徳川家康の名言には、次のような言葉があります。
- 人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず
- いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある
戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府した徳川家康(1543~1616)の名言をご紹介します。
徳川家康の生涯
| 氏名 | 徳川家康 |
|---|---|
| 生年月日 | 1543年1月31日 |
| 没年月日 | 1616年6月1日 |
| 享年 | 73(歳) |
| 国籍 | 日本 |
| 出生地 | 三河国岡崎城(現在の愛知県岡崎市康生町) |
| 職業 | 武将、天下人、征夷大将軍 |
| 名言 | 人は負けることを知りて、人より勝れり |
1543年1月31日、戦国時代中期に三河国の岡崎城(現:愛知県岡崎市康生町)で生まれる。
父の岡崎城主・松平広忠は、守護大名・今川氏に忠誠を示すため、家康(幼名は竹千代)を人質として差し出すが、家臣の裏切りにより今川氏と対立する戦国大名・織田氏へ送られて人質となる。
織田氏の元で数年を過ごした後、あらためて今川氏へ送られ数年間、忍従の日々を過ごす。
1560年、今川義元が織田信長に討たれた後、家康は織田信長と同盟を結び、三河国・遠江国に版図を広げていく。
1582年の明智光秀の本能寺の変による信長の死後、勢力を伸張した豊臣秀吉との対立が深まり、小牧・長久手の戦いで対峙。家康は軍略的には勝利したものの政略的には後れをとり、豊臣氏に臣従することになる。
1590年、小田原征伐において北条氏が滅亡した後、秀吉から関東への領地替えを命じられるも豊臣政権下で最大の領地を得、五大老の筆頭となる。
秀吉没後の1600年、関ヶ原の戦いにおいて勝利。征夷大将軍に任命される。
江戸城に幕府を開いた家康は、応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代に終止符を打った。
1616年6月1日、徳川家康は73年の生涯を閉じた。
家康の開いた江戸幕府は明治維新まで264年間続く。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
徳川家康の名言・格言集
・徳川家康の名言(1)
・徳川家康の名言(2)
・徳川家康の名言(3)
【関連ページ】
・織田信長の名言・格言
・豊臣秀吉の名言・格言
・武田信玄の名言・格言
・明智光秀の名言・格言
徳川家康の名言(1)
人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。
急ぐべからず。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。
戦いでは強い者が勝つ。
辛抱の強い者が。
多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。
いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。
得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。
及ばざるは過ぎたるより勝れり。
決断は、実のところそんなに難しいことではない。
難しいのはその前の熟慮である。
人は負けることを知りて、人より勝れり。
人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。
七文字で言えば「身のほどを知れ」。
平氏を亡ぼす者は平氏なり。
鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。
己を責めて、人を責むるな。
いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。
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徳川家康の本・関連書籍
竹千代(家康)が生まれた年、信玄は22歳、謙信は13歳、信長は9歳であった。動乱期の英傑が天下制覇の夢を抱くさなかの誕生。それは弱小松平党にとっては希望の星であった―剛毅と智謀を兼ね備えて泰平の世を拓いた家康の生涯を描いて、現代人の心に永遠の感動を刻む世紀の大河ドラマ発端篇!
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徳川家康の名言・言葉の一覧
| No. | 徳川家康の名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。 |
| 2 | 勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。 |
| 3 | 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。 |
| 4 | 世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。 |
| 5 | 戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。 |
| 6 | 多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。 |
| 7 | いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。 |
| 8 | 得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。 |
| 9 | 及ばざるは過ぎたるより勝れり。 |
| 10 | 決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。 |
| 11 | 人は負けることを知りて、人より勝れり。 |
| 12 | 人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。 |
| 13 | 平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。 |
| 14 | 己を責めて、人を責むるな。 |
| 15 | いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。 |
| 16 | 天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。 |
| 17 | 重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ。 |
| 18 | 一手の大将たる者が、味方の諸人の「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、敵などに勝てるものではない。 |
| 19 | 家臣を扱うには禄で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。 |
| 20 | 家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。 |
| 21 | 我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきぞ。 |
| 22 | 人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。 |
| 23 | 最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。 |
| 24 | 敵だというのも自制心を忘れた怒りである。 |
| 25 | われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。 |
| 26 | 愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。 |
| 27 | 大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。 |
| 28 | 道理において勝たせたいと思う方に勝たすがよし。 |
| 29 | 願いが正しければ、時至れば必ず成就する。 |
| 30 | 滅びる原因は、自らの内にある。 |
| 31 | 不自由を、常と思えば、不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。 |
| 32 | 人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。 |
| 33 | 多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。 |
| 34 | 大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。 |
| 35 | 真らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず。 |
| 36 | 怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。 |
| 37 | およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。 |
| 38 | われ独り出頭して、一人して事を埒あけたがるように致す、これ大なる病なり。 |
| 39 | 最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。 |
| 40 | あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。これが秘伝である。 |