方法のバリエーションが少ないのか? アフリカ人(や猫)ほど「それぞれで色々」ではないかも知れません。
 
 古代日本人がアニミズムを信仰していたことを考えると、残念な気がしますが、
 「猫好き」が増えた今日でも、まだまだ同じなのかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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自分らしくあれることの幸せ – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Lottie

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 42 「自分らしくあれることの幸せ」

 
犬と暮らして思う幸せ。廊下で出合った時、立ち止まって尻尾を振り待っていてくれる時。猫と暮らして思う幸せ。廊下で出合った時、何事も無かったかのようにすれ違う時。

自作
 

 何時もご高読ありがとうございます。
 本日は、僭越ながら自作の一言です。名言でなくてごめんなさい。

 
 何度か申し上げていますが、私は犬派・猫派という括りでいうならば、どちらでもありません。
 
 ワン子とも何度も暮らしましたし、猫達に紛れてワン子が居たこともあります。見初めて下さった方が「どうしても」と言ってくれたので里子に出しましたが。

 なので、この連載の「ネタ」である、世界の著名人、歴史的偉人の「猫の名言」の中に、「猫賛美」のみならず、少なからずワン子をけなしているような言葉には、少し哀しい気分にもなるほど、分け隔てなく思っているつもりです。

 
 正確に言いますと、全く異なった感覚ですから「分け隔てなく」というのは異なるかも知れません。

 幼稚な例えで恐縮ですが、「お味噌汁」も「インド・カレー」もどっちも大好き!という感じです。和印折衷の「カレーうどん」などは、アジア史に誇る大発明だと絶賛したいと思います。
 ですが、「カレーうどん」や「カレーライス」に「お味噌汁」は要らないし、魚の煮付けに冷や奴があって「お味噌汁」がある時に、「カレーも!」「カレーうどんも!」とは思わない。
 
 
 だからと言って、「日本人なら毎日三食味噌汁だ」の「味噌汁派」と、「週に五回はカレーを食べないと気が済まない」とおっしゃる「カレー派」が、意見をぶつけ合う姿があったとしても、どちらにも哀しい気分を感じるのと同じ感覚を、「猫派 vs 犬派」の様子や、愛猫家の著名人の犬をけなす言葉や、愛犬家の猫嫌いの話し(アイゼンハワー大統領は、敷地に猫が入るとライフルを取り出したとか?)に抱いてしまうのです。

 
 とは言いつつ、別な角度からこのテーマを考えた時。著名人の「猫派が語る猫と犬の比較」の文言の中には、「猫賛美・犬けなし」ではない何かを発見することも多く在ります。

 それは、人間に自然に備わっている「タイプ」というものに対する、猫と犬を通して感じ理解した「人間観察」である場合です。 そしてその根底に、犬、猫のみならず、人間に対する「愛情」を文言の作者の真意に感じる時です。

 そのような文言と出合うと、何れもが二つの大きな大切なテーマを含んでいることに気づかされます。

 ひとつは「人間のタイプ(傾向)と選択した行為の向き不向き」というテーマであり、もうひとつが「自尊心、アイデンティティー、ステイタス」というテーマです。

 
 「犬派」「猫派」という嗜好の問題ではなく、そもそも人間には「猫的な人」と「犬的な人」が居て、本質的な性格が、恐らくどちらかに偏っている。

 そこに加えて、年代、時期、その時々の調子によっても変わるし、家の外の世界での出来事の影響も加わる。

 しかし、実際の社会人としての立場は、必ずしもその本質と見合っているとは限らない。それから生じる様々な弊害の対処法がひとつめのテーマなのです。 

 もの淋しく、人恋しいような時に、ワン子の存在は有難いでしょうし、愛猫家の場合でも、珍しく猫がすり寄って来てくれると救われることがあるでしょう。
 逆に、猫がつれないと一層悲しくなるかも知れませんし、「今日は独りで居たい」という時に、ワン子が尻尾を振ってご機嫌を伺っていると少し辛くなるかも知れません。

