連載コラム「猫の名言」
日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、福岡猫の会で病気の保護猫たちの看病を続けられてきた若林忠宏氏による連載コラム。
猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。
Vol. 11 「猫たちの使命感」
猫に関する究極の謎は、そもそも何故「家猫」になることを決意したかである。
Sir Compton Mackenzie (コンプトン・マッケンジー 英小説家、実業家 / 1883~1972)
猫は、紀元前三千年ころの古代エジプト(旧王朝)で、リビヤ・ヤマネコから生まれたというのがほぼ定説になっています。おそらく、リビヤ・ヤマネコ(学名:Felis silvestris lybica)の中の小柄で人懐っこい子を元に繁殖させて、家猫(学名:Felis silvestris catus)が定着したのだろうと思われます。
ですが、マッケンジーさんほどの人です。人間の心と思考を深く掘り下げ、人々の心を掴む才能に長けた人が「猫の決意である」と言うからには、もっと深い意味があるはずです。ところが意外にも、そのことについて語る人は古今東西ほとんどいないようなのです。
まず、当時のエジプトでは、猫は太陽神の娘の女神でもあり、人間を滅ぼす神として畏怖の念を込めて崇拝されていました。
と、まずこの辺りから、今日の私たちには理解出来ない感覚があるわけです。
儒教の善悪観念が生まれるのは、その時代から二千五百年程も後のこと。キリスト教の教えで、人間を滅ぼすのは悪魔であり、神は人間を守ってくれる存在であるという感覚を抱くのはさらに五百年も後のことです。ところが、五千年前のエジプトの人々は「人間を懲らしめる猫の女神」を崇めつつ、膝の上の猫を愛でていたというのです。
そのエジプトでも、新王朝の時代の猫の女神は、もはや人間を懲らしめることをしなくなり、むしろ「母性の象徴」として愛されます。この180度もの変化はいったい何を意味するのでしょうか? その謎が解明されない限り、マッケンジーさんの問いかけの答えも見つからないに違いありません。
古代エジプト旧王朝では、ファラオ直々の命で、猫は大切に扱われ、国外不出の掟さえあったと言いますが、フェニキア人がこっそり盗み出しては地中海各地で高く売りさばき、じわじわと世界中に広がり「穀物を鼠から守る益獣」として重宝されるのです。ところが、それでも「猫の謎」は、常に人間たちを悩ませていたのでしょう。中には、猫が苦手、嫌い、怖いという人も少なくなく、何かの風評の類いがきっかけで、十六世紀頃には「魔女狩り」と共に猫も公然の虐待を受けることとなりました。
それでもなお「人間に寄り添って生きよう」という「猫の決意」は固く。様々な迷信や伝説を重ねながらも、今日までずっとそばに居続けてくれているのです。
いまだに「鼠の番」で活躍している猫も、洋の東西を問わず多くいます。イギリスの劇場や映画館では、つい最近まで主のような猫が当たり前にいたようですし、ウイスキー工場では、大麦と樽を鼠から守る「ウイスキー・キャット」が今もいるようです。
でも、少なく見積もっても、世界中で人間によりそって暮らす猫の半分は、もはや「鼠退治」の仕事をしていないのではないでしょうか?
では、何故? 猫は人間のそばで生きようとし、人間は猫のことが良く分からないと思いながらも、一緒にいて欲しいと思うのでしょうか?
世界中の様々な宗教で、「神が人間の世界に降りて来た」という話があります。これは、真実であるかも知れませんし、人間の永遠の願望でもあるかも知れません。
もしかしたら、古代エジプト旧王朝のころ。人間が猫の女神に「降臨」を懇願し、女神の子孫として、何らかの使命を持ってこの世に現れたのが「猫」なのかも知れません。しかし、人間は、古代エジプト新王朝のころには、もはや猫の女神の存在さえも人間の都合の良い解釈に替えてしまったのです。
今私たちの側にいたり、膝の上でうとうとしている「猫」たちが、今日もその「何らかの使命」を分かっているか?は、計り知ることは出来ません。
そう思わせる不思議な出来事はたくさん体験しましたが、単なる私の願望や思い込みに過ぎないかも知れません。マッケンジーさんの問いかけは、人類の永遠の謎のひとつとして、未来に引き継がれて行くしかないのでしょう。
若林忠宏
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