徳川家康(1543年~1616年)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。征夷大将軍。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府。
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1543年、戦国時代中期に三河国の岡崎城(現:愛知県岡崎市康生町)で生まれる。
父の岡崎城主・松平広忠は、守護大名・今川氏に忠誠を示すため、家康(幼名は竹千代)を人質として差し出すが、家臣の裏切りにより今川氏と対立する戦国大名・織田氏へ送られて人質となる。
織田氏の元で数年を過ごした後、あらためて今川氏へ送られ数年間、忍従の日々を過ごす。
1560年、今川義元が織田信長に討たれた後、家康は織田信長と同盟を結び、三河国・遠江国に版図を広げていく。
1582年の明智光秀の本能寺の変による信長の死後、勢力を伸張した豊臣秀吉との対立が深まり、小牧・長久手の戦いで対峙。家康は軍略的には勝利したものの政略的には後れをとり、豊臣氏に臣従することになる。
1590年、小田原征伐において北条氏が滅亡した後、秀吉から関東への領地替えを命じられるも豊臣政権下で最大の領地を得、五大老の筆頭となる。
秀吉没後の1600年、関ヶ原の戦いにおいて勝利。征夷大将軍に任命される。
江戸城に幕府を開いた家康は、応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代に終止符を打った。
江戸幕府は明治維新まで264年間続く。
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徳川家康の名言・格言集
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徳川家康の名言(1)
名言・格言
人の一生は、
重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。
急ぐべからず。
- 徳川家康 -
名言・格言
勝つことばかり知りて、
負くること知らざれば、
害その身に至る。
- 徳川家康 -
名言・格言
堪忍は無事長久の基、
怒りは敵と思え。
- 徳川家康 -
名言・格言
世におそろしいのは、
勇者ではなく、
臆病者だ。
- 徳川家康 -
名言・格言
戦いでは強い者が勝つ。
辛抱の強い者が。
- 徳川家康 -
名言・格言
多勢は勢ひをたのみ、
少数は一つの心に働く。
- 徳川家康 -
名言・格言
いくら考えても、
どうにもならぬときは、
四つ辻へ立って、
杖の倒れたほうへ歩む。
- 徳川家康 -
名言・格言
得意絶頂のときこそ
隙ができることを知れ。
- 徳川家康 -
名言・格言
及ばざるは
過ぎたるより勝れり。
- 徳川家康 -
名言・格言
決断は、実のところ
そんなに難しいことではない。
難しいのはその前の熟慮である。
- 徳川家康 -
名言・格言
人は負けることを知りて、
人より勝れり。
- 徳川家康 -
名言・格言
人生に大切なことは、
五文字で言えば
「上を見るな」。
七文字で言えば
「身のほどを知れ」。
- 徳川家康 -
名言・格言
平氏を亡ぼす者は平氏なり。
鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。
- 徳川家康 -
名言・格言
己を責めて、
人を責むるな。
- 徳川家康 -
名言・格言
いさめてくれる部下は、
一番槍をする勇士より値打ちがある。
- 徳川家康 -
名言・格言
天下は天下の人の天下にして、
我一人の天下と思うべからず。
- 徳川家康 -
名言・格言
重荷が人をつくるのじゃぞ。
身軽足軽では人は出来ぬ。
- 徳川家康 -
名言・格言
一手の大将たる者が、
味方の諸人の
「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、
敵などに勝てるものではない。
- 徳川家康 -
名言・格言
家臣を扱うには
禄で縛りつけてはならず、
機嫌を取ってもならず、
遠ざけてはならず、
恐れさせてはならず、
油断させてはならないものよ。
- 徳川家康 -
名言・格言
家臣を率いる要点は惚れられることよ。
これを別の言葉で心服とも言うが、
大将は家臣から心服されねばならないのだ。
- 徳川家康 -
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