猫と人間の生まれ変わり – 連載コラム「猫の名言」





photo: Carolina Barría Kemp

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 


Vol. 49 「猫と人間の生まれ変わり」

 
人間というものは、進歩に進歩を重ねた挙げ句の果てに、文明と名付けられるものの行き過ぎの為に自滅して滅びてしまう日が来るように思われる。

Jean-Henri Fabre (ジャン・アンリ・ファーブル フランスの博物学者 / 1823~1915)
 

 何時もご高読下さり、ありがとうございます。

 このサイトさんの御厚意で書かせて頂きました「猫の名言」の50編は、
 「世界の著名人の猫についての名言」「世界の猫にまつわる諺」
 そして、「世界の著名人で愛猫家、もしくは極めて猫的な人の名言」
 少し、「猫が語ってくれた(と私が思い込んでいる)言葉」をご紹介して来ました。
 
 
 三番目のジャンルの最後になります今回は、
 世界的に有名な昆虫学者アンリ・ファーブルは、とりわけ「愛猫家」としては紹介されませんが、その生涯を知りますと、「猫が居なかったことは無い」ほど、常に猫は家族だったようなのです。

 
 「進歩させた文明によって人間は自滅の方向性に在る」と要約出来るこの名言は、
 原っぱで何時間も何日も、小さな「虫けら」の暮らしを観察したファーブルにとって、もしかしたら晩年に見聞きした、第一次大戦によって自然が大きく破壊された狂気の様を言っているのかも知れません。
 ですが、92歳という長寿で亡くなる一年前に、喉かな南フランスで余生を送っていた時のことだけでの言葉であるとも思えません。

 
 しかし、いずれにしても今から100年以上も前の世界を観て、この名言を残したファーブルは、やはりただ者ではありません。

 逆に言うと、ファーブルのような警告を発する人間が居たにも拘らず、人間はとうとう100年以上もの間、殆ど何の顧みも無く、とうとう楽観が出来なそうな状態の時代に至ってしまったとも言えます。つまり、ファーブルが「ただ者ではない」のか? 人間が「余程の馬鹿者」なのか? ということです。

 
 名言では「文明」と抽象的に述べていますが、その実態は「科学とその応用(活用)」に他ならないことは言うまでもありません。

 では、何故人間は「自滅の方向性であると考えせずに文明(科学)を発展させたのか?」というテーマと、どうしてファーブルは100年以上も前に、この言葉を発し得たのか?というテーマが浮かんで来ます。

 前者は、案外単純な理由なのでしょう。それは、子どもが「ご飯を食べずにデザートばかり食べたがる」のと同じに、人間は、「楽したい」「満足したい」という本能を持って居るからに他成りません。

 この「楽をしたい」という本能は、人間に「工夫する」「知恵を働かせる」という作用をもたらしました。ところが、人間は、それを「何処まででストップさせるか?」を全く考えなかったのです。

 なので、「運動不足」になって健康を害する程「楽」をしたり、「食べ過ぎ」で胃腸を壊すまで自制することが出来なかったようなことを、あらゆる事柄で行ってしまった訳です。
 
 また、人間の「向上心、探究心」というものもまた、「諸刃の剣」で、良い面もあると共に「飽くなき欲求」「常に欲求不満」の錯覚をも呼び起こし、やはり上記の方向に行き着いてしまう面もあります。

 つまりは、ファーブルも勿論分かっての言葉でしょうけれど、
 「文明(科学)の発展」が悪いのではなく、人間が「その使い道」と「限度」、及び
 それによる「弊害」と「副作用」をしっかり考えなかったことが犯人であることもまた、紛れも無いことでしょう。 

 そこに加えて「文明(科学)」そのものではなく、
 より正しくは、「文明(科学)の活用」であることもまた改めて考えねばなりません。

 
 私は、このテーマを考える度に、何度かお話したと思いますが,ノーベル賞受賞者の山中伸弥(2012年ノーベル生理学・医学賞)教授の言葉を思い出します。
 ある意味、翌年の受賞者:大隅良典(2016年ノーベル生理学・医学賞)教授の言葉も同じことを言っているのかも知れません。

  山中氏の言葉で最も感銘を憶えましたのは、「予想に反する結果にワクワクする(要約)」と、「最近の研究者はそのような時、大概愕然とする(要約)」です。
 後者はあまり何度も強調されてはいなかったと思いますが、確かに一回は述べてらしたと思います。
 
 これらの言葉は、大隅教授の「近年は、基礎研究が出来にくいが、これが最も大切(要約)」と実は全く同じではないか、と考えます。

 つまり、敢えて言葉を悪く言いますと「役に立たない」もしくは「役に立つかどうか分からない」研究を、「ワクワクしながらやっていた結果」が大発見・大発明であるということです。

 言い換えれば、「役に立つかどうか分からない研究」に対しても、伸び伸びとことん出来るような理解と環境が必要だ。でなければ「大発明・大発見も生まれ難い」ということです。
 しかし現実は、どうしても「役に立つもの」に予算が出るのが当たり前であり、それが時代と共により厳しくなっているようなのです。