 それでも幸いにして、余程のことではない限り、猫もワン子も「根に持たない」性質ですから、「今日は放っておいてね!」と言っても大丈夫と思います。

 逆に、もうひとつのテーマ、「自尊心とアイデンティティーとステイタス」で、接してしまうことは、猫のみならず、ワン子にとっても、いささか不幸なことかも知れません。

 
 体調や、時代、時期、様々な事柄の巡り合わせ、その日一日の外の社会での出来事、ストレスなどなど………。
 それらから自然に生じる気分・感情や、反応的なものが出てしまうことは、如何ともし難いことです。しかし、その多くは猫もワン子も許してくれるし、玄関開けて入って来た時に、もうちゃんと分かってくれているかも知れないのです。

 それどころかもしかしたら、帰り道、家に近づくにつれて既に感じ取ってくれているかも知れません。なので、素直に接していれば、何も問題ないかも知れませんし、お互いに、そのようなものに対して「素直であること」「無理に気を使わないこと」が「伸び伸び一緒に暮らせる」基本かも知れません。

 
 ところが、日々の変化がどうであろうとも、日常的・継続的に、基本の意識がずっと同じであると、猫もワン子もその心が偏って固まってしまうことがあるようなのです。

 そもそもそのような状態は、飼い主(オーナー/家族)である私たち自身が、「偏って固まっている」のですから、その内容が何であれ、「伸び伸び」ではないですし、「心が枝葉のようにたなびく」自然な状態ではないのですから、当然、家族は大きくその影響を受けてしまいます。

 この後者のテーマは、私も20年以上、音楽レッスンとそれから発展したメンタルセラピーのお仕事で、様々な苦悶と挫折を繰り返し、また励まされ、感謝されて学んで来た、大きく深いテーマなので、端的には語れませんが………。
 
 それでもひとつ言えることは、外の社会で何があろうとも、我が家では「自分を取り戻す」こと。その座標に猫やワン子が存在しているならば、「きっと大丈夫」ということです。

 外で気疲れしたり、失敗したり、嫌な事が多くても。
 玄関開けて廊下を歩くと、ワン子が尻尾を振って待って居る。
 そこで「ニュートラル」のスウィッチが入って、「ほっと」して、微笑ましくも有難いと思う。
 
 一方の猫の場合。その実は「あっ!帰って来た!」と嬉しい時でさえ、「おかえりなさい!」と戯れて来る訳でもなく、何喰わぬ顔で廊下ですれ違う。

 実際、出迎える気など全く無い場合もありますが、その気があったとしても「同じ素振り」。
 でも、考えようによっては、お互い気を使わず、伸び伸びと出来ますから、むしろ「そっけない」ことも有難い。
 
 ワン子も猫も、どちらの場合もスタイルは異なれど、私たち自身が自分を取り戻すことを助けてくれるのであるならば、誠に感謝感激、有難いことではないでしょうか。
 犬派であろうと猫派であろうと。 その掛け替えの無い存在、有難さに気付いた時、感謝と幸せを感じるのではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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道無き道は猫の道 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Darron Birgenheier

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Vol. 41 「道無き道は猫の道」

 
一旦選んだ道に関して頑張る人は多い。目標に関してそうする人は少ない。

Friedrich Nietzsche (ニーチェ ドイツの哲学者 / 1844~1900)
 

 哲学・思想界の異端児ニーチェについて、「きっと愛猫家に違いない」と以前から申し上げて来ましたが、実のところ、猫について名指しで語った言葉にも、彼が愛猫家であるという証言にも出合ってはいないのです。

 にも拘らず、彼の理論から何気ない言葉に至る迄、その節々に「愛猫家に違いない」とか「少なくともかなり猫的な人間だ」と思わせることが少なくありません。
 
 その詳細や理由、根拠については、おいおいお話するとして、本日はまず表題の名言について。

 これは、この連載をご愛読下さってる方々には、もうお気づきかも知れません。

 ニーチェの表題の言葉は、何度かお話して来ました。「猫は道に迷わない」「猫は道を信じない。替わりに地理を良く把握している」に通じる言葉に相違ないのです。
 
 
 まず、表題の言葉にある「道」と「目標」ですが、ここでの「道」は、極めて具体的な事柄であることと、殆どの場合、既に「存在する方法論、プロセス、段階」があるということを確認します。
 
