津田梅子の名言には、次のような言葉があります。
- 高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう
- 環境より学ぶ意志があればいい
現在の津田塾大学を設立し、日本女子教育の先駆者と称される津田梅子(1864~1929)の名言をご紹介します。
津田梅子の生涯
| 氏名 | 津田梅子 |
|---|---|
| 生年月日 | 1864年12月31日 |
| 没年月日 | 1929年8月16日 |
| 享年 | 64(歳) |
| 国籍 | 日本 |
| 出生地 | 江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町) |
| 職業 | 教育者。女子英學塾(のちの津田塾大学)創立者 |
| 名言 | 一人一人の人生の航路には独りで立ち向かわなければならない、それぞれの困難と問題があります |
1864年12月31日(元治元年12月3日)、キリスト教界の三傑とうたわれた父、津田仙の次女として、現在の東京都新宿区南町に生まれる。
幕臣だった父は幕府崩壊により職を失ったが、1869年から築地のホテル館へ勤めはじめ、津田家は向島へ移る。
1871年、父は明治政府の北海道開拓使の嘱託となる。開拓使次官の黒田清隆(1840~1900)は女子教育にも関心を持っており、父は黒田が企画した女子留学生に梅子を応募。
1871年12月、梅子を含む女子留学生5人が欧米視察の岩倉使節団に随行して渡米。梅子は最年少の6歳であった。
ワシントンD.C.のジョージタウンでランマン夫妻の家に預けられた梅子は現地で初等教育を受ける。キリスト教への信仰も芽生え、8歳にときに洗礼を受ける。
13歳になった梅子は私立女学校のアーチャー・インスティチュートに入学。ラテン語、フランス語などの語学や英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学ぶ。
17歳で学校を卒業した梅子はその年に日本へ帰国。翌年、梅子は岩倉使節団の副使であった伊藤博文(1841~1909)と再会。父との確執もあった梅子は伊藤宅に住み込み、通訳兼家庭教師となる。
1884年、19歳の梅子は華族子女を対象にした私塾・桃夭女塾の英語教師として働きはじめ、翌年からは学習院女学部から独立して設立された華族女学校の英語教師になる。
1889年、梅子は24歳のときに再び渡米。ブリンマー大学に入学し、生物学を専攻。1891年にはオズウィゴー師範学校にて教授法を学ぶ。
1892年、梅子は27歳でブリンマー大学選科を修了。同年、日本に帰国。再び華族女学校に勤める。
1898年、33歳の梅子は女子高等師範学校の教授を兼任。
同年、梅子は万国婦人連合大会の日本代表としてアメリカのデンバーへ行き、ヘレン・ケラー(1880~1968)にも面会する。その後、イギリスにも渡り、ナイチンゲール(1820~1910)を訪問している。
1900年、35歳の梅子は華族女学校、女子高等師範学校の教授を辞任。
同年、「女子英学塾」(現:津田塾大学)を東京麹町区に開校し、塾長となる。華族平民の別のない女子教育を志向して、一般女子の教育を始める。
女子英学塾は、それまでの行儀作法の延長の女子教育とは違い、進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となった。
1903年4月には第一回卒業式を行い、8名の卒業生を出す。
塾の創業期に健康を損なった梅子は、塾経営の基礎が整うと54歳で塾長を辞任。
鎌倉の別荘で長期の闘病後、1929年8月16日、脳出血のために死去。津田梅子は64年の生涯を閉じた。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
津田梅子の名言・格言集
【関連ページ】
・ヘレン・ケラーの名言・格言
・ナイチンゲールの名言・格言
・伊藤博文の名言・格言
・福沢諭吉の名言・格言
津田梅子の名言
東洋の女性は、地位の高い者はおもちゃ、地位の低い者は召使いにすぎない。
男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成
※ 教育理念
この学校に限らず、他のどの学校においても、学校だけで皆さんの行く手にあるものに対処できる力を完全につけてあげることはできません。
※ 1913年の卒業式の式辞
一人一人の人生の航路には独りで立ち向かわなければならない、それぞれの困難と問題があります。
※ 1913年の卒業式の式辞
私たちは、あらゆる面において、皆さんを助ける努力をして参りました。
しかし将来は皆さんの手中にあり、皆さんは実際の体験における試練と教訓を待たなければなりません。
※ 1913年の卒業式の式辞