  逆にこの数年の間に、その成果を急ぐあまり、もしくはその暗黙のプレッシャーの中での研究であったが為に、「誤解?勘違い?」かははっきりしませんが、結果的に「不正研究」とされた出来事もありました。

 「そんなことは昔から同じだろう」とおっしゃる人もいるかも知れません。

 しかし、問題は、科学者・研究者の意識、心持ちの問題なのです。

 勿論、どんな研究者も、ある程度の「テーマや的」はあるに違いありません。 ですが、「仮説」が裏切られる度にむしろ「ワクワク」する、というのは、常に「大自然」と向い合っていると、そこに「人智や科学」を超越した世界や、時にはあざ笑われるかのような畏怖の念を抱く「何か」が感じられるというのが、昔からの科学者・研究者だったのではないでしょうか。

 勿論、そのような「意識/心持ち」も、全て余裕がもたらすものであるかも知れません。しかし、逆に言えば、「科学文明が発展し、便利になればなるほど、その余裕が失われて行く」という皮肉な方向性であるとも言える訳です。

 ファーブルでさえも晩年は、スポンサーや定職に恵まれず、貧しい暮らしを余儀なくされたと言いますから、100年後の今日では、長閑に一日中、「糞転がし」を眺めているような「科学」は、まずもって許されないのかも知れません。
 さりとて「プロの研究者」という人々は、アマチュアの趣味の領域とは異なり、常に「生活する」ということからのプレッシャーや危機感も必要なのかも知れません。
 
 大金持ちの道楽で、膨大な資金と最新技術を駆使して成し遂げた発見もありましょうが、やはり「我が身を追いつめたところで得られる覚醒と閃き」というのも大切なのかも知れません。

 ファーブルに言わせれば、「それこそ神の領域に入り込む者の最低限の資格」なのかもしれないと思わせるのは、ファーブルの別な言葉があるからです。
 それは、

 死は終わりではない、更に高貴な生への入り口である。

 勿論、ファーブルは「輪廻転生」を信じないキリスト教文化で生まれ育った人なのですから、「更なる高貴な生」は、天国でのことなのかも知れません。
 
 しかし、「大自然」というものと対峙している時、たかだか2千年程度の「新しい宗教」では説かれていない「深遠なる世界」を感じるということはありえます。
 勿論、仮にファーブルが述べたことが「輪廻転生」であったとしても、「来世が今生より高貴である保証」もない筈ですから、何とも判断し難いものがあります。

 ただ、ファーブルの専門の昆虫と、常に傍らに居た猫のことを考えると、ファーブルの言う「高貴」とは、今に生きる私たちが実感する「至福」とは必ずしも同じではないと、言えるかも知れません。

 私の16年前の昆虫飼育の最初の頃の感動の想い出ですが、
 子どもの頃に「カブトムシ」を採ったエリアがすっかり様変わりしていたのですが、奇蹟的にたった一匹のメスを摑まえることが出来たのです。

  しかし、夏も終わりに近かったので、程なく死んでしまい、その悲しみに加えて、良い歳になって「昆虫飼育」なぞするもんじゃないな。どっちにしても死んでしまうのなら、「自然のままに置いておけば良かった」と我に返った想いをしたのです。
 ところが、日にちも少ないし、ペアリングの雄も居なかったので考えもしなかったのですが、一月程すると、彼女が去った飼育ケースの中に、70匹もの赤ん坊(幼虫)が生まれたのです。勿論次第に数は減りましたが、その後、五年は累代(代替わり)しました。十数匹は、母親の居た林にも戻しました。

 私の身勝手な解釈かも知れませんが。「一匹が80匹の分身になった」ような驚きと感動でした。
 私たちの身体の37兆とも言われる細胞の多くが、ある程度の時を経て死滅し生まれ変わる様に。たった一匹のメスが、80匹に生まれ変わったような錯覚を憶えたのです。
 そのような感動体験を何十年も毎年のように体験して来たファーブルにとって、個々の細胞や、人間や生き物の意識が「至福」を実感する以前に、そのこと自体が「高貴」なのではないか? そう思える訳なのです。

 少なくともファーブルに関して言えば、その子孫は今もフランスの何処かに何人か居るでしょうし、何よりも、縁も所縁もないこの私が100年経ってもこうして語るということもまた、彼の「研究に邁進し、常に探究心を絶やさなかった」姿が生き続けているからこそ、と思います。

 そんな「森羅万象」を感じる人間であったからこそ、ファーブルの「役に立たない研究」でさえも、人間の心を打ち、語り継がれている。「今の世の中にそういう研究者が生まれ得るか?」というテーマもありますが、少なくともファーブルの時代の研究者が持っていた「心持ち」に対する感動と敬意だけは、失いたくないものだと思います。
 それは或る意味「役に立つ大発明」と同じ位の価値があるのではないでしょうか?

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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著者紹介(若林忠宏氏)

「福岡猫の会」




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