ジョン・F・ケネディの名言には、次のような言葉があります。
- 我々が未来に信頼を持つには、まず我々自身を信頼することである
- 屋根を修理するなら、日が照っているうちに限る
43歳でアメリカの第35代大統領に就任。テキサス州ダラスでパレード中に暗殺されたジョン・F・ケネディ(1917~1963)の名言をご紹介します。
ジョン・F・ケネディの生涯
| 氏名 | ジョン・F・ケネディ |
|---|---|
| 英語名 | John F. Kennedy |
| 生年月日 | 1917年5月29日 |
| 没年月日 | 1963年11月22日 |
| 享年 | 46(歳) |
| 国籍 | アメリカ |
| 出生地 | マサチューセッツ州ブルックライン |
| 職業 | 政治家。第35代米国大統領 |
| 名言 | 国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。 |
1917年5月29日、マサチューセッツ州ブルックラインのケネディ一家に次男として生まれる。
父はアイルランド系移民の実業家。母方の祖父はアイルランド系米国人の有力者としてボストン市長、下院議員を務めている。
ケネディは生まれつき背骨に障害があり、生涯、背骨の痛みに悩まされた。
1940年にハーバード大学を卒業。第二次世界大戦では南太平洋で魚雷艇を指揮。困難な状況下、部下と生還したことで英雄となる。
戦後、政界入りし、1947年~1953年に下院議員、1953年~1960年に上院議員を務める。
そして1960年の大統領選挙に民主党から出馬し、共和党のリチャード・ニクソンを僅差で破り当選。選挙で選ばれた最も若い大統領(43歳)となった。カトリック教徒、アイルランド系としても初の大統領であった。
大統領在任中にはピッグス湾事件、キューバ危機、ベルリンの壁の建設、米ソの宇宙開発競争など、多くの歴史的事件に取り組む。
1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスにてオープンカーでパレード中に狙撃され、暗殺される(享年46)。
調査当局は逮捕されたオズワルドの単独犯行という結論を出しているが、多くの陰謀論も唱えられている。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
ジョン・F・ケネディの名言・格言集
・ジョン・F・ケネディの名言(1)
・ジョン・F・ケネディの名言(2)
・ジョン・F・ケネディの名言(3)
【関連ページ】
・英語の名言・格言【ジョン・F・ケネディ】
ジョン・F・ケネディの名言(1)
我々が未来に信頼を持つには、まず我々自身を信頼することである。
我々は真に勇気ある人間であったか?
すなわち「敵に対抗する」勇気のほかに、必要な場合には「自己の仲間に対しても抵抗する」だけの勇気を持っていたか。
「私利私欲に抵抗する」勇気だけでなく、「多数の圧迫に抵抗する」勇気を持っていたか!
行動にはつねに危険や代償が伴う。
しかしそれは、行動せずに楽を決めこんだ時の長期的な危険やコストと較べれば、取るに足らない。
中国語で書くと、危機という言葉は二つの漢字でできている。
ひとつは危険、もうひとつは好機である。
目的と方針がなければ、努力と勇気は十分ではない。
私たちは、今までになかったものを夢見ることができる人々を必要としている。
我々は、望みに向かって進む時、恐れに行く手をふさがせてはならない。
今、我々に必要なのは何か。
それは満足感ではない。
勇気だ!
やらねばならないことをやる。
個人的な不利益があろうとも、障害や危険や圧力があろうとも。
そしてそれが人間倫理の基礎なのだ。
誰かが僕を撃つつもりなら、今日やるべきだ。
国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。
その道が千里またはそれ以上であったとしても、この国土の、この時代の我々が、その第一歩を踏み出したことを歴史に記録させようではないか。
もし自由社会が、貧しい多数の人々を助けることができなければ、富める少数の人々も守ることができないだろう。
自信を持って恐れることなく、私たちは努力を続けなければならない。
人類絶滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって。
我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない。
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ジョン・F・ケネディの本・関連書籍
キューバ危機の解決や人種差別との戦いをはじめ数々の問題に果敢に取り組んだ20世紀最高のリーダーが、自らの理想とし、心の支えとしたのは、アメリカの歴史に名を残す偉大な先人たちだった。逆境にあっても自らの信念を貫いて生きた「勇気ある人々」。ケネディは、そうした人々のエピソードをもとに、自分の信じる生き方を描き、一冊の本にまとめた。それが、全米大ベストセラーとなり、ピュリッツァー賞を受賞した本書『勇気ある人々』だ。
1961年、43歳で米大統領に就任し、三年後、凶弾に倒れたジョン・F.ケネディ。名家に生まれ、海軍士官、下・上院議員として活躍し、一気に頂点に登り詰めた彼は、理想を追い求めた政治家として「神話」化されている。だがその一方で、家族、宗教、女性、病魔といった問題に常に苛まれていた。本書は、虚弱だった成長期から繙き、米ソ冷戦下、政治家としてどのように時代と対峙し、生きようとしたか、その実像を描く。
1962年10月、キューバで攻撃用ミサイル基地建設の動きが発覚した。それは、ソ連が弾道ミサイルを含む攻撃用兵器をキューバに持ち込んだもので、当時世界は核戦争の危機に瀕していた。そうした状況下で行われた米国・ケネディ大統領とソ連・フルシチョフ首相との交渉。本書は、大統領の側近だった実弟のロバート・ケネディが当時のアメリカ合衆国の決断を生々しく語った回顧録である。そこには、司法長官として常に身近にいるからこそ理解できる、兄ジョン・F・ケネディの苦悩と何としても危機回避を行わなければならない決意が描かれている。ともすれば軍事行動に走ろうとする軍部。したたかに虚実を交えた情報戦を図るソ連。こうした中で、大統領は迫りつつある核戦争の危機を、軍事力でなく外交交渉でいかに解決するかに腐心していた。危機の最中に弟にだけふと漏らす大統領の人間的なつぶやきが、この兄弟のきずなの強さを物語っている。