 具体的には、「教師になりたい」とか「医者になりたい」と思った場合、極めて厳格なシステムによって作られた「道」を歩んで行くしかありません。

 ところが、その一方で、先日NHKの特集番組でも紹介されていたのが、アフガニスタンで難民的に苦労を余儀なくされている人々への医療支援を行っている日本人のお医者さんが、気づけば「運河作り」に邁進しているという話しでした。私もその医師を支援する団体の写真展でアフガン音楽を演奏させて貰ったことがありますので、20年前からよく存じ上げています。

 「運河作り」は、地場の農業の傷害を取り除き、ひいては衣食住が改善され、清潔な飲水でも健康になり、「予防医学」としてはこの上もない、基本・根本の改善である。だから「これも医療なのだ」という話しでした。

 また、少し異なりますが、お医者さんの中でも「最新・最先端の医療技術」に邁進する人も居れば、逆に、東洋医学にも関心を寄せて「代替医療」を学び、その先の「全身医療」「予防医学」に進む人も、少ないですが現れています。

 「代替医療」「全身医療」「予防医学」は、まだまだ「開拓されていない道」であり、極端に言えば、「道無き道」です。

 
 また、もっと極端な場合、少年の頃から猛勉強して医大に入り、厳しいインターン時代を乗り越えて医師免許を得たにも拘らず、それを放り投げて、世界各地で「運河作り」のようなことに命を掛けている日本人もきっと居る筈です。

 私の知人にも、「医師免許を捨て」までの人は居ませんが、様々な資格や経験を活かして得た、普通の感覚の「道」を捨てたという人が何人もいます。多くの場合、やはり「道無き道」を歩む人生の大変換を為した人たちです。

 でも、それこそ限りある人生では、その変遷の矛盾や、他人から見た不可解が帰結しないかも知れません。しかし大きな視野に於いては、実は何の矛盾もなく、大きな目標に於ける「幾つかのひとつの道」であったのでしょう。

 
 極端に言えば、「道があると目標を見失う」「目標をしっかり見極めると(既成の)道を行くことが難しくなる」という哀しい「システム」か「ジンクス」があるのかも知れません。

 この考え方で表題の文言を読み返すと、
 一旦選んだ道から「足を踏み外すまい」とする人は多い。
 しかし、「目標を見失うまい」とする人は少ない。
という意味合いも浮かんで来ます。
 
 
 そう考えると「道を行かない」「道など端から信じていない」猫達は、常に「目標」を見失わず、「広い視野(見えない世界も含めて)」を把握し感じながら
 
 「我が道を行く」のかも知れません。

 
 この意味では、ニーチェはやっぱり「猫的な発想」の人であるに違いないのです。

 
 思えば人間は、昔は何処でも誰でも「道無き道」を突き進んだものです。
 太平洋のポリネシアの伝説などを読むと、気が遠くなるような気分にさせられます。それはある程度、「陸地の海」のような大平原・大草原を行ったモンゴル人や、サハラ砂漠(ちなみにサハラは現地の言葉で「砂漠」なので、この表現は「チゲ鍋」的な重複語。インダス河もしかり)を縦断したベドウィンや西アフリカ人も同じかも知れません。

 しかし、陸地ならば「一休み」も、「洞穴やくぼみに潜り込む」も出来ましょうが、大海原を駆って出るという勇気は、私には想像も付きません。

 
 とは言いつつ、気付けば古今東西で「先生」が付く職業は、皆ある意味で「道無き道」で苦労をする。平たく言えば「マニュアルが無い」。
 しかし、如何に「道が不確か」であっても「目標が不確か」であっては、決してならない。

 そう考えて40年近く音楽教師、20年近くセラピスト、カウンセラーをやっていますが。最近、「そう考える人は他にも居るのだろうか?」と思うことが増えて来ました。

 
 勿論同じ「先生職」の中でも、「音楽教師」などは、かなり怪しいもので、教職免許もない場合が多く。「お医者先生、弁護士先生、会計士先生、学校教師先生」のような国家資格も無ければ、「政治家(代議士先生)」のような審判も受けない。
 それでも「あらゆる先生職」に通じる「共通の目標」がある筈と思ってやって来ました。

