豊臣秀吉の名言には、次のような言葉があります。
- 敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ
- 財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ
織田信長に仕官して頭角を現し、信長の死後に天下統一を果たした豊臣秀吉(1537~1598)の名言をご紹介します。
豊臣秀吉の生涯
| 氏名 | 豊臣秀吉 |
|---|---|
| 生年月日 | 1537年3月17日 |
| 没年月日 | 1598年9月18日 |
| 享年 | 61(歳) |
| 国籍 | 日本 |
| 出生地 | 尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区) |
| 職業 | 武将、天下人、太閤 |
| 名言 | 主人は無理をいうなるものと知れ |
1537年3月17日(天文6年2月6日)、尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)に足軽の子として生まれる。
1554年頃、織田信長に小者として仕える。清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて成果を挙げる。
1568年、近江箕作城攻略戦で活躍。1573年には長浜城の城主となる。
1577年、秀吉は毛利氏の勢力下にある中国地方攻略を命ぜられ出陣。
1582年、織田信長が明智光秀の謀反により本能寺で自害。秀吉は明智光秀の軍勢を征伐。織田家の実力者たちとの戦いに勝利し、家臣第一の地位を確立。
勢力を伸張した秀吉と徳川家康の対立が深まり、1584年の小牧・長久手の戦いで秀吉は家康と対峙。家康は軍略的には勝利したものの政略的には後れをとり、秀吉に臣従する。
1587年の九州平定、1590年の小田原征伐と奥羽仕置の完了をもって、秀吉は天下統一を達成。
1592年、明の征服と朝鮮の服属を目指して16万の軍勢を朝鮮に出兵。やがて戦況は膠着状態となり、明との間に講和交渉を開始。
1598年9月18日、秀吉は後継者の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没。61年の生涯を閉じた。
1600年、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握。大坂の陣(1614~1615)で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
豊臣秀吉の名言・格言集
【関連ページ】
・織田信長の名言・格言
・徳川家康の名言・格言
・武田信玄の名言・格言
・明智光秀の名言・格言
豊臣秀吉の名言(1)
戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。
戦は六、七分の勝ちを十分とする。
敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。
主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。
主人は無理をいうなるものと知れ。
一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。
この黄金の輝きも
茶の一服に勝るものかな
家康は愚か者だ。
が、油断のならない愚か者だ。
側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。
負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。
逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。
いつも前に出ることがよい。
そして戦のときでも先駆けるのだ。
猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。
世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。
いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。
彼らは早く死んでよかったのだ。
生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。
信長公は勇将であるが良将ではない。
剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。
ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。
だから降伏する者をも誅殺した。
これは人物器量が狭いためである。
人には敬遠され、衆から愛されることはない。
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豊臣秀吉の本・関連書籍
日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し”の天才、豊臣秀吉。生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。
尾張中村の鼻たれ小僧日吉は負けん気の強い暴れん坊。だが心やさしく頭もきれる。百年うち続く戦乱に奪われ焼かれ、犯され殺される庶民の地獄絵を見て、戦いのない日本を作ろうと大志をいだく。自ら元服して木下藤吉郎と名乗り、諸国修業の旅に出た彼を待ちうける難関の数々。
16世紀という激動の時代を背景に、豊臣秀吉の生涯を織田信長・徳川家康などと対比させつつ浮き彫りにした史論。尾張の一足軽、木下藤吉郎から天下を統一して太閤に成りあがった傑物の姿がエピソード豊かに描きだされる。
豊臣秀吉の名言・言葉の一覧
| No. | 豊臣秀吉の名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。 |
| 2 | 戦は六、七分の勝ちを十分とする。 |
| 3 | 敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。 |
| 4 | 主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。 |
| 5 | 主人は無理をいうなるものと知れ。 |
| 6 | 一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。 |
| 7 | この黄金の輝きも 茶の一服に勝るものかな |
| 8 | 家康は愚か者だ。が、油断のならない愚か者だ。 |
| 9 | 側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。 |
| 10 | 負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。 |
| 11 | いつも前に出ることがよい。そして戦のときでも先駆けるのだ。 |
| 12 | 猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。 |
| 13 | 世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。 |
| 14 | いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。彼らは早く死んでよかったのだ。生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。 |
| 15 | 信長公は勇将であるが良将ではない。剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した。これは人物器量が狭いためである。人には敬遠され、衆から愛されることはない。 |
| 16 | およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり。 |
| 17 | 財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ。 |
| 18 | 人と物争うべからず、人に心を許すべからず。 |
| 19 | 女狂いに好き候事、秀吉真似これあるまじき事 |
| 20 | 降参した者を殺してはいけません。 |
| 21 | やるべき事が明確であるからこそ、日夜、寝食忘れて没頭できる。 |
| 22 | 何事もつくづくと思い出すべきではない。 |
| 23 | ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり。 |
| 24 | 人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。 |
| 25 | それは上々、一段の吉日にござる。信長公のために討ち死にするは覚悟のうえ、二度と生きて帰ろうとは思わぬ。さてまた光秀の天命が尽きれば、大利を得て、思いのままに国をもらい、この播磨の城に帰ることはない。 |
| 26 | どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ。気にするな。 |
| 27 | 返す返す秀頼のこと 頼み申し候 五人の衆 頼み申し候 頼み申し候 |
| 28 | 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 ※ 辞世の句 |