ジョン・F・ケネディの名言・言葉の一覧
| No. | ジョン・F・ケネディの名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 我々が未来に信頼を持つには、まず我々自身を信頼することである。 |
| 2 | 我々は真に勇気ある人間であったか?すなわち「敵に対抗する」勇気のほかに、必要な場合には「自己の仲間に対しても抵抗する」だけの勇気を持っていたか。「私利私欲に抵抗する」勇気だけでなく、「多数の圧迫に抵抗する」勇気を持っていたか! |
| 3 | 行動にはつねに危険や代償が伴う。しかしそれは、行動せずに楽を決めこんだ時の長期的な危険やコストと較べれば、取るに足らない。 |
| 4 | 中国語で書くと、危機という言葉は二つの漢字でできている。ひとつは危険、もうひとつは好機である。 |
| 5 | 目的と方針がなければ、努力と勇気は十分ではない。 |
| 6 | 私たちは、今までになかったものを夢見ることができる人々を必要としている。 |
| 7 | 我々は、望みに向かって進む時、恐れに行く手をふさがせてはならない。 |
| 8 | 今、我々に必要なのは何か。それは満足感ではない。勇気だ! |
| 9 | やらねばならないことをやる。個人的な不利益があろうとも、障害や危険や圧力があろうとも。そしてそれが人間倫理の基礎なのだ。 |
| 10 | 誰かが僕を撃つつもりなら、今日やるべきだ。 |
| 11 | 国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。 |
| 12 | その道が千里またはそれ以上であったとしても、この国土の、この時代の我々が、その第一歩を踏み出したことを歴史に記録させようではないか。 |
| 13 | もし自由社会が、貧しい多数の人々を助けることができなければ、富める少数の人々も守ることができないだろう。 |
| 14 | 自信を持って恐れることなく、私たちは努力を続けなければならない。人類絶滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって。 |
| 15 | 我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない。 |
| 16 | 楽な人生を願い求めるな。より強い人間になれるように願いなさい。 |
| 17 | 勝ち戦には100人もの将軍が名乗り出るが、負け戦は一人で責任を負うのみだ。 |
| 18 | あなたの敵を許しなさい。だが、その名前は決して忘れるな。 |
| 19 | 事実をありのまま率直に語ることは、未来に絶望することでも過去を告発することでもない。 |
| 20 | 屋根を修理するなら、日が照っているうちに限る。 |
| 21 | 中間管理職と真のリーダーシップとの微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかだろう。 |
| 22 | 私たちが抱える問題は、人間が作り出したものだ。したがって、人間が解決できる。人間の理知と精神は、解決不可能と思われることもしばしば解決してきた。これからもまたそうできると私は信じている。 |
| 23 | 恐怖から交渉をしてはいけない。しかしまた、交渉するのを恐れてもいけない。 |
| 24 | 良い成果を上げる政府の基礎となるのは、国民の信頼である。 |
| 25 | 平和的革命を失敗させる人物は、暴力的革命を不可避のものにする。 |
| 26 | 人類は戦争に終止符を打たなければならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。 |
| 27 | どのような平和を私は言っているのか?どのような平和を我々は探求しているのか?私が言っているのは本物の平和である。それは人生が生きるに値すると思わせる平和であり、すべての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子供たちのためにより良き生活を打ち立て得る平和である。それはアメリカ人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、我々の時代だけの平和ではなく全ての時代の平和である。 |
| 28 | 清らかな良心のみを我々の確かな褒賞とし、歴史に我々の行動の最終的な審判をゆだね、我々の愛する国土を導くべく前進しようではないか。 |
| 29 | 我々すべてが等しい才能を持っているわけではない。しかし、我々すべては才能を伸ばす等しい機会を持つべきだ。 |
| 30 | 人は他人とは違う何事かをなすことができる。だったら誰もがそうすべきである。 |
| 31 | 平和は憲章や盟約だけに根ざすものではない。それは人々の心情の中に根ざすものである。 |
| 32 | 何といっても、我々の最も基本的なつながりは、誰もがこの小さな惑星に住んでいるということにあるのです。誰もが同じ空気を吸っているのです。誰もが子供たちの未来を慈しんでいるのです。 |
| 33 | 互いに相違点があることは認めよう。たとえ今すぐ相違点を克服できないにしても、少なくとも多様性を認められるような世界を作る努力はできるはずだ。 |
| 34 | 富は手段であり、その目的は人間である。物質的な富は人間の向上のために用いられなければ意味がないと言ってよい。 |
| 35 | 知識が増すほど、われわれの無知が明らかになる。 |
| 36 | 学問を伴わぬ自由は危険であり、自由を伴わぬ学問は空虚である。 |
| 37 | 変化とは人生の法則である。過去と現在しか見ない人は、確実に未来を見失う。 |
| 38 | 一人の有権者が民主主義に対して無知であることは、あらゆる安全を低下させる。 |
| 39 | 私は大統領になる時に若すぎると言われた。君は野球をするには年を取りすぎだと言われた。しかし今、どちらも全く的外れであることがわかった。 |
| 40 | 人は死に、国は興亡するかもしれない。しかし思想は生き続ける。 |
| 41 | われわれは時間を道具のように使わねばならない。すがりつく松葉杖としてではなく。 |
| 42 | 勝利には千人の父親がいる。だが、敗北は孤児である。 |
| 43 | 大きな失敗を恐れない者だけが、偉大なことを成し遂げる。 |