 それは、ポリネシア人が、星を見て「我が位置と目的地」を知ったような壮大なもので、果たして一生の間に到達出来るかどうか? というものであったとしても。

 そして、その「目標」がブレない限り、日々日常は柔軟な修正や、回り道もありましょうが、いずれもその「目標の基本」の上に成り立っているのだろうと。

 
 様々な「先生職」に通じる共通の目標とは、

「困っている人を助ける(弱者救済)」であり、「足りないものを補う、助ける」であり、「目標に向かって歩む力を着けさせること」だと考えて来ました。

 
 しかし、実際の世の中の「先生たち」が如何がなものか?はさて置き。
 少なくとも「音楽教師」たる職業は、実は、この目標に全くそぐわないものであったのかも知れません。
 
 まず、そもそも「音楽を習いたい」「楽器が弾けるようになりたい」という人は、「困っては居ない」のです。

 しかし、私から見れば、大いに困るべき、困っていることに気付くべきなのでした。

何故ならばそれは、「心や感性」そして、それを開花させる「可能性」にとって、「苦手意識」「間違うことへの強烈な羞恥心」「比較意識」「焦り」その反面の「お気楽指向」「固定観念」というものが、殆どの人の「心や感性」とその「成長、開花」の大きな妨げになっているからです。

 実際、仮に「入門、初級、中級、上級」という段階が一般的に理解される形で同定されるとして。殆ど中級迄は、「障害の除去」に費やされると言っても過言ではないと考えます。

 しかし、世の中の「音楽や楽器を習いたい」とおっしゃる多くの人が「結果、美しく聞こえれば良い」もしくは「他人の評価がどうあれ、自分が楽しければ良い」という価値観に偏っているように思います。傷害を除去した後、自然に醸し出される「その人らしい、その人の音」ではなく。

 
 尤も、この世間とのギャップも私の「猫的感覚」の所為かも知れません。

 まず猫が人間になったとしてもオーケストラは愚か、二重奏三重奏さえも出来ないでしょう。否、出来るに違いないのですが、モーツァルトがジャズのよう? 

 「おい!君!」「そこは楽譜にそんな旋律は無い筈だが!」
 と指揮者が駄目出しをしても

 「いや!今日の気分(会場の空気や楽器の調子を含めた)ではモーツァルトもきっとこう弾いたに違いない!」と言い返しそうなのが猫です。

 世の中に猫派は少なくない筈で、アメリカでは数年前に「犬を飼っている人」を越えたとも言われますが、音楽に関しては、猫派な人が少ないのでしょうか?

 勿論、この連載でたくさんご紹介したように、欧米には愛猫家で名音楽家は少なくありませんが、日本はどうなのでしょうか? 

 猫的な生徒さんが多ければ、私の教室も行列が出来るのかも知れません。
 
 尤も、猫的人間は「人に習う」などはしないのかも知れませんが…………….。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫の「ちょい悪」気分 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Kevin N. Murphy

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 40 猫の「ちょい悪」気分

 
猫と焼き魚

インドネシアの諺
 

 以前、この連載のVol.10で、日本の諺の「猫を追うより、皿を引け」と「猫を追うより、魚を除けよ」をご紹介しましたが、それと似たような諺がインドネシアにありました。

 インドシナのタイなどですと、うるち米、どぶろく、焼酎の故郷であるとか、山田長政がしばらく滞在したとかで、結構日本と繋がりがありますが、インドネシアともなると、やはり距離があるように思います。
 
 沖縄ですと、貿易で繋がりがあったらしく。沖縄家庭料理の定番「ゴーヤ・チャンプルー」の「チャンプルー」は「混ぜた炒め物」のようなニュアンスですが、一説によれば、インドネシア語の「チャンプール(ごちゃ混ぜ)」が語源だとも言われます。

