お寺の廊下の陽だまりの猫 – 連載コラム「猫の名言」





photo: Caffè Artistico

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 


Vol. 47 「お寺の廊下の陽だまりの猫」

 
虎になれて、何故猫になれん

朝比奈宗源(臨済宗禅僧 / 1891~1979)
 

 流石禅僧のお言葉。
 端的な中に、奥行きが感じられます。

 
 鎌倉円覚寺住職の朝比奈宗源氏は、時代劇の題字を書いたことで一般にも知られると共に、1963年に「世界連邦日本仏教徒協議会」を結成し、世界平和のためのユニバーサルな運動も展開されました。ところが、その5年後、禅僧ですが伊勢神宮に参拝した際、「世界平和も大切だが、今の日本のことをしっかりやらないといけない」という天啓を受け「日本を守る会」の運動にシフトしたと言われます。

 数々の著書の多くは仏法を基本にした人間の生き方、心持ちを説いたものですが、「現代を生きる心」「若い人への手紙」「覚悟はよいか」など、直接的に今日の日本人に訴える、切なる願いに満ちたものが強い印象を与えます。
 表題の言葉は、一説には同じ臨済宗の江戸末期~明治大正の高僧:釈宗演の言葉の引用とも言われます。

 
 冒頭で私は、表題の言葉に「奥行き」があると述べました。
この奥行きを「深み」と言いますと、ちょっと違うような気もします。
 何故ならば、「言葉や想いの深み」とか「重み」というと、ややかしこまった気分にさせられます。

 しかし、宗源和尚のお言葉には、そのような堅さは感じられず、むしろ伸び伸びとした心持ちが感じられます。それは和尚が猫を「或る種の理想像」として見事に引用されたからではないでしょうか。

 「重み」に対しては、それを引き受ける覚悟が要求されるような気がします。
 「深み」と言われると、所謂「深いねー!」と気楽に眺めているのならば良いですが、いざ、その深淵の世界に入って行こうとすると、中途半端では居場所が無いような感じがします。
 
  ところが宗源和尚のお言葉に感じる「奥行き」は、大げさに言えば、
 「無限の広がり」であり、「世界」を通り越して(とっくに包括して)「宇宙に繋がる」感覚さえ憶えるのです。
 
  表題の言葉を初めて知った(読んだ)時、実際は違うかも知れませんが、
 暖かい陽射しが入りつつも、落ち着いた真摯な空気が漂う僧坊の広い畳の部屋と
 お坊さんたちが丹念に磨いた歴史ある木の廊下が感じられました。

  その何処までも続くような廊下の「奥行き」の中で私たちの想いや心は、
 「何処に居ても良い」そんな印象を強く感じたのです。
 
  そして、猫は、その中の一番暖かで居心地の良いところで「昼寝」をしているのでしょう。

 そうイメージすると、確かにその場には「虎」は、居場所がなさそうです。
 「猫を被る」どころか、もし虎がそこに居たいのならば、
 心底「猫」にならないと居られないような感じのする、「柔らかな空間」です。

 しかし、その場所は、とても敬虔で清らかで落ち着いた場所です。
 好き勝手に大の字になって寝転ぶような場所でもない。

 その意味では、お寺の縁側で丸くなって昼寝する猫の姿は、誠にその場に相応しい姿ではないでしょうか。
 勿論、猫の中には暑い夏、大の字になって寝る子も居ます。またお行儀良く丸くなっているのも、礼儀正しさではなく、それが「最も心地良い」からの自然な姿であり、素直と言えば聞こえが良いですが、単なる我が儘の結果かも知れません。

 しかし、猫が「大の字」になる時は、余程安全を確信していなければ、あり得ません。縁側の猫も、屋外の軒の上の猫も、同じ様に丸くなるのは、
 何時何が起ろうとも即座に対処出来る緊張感は捨てていないからに他成りません。

 この意味では、廊下の猫の姿は、程よく安心しながら陽の恵の暖かさを存分に享受しつつ、決して油断したり、だらけたり、甘えたりはしない。宗源和尚の僧坊の廊下に、最も相応しい似合ったたたずまいかも知れません。

 逆に、虎は可愛そうな気もします。まるで幼児に返ったようであるか、気が抜けた力の無い状態にでもならないと、日だまりの廊下で「猫」のようには居られないような感じがします。

 そんな風景や想像を思いめぐらせますと、改めて「流石禅僧のお言葉」と、
 改めて、その「奥行き」の見事さ、暖かさ、そして、厳しさ、清らかさを感じる訳です。

 虎になるのは簡単だ。時に哀れなほど大変だけれど、簡単だ。
 しかし、
 猫になるのはもっと大変だ。力を抜きながらも気を抜かない。
 気を張らずに、だらけない。

 そんな教えが伝わってくるような気がします。

 それもこれも、
 宗源和尚が、「猫」を引き合いに説いて下さったから分かったことです。
 
 しかし、人間は、数多の「業」を引き受けて行きて行かねばならず、
 猫のように「悟り切った」姿で一生を終える訳には行きません。
 
 縁側で猫が昼寝するような喉かな場所に於いてこそ、
 猫が居づらくならないような「ゆとりある心」で、
 聡明な思考と、不屈不断の決意を抱いて、己の内面に確かな答えを見出し、
 柔らかく立ち上がらねばならないのでしょう。

 猫たちが猫で居られるように。
 虎も竹林の何処かでこっそり「猫」になれるように。
 世の中や大自然の安寧を保つために、否、そのような世界に戻すために、
 人間にはきっと多くの責務が課せられているのではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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著者紹介(若林忠宏氏)

「福岡猫の会」




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