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1949年1月12日、京都府京都市に生まれる。国語教師の両親の影響を受けて読書家に育つ。
1968年に早稲田大学文学部に入学。在学中は映画脚本家を目指して映画の脚本を読みふける。
1971年に学生結婚。在学中にジャズ喫茶を開店する。1978年、プロ野球の観戦中に小説を書くことを思い立ち、ジャズ喫茶を経営するかたわら作品を書き続け、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞する。
その後、専業作家となることを決意しジャズ喫茶を人に譲る。
1986年からギリシャ、ローマ旅行開始、1991年まで日本との間を行き来する生活を送る。
1987年に出版した『ノルウェイの森』が大ベストセラー。2002年の長編『海辺のカフカ』により国際的評価も高まる。2006年にはカフカ賞を受賞し、以後ノーベル文学賞の有力候補となる。
2009年にエルサレム賞を受賞。イスラエルによるガザ侵攻が国際的に非難されていたが「何も語らないことより現地で語ることを選んだ」と授賞式に出席。
特に影響を受けた作家として、スコット・フィッツジェラルド、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーらを挙げている。
Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)
村上春樹の名言・格言集
村上春樹の名言(1)
名言・格言
僕らはとても不完全な存在だし、
何から何まで要領よく
うまくやることなんて不可能だ。
不得意な人には
不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。
- 村上春樹 -
名言・格言
ものごとがあまりに完全だと、
そのあとに決まって反動がやってくる。
それが世のならいだ。
- 村上春樹 -
名言・格言
人は勝つこともあるし、
負けることもあります。
でもその深みを理解していれば、
人はたとえ負けたとしても、
傷つきはしません。
人はあらゆるものに
勝つわけにはいかないんです。
人はいつか必ず負けます。
大事なのは
その深みを理解することなのです。
- 村上春樹 -
名言・格言
誰をも抜かないし、
誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々は
そんな回転木馬の上で
仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを
くりひろげているように見える。
- 村上春樹 -
名言・格言
私が小説を書く理由はひとつだけです。
個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、
光をあてる事です。
- 村上春樹 -
名言・格言
どんなに壁が正しくて
どんなに卵がまちがっていても、
私は卵の側に立ちます。
- 村上春樹 -
名言・格言
インターネットで「意見」が
あふれ返っている時代だからこそ、
「物語」は余計に力を持たなくてはならない。
- 村上春樹 -
名言・格言
目に見えるものが、
ほんとうのものとは限らない。
- 村上春樹 -
名言・格言
遠くから見れば、
大抵のものは綺麗に見える。
- 村上春樹 -
名言・格言
何かを持ってるやつは
いつか失くすんじゃないかと
ビクついてるし、
何も持ってないやつは
永遠に何ももてないんじゃないかと
心配してる。
みんな同じさ。
- 村上春樹 -
名言・格言
月の裏側に
一人残されていたような恐怖を
自分のことのように想像しながら、
その状況の意味を何年も考え続けた。
- 村上春樹 -
名言・格言
孤独好きな性格を守るのに、
誰にも迷惑をかけてないはずだという論理は
逃げである。
孤独は闘い取るものだ。
闘い取られていない孤独は、
いつか人の心を蝕む。
- 村上春樹 -
名言・格言
過ちを進んで認める勇気さえあれば、
だいたいの場合取りかえしはつく。
- 村上春樹 -
名言・格言
希望があるところには
必ず試練があるものだから。
- 村上春樹 -
名言・格言
一般論をいくら並べても
人はどこにも行けない。
- 村上春樹 -
名言・格言
高く堅固な壁と卵があって、
卵は壁にぶつかり割れる。
そんな時に私は常に卵の側に立つ。
- 村上春樹 -
名言・格言
少しずつ向上する。
少しずつだけれど、
それでも向上は向上だ。
- 村上春樹 -
名言・格言
自分に同情するな。
自分に同情するのは、
下劣な人間のやることだ。
- 村上春樹 -
名言・格言
深刻になることは必ずしも、
真実に近づくこと…ではない。
- 村上春樹 -
名言・格言
多くの人は枠組みが必要で、
それがなくなってしまうと耐えられない。
いろんな檻というか囲い込みがあって、
そこに入ってしまうと
下手すると抜けられなくなる。
- 村上春樹 -
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