 
 その他、古くは、戦中に日本の子供達に好かれた唱歌「土手のスカンポ、ジャワ更紗」に始まり、比較的新しいところでは、バリ島旅行ブームや、そこで出逢う音楽「ガムラン」などなどで、ファッションやスタイルでは民芸品も良く目にしますから身近な感じもしますが、その実、文化性や民族性は今ひとつ分かっていないかも知れません。

 
 そんな近いようで遠い国に、同じ諺、同じ発想があったと知ると、やや身を乗り出して「もう少し分かってみようか?」などと考えたりもする訳です。

 
 良く良く考えると日本の諺「猫を追うより、皿を引け」は、結果の善後策よりも、原因を解決しなけりゃ意味が無い!駄目だ!という話しです。

 或る意味、結果論的罰則だけでなく、原因の解決を考える
 これを日本人の聡明さと言ったら自画自賛でしょうか?

 先日NHKでは、江戸時代の火付盗賊改方「鬼の平蔵」の話しをやってました。
 平蔵は日本で初めて、罪人の更正と社会復帰のための職業訓練所を作ったとか。

 また、アフガニスタンで医療活動を続ける、中村医師が運河を作った話しもやっていました。干ばつで農業が出来ないから反政府勢力の雇われ兵になってしまう。
 病気も減らない。「これも医療だ」とおっしゃっていた。

 
 もっと私たちにとって身近な話しでも考えることが出来ます。
 
 例えば、しょっちゅうクラスの四五人の生徒が学校サボって何処かに遊びに行ってしまうことに頭を抱える高校があったとします。

 「罰則を厳しくするより、授業を面白くしろ!」というような話しです。

 同じように小学生がちっとも宿題をやって来ない。やはり厳しく叱るより宿題したくなるという方向性に指導するべきという話し。

 ところが、親御さんも教師も学校も、「宿題したご褒美」のようなことは直ぐ考えるけれど、「宿題」そのものを「やりたくさせる」ということは考えないのが不思議です。

 偉そうに言いますが、私に言わせれば簡単なこと。

 子供と言えど人間の本質は、「やりたいこと」と「やりたくないこと」は恐らく常に等分あるのです。
 なので、「宿題をやりたいことに替える」と、他の何かを「やりたくないこと」と感じるようになるのが「バランス感覚」というものです。

 
 なので、私が教師だったら、意図的に「やりたくないこと」をさせるでしょう。それこそ「意味が分からない、薪割り」とか、そしてそこに「ご褒美」が登場する。
 それとセットで「宿題を楽しいものにする」

 
 実際、子供が家に帰ってゲームばかりになるとしても、ゲームがそんなに面白い訳ではない筈で、
 上記のバランス感覚と、習慣と「面白い」と思い込む自己暗示が殆どです。
 昨今問題意識が高まっている、様々な「依存症」もしかり。

 
 これらも皆、猫達から教わったことです。

  「柱やソファーで爪研ぎをするのが困ったもんだ」とお悩みのご家族は少なくない。「爪研ぎ買って来てやったのに!止めないじゃないか!」と。

 でも猫とってみれば、
 「はい、この爪研ぎだったら良いからね」では上記の「バランス感覚」の役には立たないのです。

 
  猫がトカゲをいたぶるのも、「狩猟の技が鈍らないため」のことで、よほど苛酷な野良生活でも無い限り「空腹だから、美味だから」ではない。

 
 なのでトカゲが逃げるから意味があるのであって、「トカゲの玩具」を放り投げてみても意味がないのと同じです。

 
 「柱やソファー」は猫自身「悪いこと」と分かっているから、その「悪戯心」と「征服欲」を満たす為にするのが「バランス感覚」です。

 なので、私は、買って来た「爪研ぎ」は、猫の通り道に何気にセットし「あれっ?こんなところに」「まぁせっかくだ、爪でも研ごうか」として置いて、

 満たされない「ちょい悪」な行為の為には小箪笥のひとつを空にしておいたりします。空ですから開けても、中に入って隠れんぼうしても問題無し。
 
 もちろん、たまにそこで粗相されたりもしますが。
 そして、発見する度に、少し叱ってみせる。
 
 猫の「ちょい悪気分」は充分満たされます。
 それに飽きた頃には、
 その箪笥に何か玩具を入れておく。 などなど………。

  
 表題のインドネシアの諺「猫と焼き魚」は、日本の諺「因果応報」「根本原因を直さなきゃ駄目」というのとはちょっと異なって、

 「火に油」「濡れ手に粟」のような「相性が良過ぎること」の危険を言っているようでもあり、「考え足らずや楽観的な無頓着の愚かさ」「結果は明らか」「自業自得」を説いているようでもあります。
 
