連載コラム「猫の名言」
日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら)
Vol. 24 「犬には同情、猫にはヤキモチ」
犬は、猫の方が利口だと本能的に知っている。だから、家に猫がやって来ると憤慨するのだ。
Eric Gurney (エリック・ガーニー カナダのイラストレーター・漫画家 / 1910~1992)
カナダ生まれ育ちで、ディズニーカンパニーで頭角を著わしたガーニーは、この言葉を知るまでの私の思い込みだったかも知れませんが、どちらかと言うと猫より犬を多く描いているようでもあります。
また、幾分擬人化しつつも、実にその生態や心理を深く描写した、犬や猫に限らず鳥も含めた、言わば「生き物全般」をこよなく愛する人物の印象がありました。これはきっと、私のみならず多くの方々に共通する印象ではないでしょうか。
さらに言えば、その代表作「ノイローゼの犬(1960)」と「計算高い猫と同居する方法(1962)」の二作のイラストやテーマをそのまま受け止めるのであるならば。
むしろ犬には同情的で共感を抱き、猫に対しては少なからずの警戒心、違和感、そして批判精神、皮肉感覚を抱いているようにさえ思えていました。
なので、私は表題の名言を知った時、実に意外に思うと同時に、この言葉の奥深さに大いに感銘を覚えたのです。
まず、表題の名言には、ふたつの異なるテーマを感じます。
ひとつは、この連載で何時も語らせて頂いている、表題の名言の意味する奥深い真意についてです。
もうひとつは、幾分唐突ですが、「愛猫家って何だ?」というテーマです。
いずれも語れば膨大な深いテーマですので、あえて今回は、後者に偏って申し上げます。
この連載コラムでご紹介している「世界的著名人で愛猫家とその名言」の大半は、「ほぼ猫に特化して溺愛している人物」ですが、Vol.9でご紹介したチャーチル首相、Vol.15の米第16代大統領リンカーン、Vol.16の小説家マーク・トゥウェインなど、二割ほど「犬猫にこだわらず動物全般の愛護家」が居ます。
彼らは、「猫に関する名言」のみならず、「犬に関する名言」や、様々な「生き物に関する名言」をも残しています。
また、ネット検索によって「犬にまつわる名言」も少なからず知ることが出来ますが、そこでも「犬に特化して溺愛している人物」が大半な中で、「犬猫に限らず、生き物全般に対する愛護家」は、やはり同様に二割前後なのです。
これらについてさらに掘り下げて考えてみる前に、お断りとご理解をお願いしたいことは、私は、決して「猫だけに特化して溺愛している」タイプではない、ということです。
その根拠は、東京から福岡まで、運送会社の2tトラック20台もの(非常識な)大荷物の引っ越しをしましたが、その内の一台は、「昆虫飼育道具と淡水魚飼育道具」で埋まってしまいました。
子供の頃から中学生で民族音楽にハマる頃まで、生家には、猫のみならず、犬も必ず居て、鳥類は父がマニアで、百種近く。インド孔雀迄居ました。
福岡にもショップで売れ残った(母犬に虐待されたらしく、心に大きな傷を持つ)ミニチュアダックスも一緒に連れて来ました。(ほどなく「どうしても欲しい」という方にお譲りしましたが)
なので、決して「猫だけが好き」とか、「猫が犬より、もしかしたら人間より素晴らしい」という偏った観念を抱いている人間ではないことを是非、ご理解頂きたいのです。
むしろ「愛猫家さん」たちの気分を害するかも知れませんが、
「愛猫家の著名人」の、半数以上が、「人間関係が不得手」「多分に偏屈である」、という普遍的な傾向があると考えます。
勿論中には、リンカーン、ジョージ・ブッシュや、マリー・アントワネットのような社会活動の面で名を残した人も居ますが、強いて言えば彼らは「猫だけ」と言うより「生き物全般に対する愛護意識」が強い方々のようです。
「とりわけ猫が」という著名人の多くは、画家、音楽(作曲)家、小説家、研究家、発明家など、「自宅の自室に籠って」というタイプが圧倒的です。
その結果として、「孤高」であったり「孤独」であったり、幾分「反社会的」であったり、それ程でもなくても、「偏屈」という人は少なくありません。
しかし、決して「人間嫌い」ということではなく、むしろ「恋多き」人物はけっこう多く居ます。
一方の「犬に特化して」のタイプの著名人の大半を占めるのが、社会的に成功した人物です。つまり、「社会性に富み」「人間関係の面で長けている」。勿論、信頼や人望が豊かな人々です。
この点では、「愛猫家」の、「偏屈」とは、全く反対の対照的な様相が明らかに見て取れます。
しかし、その延長線上には、彼のナポレオンや、ムッソリーニ、ヒトラーといった最終的には、地位と権力に溺れ、大衆や庶民をないがしろにした「愛犬家」も少なからず存在します。
つまり、「犬に特化した愛犬家」の多くには、良く言って「社会性に富み、社会を愛する」性質が菅著にあり、悪く言って、「地位と権力を求める」傾向があることは、決して偏見的決めつけではないと思われるわけです。
一方の「猫に特化した愛猫家」の多くには、悪く言って「偏屈で非社会的」 しかし、良く言えば「猫に限らず、人間も含め、その心を愛する」ナイーブな性質が見て取れるのです。
つまり、結果論として、その純粋さの持つ幼稚さや身勝手、我が儘の所為で、孤立することはあれど、人間や社会に対して嫌悪感を抱いているとは限らないわけなのです。
表題のエリック・ガーニー氏の言葉を逆さまに置き換えてみましょう。
つまり「猫は、犬の方が本質的にお馬鹿だと知っている」か、もしくは「猫は『この犬はけっこう賢い』と本能的に分かっている」場合ですが。
おそらく間違いなく、その場合でも猫は、その犬に対して「敵愾心」を抱き、むき出しにはしないだろう、ということです。
猫にしてみれば、「お馬鹿」だったら関わらず、「放って置こう」に過ぎず、「お利口」ならば、「何も心配は無い」と考えるでしょうから、やはり慌ても騒ぎもしない。
逆に、犬は、「この猫はお馬鹿だ」と思えば、明らかに態度に出るような気もします。
これらを総合すると、エリック・ガーニー氏のこの名言は、彼の二つの代表作「ノイローゼの犬」と「計算高い猫」に見事に通じることが分かるのではないでしょうか。
つまり、犬、及び同様に、「社会性や序列、優劣」にこだわっている人間は、そのことで自らを混乱させ、ひいてはノイローゼにまで至ってしまうことに対し、深い哀れみの心を持って「もったいないことだ」と、言いたいのではないでしょうか。
逆に猫は、「その問題から解放されている、憎たらしいほど見上げた精神だ」と、言わんとしているように思えるのです。
最後までお読みくださってありがとうございます。
民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏
連載コラム「猫の名言」
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