皆さんのひとりひとりが『光を見る目、永遠の真理を知る洞察力、憐れみともっとも優しい慈悲に満ちた心、闇を照らす信仰』をもちますように。
※ 1913年の卒業式の式辞
人生の導き手である良い書物は、その書物のなかで語る偉人たちの言葉は、求めさえすれば皆さんのものとなることでしょう。
環境より学ぶ意志があればいい。
何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。
成功させることはなお難しい。
高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう。
先生をするのであれ、主婦になるのであれ、どのような方面の仕事をするのであれ、高尚な生活を送るように努力してください。
古い時代の狭量さ、偏屈さを皆さんから追い払い、新しいことを求めつつ、過去の日本女性が伝統として伝えてきたすぐれたものはすべて保つ努力をしてください。
真理は、見ることを拒まなければ、私たちの誰の魂の中にも明りを灯すでしょう。
その明りは、私たちの浅薄な才能、卑しい意地悪利己心、虚栄や嫉妬などを照らし出し、他人のなかにある良さを見せてくれます。
Storm last night(昨夜、嵐)
※ 日記に記された最後の言葉
おわりです。
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津田梅子の本・関連書籍
1900年に女子英学塾を創立した。声高に叫ばれるイズムによってではなく、「知性と性格の力を備え、自分で思考できる女性」を育てる、という理念を掲げて女性の解放をめざしたその一途で着実な歩みは、教育の危機が問われる今日、反省のきっかけを与え、志を同じくする者に希望をもたらすであろう。
日本最初の女子留学生としてアメリカに11年滞在し、帰国後は生涯独身を通しつつ教育に身をささげ、津田塾大学を創設した津田梅子。日本における女子教育の先駆者となる梅子とその時代を描いた、読売文学賞受賞の伝記文学の傑作、緊急復刊。
女子英学塾(現・津田塾大)の創始者で、日本の女子教育の先駆者の物語。合計15年に及ぶアメリカ留学から、女性の自立の重要性を痛感、その人づくりに生涯をささげる。ヘレン・ケラーやナイチンゲールなどとも親交のあったグローバルな生涯をえがく。
津田梅子の名言・言葉の一覧
| No. | 津田梅子の名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 東洋の女性は、地位の高い者はおもちゃ、地位の低い者は召使いにすぎない。 |
| 2 | 男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成 ※ 教育理念 |
| 3 | この学校に限らず、他のどの学校においても、学校だけで皆さんの行く手にあるものに対処できる力を完全につけてあげることはできません。 ※ 1913年の卒業式の式辞 |
| 4 | 一人一人の人生の航路には独りで立ち向かわなければならない、それぞれの困難と問題があります。 ※ 1913年の卒業式の式辞 |
| 5 | 私たちは、あらゆる面において、皆さんを助ける努力をして参りました。しかし将来は皆さんの手中にあり、皆さんは実際の体験における試練と教訓を待たなければなりません。 ※ 1913年の卒業式の式辞 |
| 6 | 皆さんのひとりひとりが『光を見る目、永遠の真理を知る洞察力、憐れみともっとも優しい慈悲に満ちた心、闇を照らす信仰』をもちますように。 ※ 1913年の卒業式の式辞 |
| 7 | 人生の導き手である良い書物は、その書物のなかで語る偉人たちの言葉は、求めさえすれば皆さんのものとなることでしょう。 |
| 8 | 環境より学ぶ意志があればいい。 |
| 9 | 何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。 |
| 10 | 高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう。 |
| 11 | 先生をするのであれ、主婦になるのであれ、どのような方面の仕事をするのであれ、高尚な生活を送るように努力してください。古い時代の狭量さ、偏屈さを皆さんから追い払い、新しいことを求めつつ、過去の日本女性が伝統として伝えてきたすぐれたものはすべて保つ努力をしてください。 |
| 12 | 真理は、見ることを拒まなければ、私たちの誰の魂の中にも明りを灯すでしょう。その明りは、私たちの浅薄な才能、卑しい意地悪利己心、虚栄や嫉妬などを照らし出し、他人のなかにある良さを見せてくれます。 |
| 13 | Storm last night(昨夜、嵐) ※ 日記に記された最後の言葉 |
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