 猫に限らず、害虫や湿気やカビなどに対しても、「無精」が招く明らかな失敗や後悔というものの多くも「猫と焼き魚を一緒にしておいたようなこと」はしばしばあるのではないでしょうか。

 一方、日々の暮らしから大きな社会全体に話しを置き換えると、「自業自得」や「反省」では済まされないことに繋がります。
 例えば、「汚職と長い勤続」も「猫と焼き魚」なのでしょう。なので、公務員さんなどは一定の期間を過ぎると転属になる。
 公共事業も手抜きをし始めるから、頻繁に入札で業者を入れ替える。

 その周到さの割には事件や事故が減りませんが……….。

 今日最も憂慮されているのが、「○○詐欺」の類いや「○○依存症」
 それらも人間の本質的な何かとそれを刺戟する何かを「近づけて置く」ままにしているからなのでしょうけれど、不思議にその根本的な仕組みを変えようという動きが見られない。
 
 
 上記のように、
 人間も猫も、その本質的な心理は治らないと考えるのはどうでしょうか?
 なので、逆手に取って逆に、その性質を上手く利用し、バランスを取る。

 
 猫の場合、
 「焼き魚」が、人間の掛け替えの無い夕飯のおかずでは確かに問題です。

 また猫も、そればかりになって、フードを食べてくれないのでは
 栄養が偏り、怖い病気もあり得ます。

 でも、人間の食事の場合は、
 「はいどうぞ!」と奇麗に盛りつけられた料理が
 テーブルに奇麗に並ぶ方が食欲が湧き、
 コンビニやスーパーで買った容器のまま「ポン!」と置かれても悲しい

 実際、消化吸収も良くないかも知れない。

 ところが同じことが猫の場合、お皿に入れて「はいお食べ!」よりも
 人目を盗んで「狩り」のように食べる方が美味しいようなのです。

 ならば、「焼き魚」も工夫して、
 塩分控えめで猫に必要な栄養素が含まれていて
 何気を装いわざと置き忘れて、後で少し叱ってみせたりすると

 食欲不信な時などは良い手段なのかも知れません。

 
 私はマレーシアに行った時に、マレー人の穏やかさと優しさ、礼儀正しさに
 昔の日本人の良さを思い出しました。

 もちろん表題の言葉は
 「猫と焼き魚を一緒に置くことは馬鹿なことだ」の意味でしょうけれど。

 日本の諺にあった発想の転換を、
 きっとマレー人の人々も豊かに考えられるような気がします。
 「目には目を、歯には歯を」ではない何かを。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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目的と欲望 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Ri 13

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 39 「目的と欲望」

 
我々は心の奥深くに同じ欲望がある。ネコはそれに沿って生活している。

Jim Davis (ジム・デイビス 米国の漫画家 / 1945~)
 

 茶虎(オレンジ・タビー)の「ちょい悪」な感じでも、何故か憎めないひょうきんな猫「ガーフィールド」が世界的にヒットした、漫画家ジム・デイビス氏の言葉です。

 この連載の著名人の名言のほとんどが、「ぱっと読んで、直ぐ分かるようで、実は良く分からない」というのが多いように思うのですが、如何でしょうか?

 今回の名言も、
 猫と言えば、猫好きでない方も含め、多くの方が異口同音におっしゃる
 「我侭で自分勝手でマイペース」という定説を語っているだけにも思えます。

 そして、、
 人間は皆、内心で「それ」を強く望んでいる。
 だが、それを優先してしまったら社会人として成り立たないし、
 孤独に生きるしかない。

 と言う話しなのだろう。で納得し終わってしまいます。

 しかし、文言の名言は、もっと深いと思わざるを得ません。
 何故ならば、上記のような単純な話しならば、「心の奥底」と迄は言わず、
 「我々は皆、自由に好き勝手やりたいと内心で思っている」で良い筈です。
 「だがそうも行かないのが社会人と言うものだ」
 「それに比べて君たち猫は良いね!気楽で」といった感じで良いのではないでしょうか?
 
