猫の倫理観 – 連載コラム「猫の名言」




猫の名言
photo: Takuma Kimura

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 14 「猫の倫理観」

 
猫を理解するには、彼が独自の才能と独自な見地、独自な倫理観まで持っていることを悟らねばならない。

Lilian Jackson Braun (リリアン・J・ブラウン 米推理小説家 / 1913~2011)
 

 シャム猫の「ココとヤムヤム」が、記者が取り組む難事件の解決の糸口を与えるという膨大な推理小説シリーズの作者だけあって、私たち愛猫家も「はっ!」とさせられる、流石の深い洞察力の言葉ではないでしょうか。

 この文言は、猫の「才能、見地、倫理観」の独自性を理解せねば、「猫という生き物」は理解できない、という意味なのでしょうけれど、さらに言えば、個々の猫でもそれらが異なるので、「それぞれの猫を理解するため」には、それぞれの「それ」を理解せねばならない、というとても広く深い世界なのです。

 もちろん、ブラウン氏が述べるように、多くの猫に共通した、しかし人間の想像をしばしば大きく超えた「独自な思考と感覚」を持っていることも確かです。

 その最たるものが、猫が単独で生きて行く性質上に自然に持っている「自立心と自律心」。つまり、「群れを頼り守られ、その対価として、義務や責任を負う」という感覚を持ち得ないというものであると言えます。

 その結果、私たち人間の苦悶や困惑、しばしば心を痛めたり、他者を傷つけたりすることの源泉である、「比較意識、優越・劣等感、被害者意識、自意識」といったややっこしい感覚を、猫はほとんど持ち合わせていないのです。
 なので、それらから生じる「不遇感、不幸感、厭世観」も、「羨ましい、妬み、恨み」も抱くことがないのです。
 
 人間感覚で言えば、「実に出来た心の生き物である」ということですが、人間、猫の垣根を超えて一言で言うならば「心が自由」ということではないでしょうか。
 
 もちろん、多くの猫が、「嫌なことの記憶」はしっかり持っています。それは生きる上で不可欠であり、言わば「酸っぱいものを食べて、お腹を下した」だから「以後、酸っぱいものは食べない」というようなものであり、「こらっ!泥棒猫!」と怒鳴られたり、水を掛けられたり、もっと酷い虐待を受けたとしても、そこに生じる感覚は、「恨み」という次元のものではないのです。
 
 では、自由な心を持っている猫に、はたしてブラウンさんが言うような「倫理観」は必要なのでしょうか?

 人間にとっての「倫理観」のほとんどは、西洋ではキリスト教、東洋では仏教や儒教によって教えられたものと極論させていただくとして。猫にはそれらは無縁なはずです。さすれば、「倫理観」から発する「道徳観」も、「親切」も、「礼儀」も、「思いやり」も、「義務と責任」も生じようが無い、ということになるはずです。しかし、猫には、「見地」。つまり、「物事の判断基準」「自らの物差し」そして「善悪の判断」があるとブラウンさんは言っている訳です。
 
 結論を申し上げさせていただきます。
 
 確かに、猫には、独自な「倫理観と見地」があるのです。私は、ささいなことから感動的なことに至る、それらを何度もたくさん目撃し、痛感することとなったのです。

 初めて知った時、初めて目撃したときの様子と感動については、いずれすこし詳しくお話しいたしたいと思いますが、例えば以下のような事柄で、猫たちの「独自な倫理観、見地」についてしみじみと理解することができました。

 
出来事(その1)
「足の裏にも目があるの?」

出産直後、母猫は何故か赤ん坊を決して踏むことが無い。

 
出来事(その2)
「中に猫がいる布団には飛び降りない?」

棚上から寝ている人間には容赦なく飛び降りる猫が、猫の上にはしない。

 
出来事(その3)
「弱い子からはフードも奪わない?」

幼い子猫、弱った子からはフードを横取りしたりはしない。

 
出来事(その4)
「尊敬する猫には、遠慮する?」

尊敬する猫、同室の最年長猫には、とても礼儀正しい。

 
出来事(その5)
「わざわざトイレで嘔吐する子」

嘔吐の原因にもよりますが、辺り構わずの子もいれば、わざわざトイレでする子もいます。つまり、本能や習慣ではない何かの思いがあるのです。

 
出来事(その6)
「トイレを守る子守れない子」

ごく希に守れない子がいます。ということは守る子も本能・習慣ばかりではないということなのです。

 
出来事(その7)
「怖くて嫌な薬を頑張る」

口に何かをねじ込まれることは、馴れの問題ではないようです。

 
出来事(その8)
「爪を出す子、出さない子」

よそっている私の手に待ち切れず手を出す時、爪を出す子と出さない子。その違いも、本能や条件反射ではないようです。

 
出来事(その9)
「大合唱が止む」

重篤な子への投薬が始まった瞬間。「ご飯!」の大合唱がぴたりと止む訳は?

 
 などなどを、何頭の猫に何度も見てきましたから、偶然ではないのです。本能でも無ければ、習慣でもなく。何か「まずった!」と思った経験や記憶があるからではないのです。これらこそ「独自な見地、倫理観」ではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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著者紹介(若林忠宏氏)

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