連載コラム「猫の名言」
日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、福岡猫の会で病気の保護猫たちの看病を続けられてきた若林忠宏氏による連載コラム。
猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。
Vol. 15 「ちいさな命って?」
犬や猫を大事にしない者は信用できない。
Abraham Lincoln (エイブラハム・リンカーン 米16代大統領 / 1809~1865)
「猫派」を自称される方々は、いわゆる「動物愛護や様々な生き物が好き」ということと、「愛猫家」は違う、とおっしゃります。表題の名言を残したリンカーンもまた、犬猫分け隔てなく生き物、動物を愛した人なのでしょう。
つまり、リンカーンは「愛猫家」というくくりとはちょっと違うのかも知れません。しかし、彼が南北戦争の前線を視察した際、前線基地で数頭の子猫を見つけ、士官に保護を頼んでホワイトハウスに連れ帰った話しは、その時代、立場と状況、距離、社会への影響力から、スケールの大きな「野良子猫保護」の話であるとは、言えるのではないでしょうか。
ところが、人間心理をやや斜めに捕らえる人々や、別な意味で深く厳しく分析する人々は、そのようないわゆる「美談」を「売名行為だ!」とか「偽善だ!」とおっしゃります。
すると逆に「保護活動」をしている人たちは、少なからず反発を感じ「そういう人間には分かってもらわなくて良い」とシャッターを降ろしてしまう傾向もあるようです。おそらくこれは古今東西の永遠のテーマなのでしょう。
大げさに言えば、洋の東西のほとんどの宗教における、「人間の存在意味」や「創世記」の類いにまで遡ることが出来るテーマなのです。つまり、「人間は神の祝福を得た選ばれた生き物である」や「世の中は、人間の為に創世された」という観念が存在すると、どうしても他の生き物に対して「上から目線」で見てしまうということです。これは、「愛護精神」があろうとなかろうと、普遍的にです。
別な意味では、人間も含め、あらゆる生き物は他の生き物の命を奪うことで一時一時の命と時間を得ている訳です。だから日本には「いただきます」の言葉があり、西洋、西アジア、インドや仏教圏でもそれぞれの教えや戒律が多くあります。
ところが、近現代では、加工食品のみならず加工食材が普及し、いわゆる「生々しさ」が薄れると、基本的な感覚も当然薄れてしまいます。その結果、生き物の命は、果たして「大切に思うべきなのか?」だとして「それは何故なのか?」。逆に、「命を奪うことで生きるということは?」というテーマは、世界的規模で変質していることも大きな意味を含んでいる事実なのです。
全く別な次元で、心理学的な見地から考えますと、「動物愛護」の人々だけでなく、人間は、その心理の内訳を誰もがそんなに明確に認識出来ていないはずです。
なので、一方から「偽善だ!」と言われると「違う!」とは思いつつ、論理的には言い返せないし、説き伏せることが出来ないのでしょう。 その結果「どちらが正しいとは言えない」という「うやむやな結論」で終わってしまうのでしょう。
つまり、古今東西で、この「命」に関するテーマは、結局は「人それぞれ」のままで、定説も無ければ、論理的な「概念」も無いまま、何千年も続いて来ているのです。
ただ、ひとつ言えることは、「愛護精神」がある人々の中でもやはり「論理的な概念」が無い。逆の人々もまたしかり。ということです。
例えば、「掛け替えのない小さな命」という表現がありますが。これひとつをとっても「小さい体の命=小さい生き物の意味だ」という感覚と、「どうみても小さいから小さいと言うしかない」という感覚と、そこに「健気でもろくか弱い=から守ってあげねば」の感覚などなどが、「入り交じっていて、整理出来ていないのでは?」ということです。なので、「小さな命」とはどういう意味であるか? ひとつをとってもみても、「誰も正解を示せない」のです。逆に言えば「曖昧さを多分に含ませたままの方が都合が良い」かのような常套句になっているのです。
私自身は、人が発した場合は「小さい体の大きな命」を略しておっしゃっているのだろう、と聞き。自分では使ったことは一度もありません。
若林忠宏
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