 
 しかも、漫画のガーフィールドは、しばしば相手のことを気に掛けたり、時には英雄ぶってみたりで、あれこれ色々考えており、必ずしも「自分勝手」でもありません。

 なので私は、今迄何気に見て終わっていたアニメを見直し、
 ガーフィールドとジム・デイビス氏についてもう少し丹念に眺めてみました。

 
 私が感じたジム・デイヴィス氏は、本質的には結構頑固な人で、
 その内面には世の中の不条理や、日常生活の何気ない些細なおかしなことに対して
 かなり敏感な人と思います。
 
 例えば、あちこちに「○○モール」のような商業施設がどんどん出来る!」
 「行ってみればどの店も行列だらけ」「定員はロボットのようで態度が悪い」
 「動物に芸をさせたがる飼い主」「その珍しさだけを評価し番組を作るTV局」
 
 今や世界の何処でも同じなのか! と気づかされる、私たちが何も気に留めない良く在る光景に対する皮肉を、ジム・デイビス氏は全てガーフィールドという憎めない存在にとても爽やかに代弁させるのです。

 「○○モール」では、ガーフィールドはその紹介者。なんと地面に種を植えると簡単に商業施設が生えて来る。ヨーグルト屋でガーフィールドが引いた整理番号は四桁。昼寝をして待った挙げ句が欲しいテイストが無いと言って帰る。

 そうこうしている間に「栽培して出来た○○モールへの給水を止めなかったから、モールは海に流される」「そもそも忠犬オーディーが蛇口を開けたまま締めなかったから」「忠犬オーディーは『開けろ!』と命じられたけど、その後『締めろ!』の指示はされてなかった」「ガーフィールドは『大変だ!』とオーディーに舟を漕がせて追いかける」「間に合わないと海にヨーグルトが流れ出る!」

 でも間に合わないとなると「しょうがないか」と切り替える。

 TV出演が決まったけれど、それはガーフィールドが流行の「ハワイ風邪」に感染し、ハワイに関することを聞くとフラを踊り出すから。ところが収録直前に飲みたがらなかった薬を飲んだので本番には踊らない。
 
 飼い主の男性ジョンは、何時もおっとりしてガーフィールドに無茶を言わず。飼い犬のオーディーは、ひたすら忠犬で、彼だけは人間の言葉をしゃべらない。
 尤もガーフィールドは私たちには語りかけますが、物語の中では人間と会話はしない。
 一番愉快だったのは、ガーフィールドが「ワンワン!」何かを訴える犬のジョンに、

 「何言ってるんだか分からないけど今忙しいんだ、後でな!」という下り。
 そして、私たちには、
 「皆勘違いしている、こっちが現実、そっちがアニメの世界」と言う。

 世の中への諷刺を隙間無く織り込んでおきながら、猫の習性をも見事に皮肉ってもいる。それら全ての光景がクスクス笑えるようなタッチで「何気なく」進んで行く。
 言い換えれば、あまりに後味が良いものだから「諷刺」である印象すら残らない。

 でも、きっと観た人の心のどこかに、何らかしらの問題意識の「種」は植わっている。
 

 そんな優しさと頑固さを併せ持ち、細やかなユーモアとウィットに富んだ漫画家さんのことです。表題の言葉が額面通りの訳がないのでは? 
 
 と思えば、「実はそんな深い意味もないのだよ」もありかも知れませんし、
 何年も経ってから「そうか!」と気づくような、もの凄く深い意味もあるのかも知れません。

  似たテーマは、当連載のVol.7で英SF作家ウェルズ氏の言葉、Vol.37のミュージシャン:ブライアン・イーノの言葉にもあります。
 それらとこのジム・デイビス氏の言葉を重ね合わせると、
 
  猫好きの彼ら、実は結構偏屈な著名人が言わんとしていることが、なんとなく見えて来るかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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