上杉鷹山の名言には、次のような言葉があります。
- 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり
- してみせて 言って聞かせて させてみる
領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけをつくり、江戸時代屈指の名君として知られる上杉鷹山(1751~1822)の名言をご紹介します。
上杉鷹山の生涯
| 氏名 | 上杉鷹山(上杉治憲)※ 鷹山は藩主隠居後の号 |
|---|---|
| 生年月日 | 1751年9月9日 |
| 没年月日 | 1822年4月2日 |
| 享年 | 70(歳) |
| 国籍 | 日本 |
| 出生地 | 高鍋藩江戸藩邸 |
| 職業 | 米沢藩9代藩主 |
| 名言 | 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり |
江戸時代後期の1751年9月9日、上杉鷹山は日向高鍋藩主・秋月種美の次男として高鍋藩江戸藩邸に生まれる。
名前は、松三郎(秋月家幼名) → 直松(上杉家幼名) → 勝興 → 治憲 → 鷹山(出家号)。
鷹山は実母が早くに亡くなったことから母方の祖母の瑞耀院(米沢藩4代藩主・上杉綱憲の娘)に引き取られ養育される。瑞耀院は、男子のなかった米沢藩8代藩主・上杉重定に、重定の娘・幸姫の婿養子として鷹山との縁組を勧めた。
鷹山は9歳のときに上杉重定の養嗣子となって桜田の米沢藩邸に移り、直松に改名。
15歳のときに将軍・徳川家治の偏諱を受け、治憲と改名。翌年、16歳で家督を継いで米沢藩9代藩主となる。
鷹山が藩主になったとき、米沢藩は極端な財政難と政治腐敗で藩政が破綻寸前にあった。名家の誇りを重んずるゆえ、豪奢な生活を改められなかった前藩主の重定は、藩領を幕府へ返上して領民救済は公儀に委ねようと真剣に考えるほどであった。
鷹山は大倹約を主旨とした大倹令を発布。自らの生活費も大幅に切り詰め、奥女中も大幅な削減を行った。
また農業開発、殖産興業政策、世襲代官制度の廃止などの改革を次々と実行。鷹山の時代に米沢藩は息を吹き返すことになった。
一方、鷹山の改革は上杉家譜代の老臣らから根強い反対があり、1773年には改革の中止と改革を推進する奉行の竹俣当綱一派の罷免を強訴した七家騒動が起こったが、鷹山はこれを退けた。
1782年から1788年にかけて天明の大飢饉が発生。東北地方を中心に餓死者が多発。鷹山は非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など対策に努め、自らも粥を食して倹約を行った。
1785年、34歳の鷹山は隠居し、10代藩主は重定の四男の治広が継承した。しかし治広と11代藩主の斉定はいずれも鷹山の後見を望んだため、以後も鷹山の改革が続行されることとなる。
1802年、51歳のときに剃髪し、鷹山と号す。この号は米沢藩領北部にあった白鷹山(しらたかやま)からとったといわれる。
1822年4月2日、上杉鷹山は疲労と老衰のために睡眠中に死去、70年の生涯を閉じた。
その翌年、米沢藩の借財が完済された。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
上杉鷹山の名言・格言集
【関連ページ】
・ジョン・F・ケネディの名言・格言
・上杉謙信の名言・格言
上杉鷹山の名言
為せば成る
為さねば成らぬ
何事も
成らぬは人の
為さぬなりけり
してみせて
言って聞かせて
させてみる
一村は互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしき事、朋友のごとくなるべし
物を贈るには、薄くして誠あるを要す。
物厚くして誠なきは、人に接する道にあらず。
父母の恩は、山よりも高く、海よりも深い。
この恩徳に報いることは到底できないが、せめてその万分の一だけでもと、力の限り努めることを孝行という。
受けつぎて
国の司(つかさ)の身となれば
忘るまじきは
民の父母
働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両
人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては続かない。
伝国の辞
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
おわりです。
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上杉鷹山の本・関連書籍
灰の国はいかにして甦ったか。九州高鍋の小藩から養子に入り、十七歳で名門上杉家の藩主の座についた治憲は、自滅か藩政返上かの瀬戸際にある米沢十五万石を再建すべく、冷メシ派を登用し改革に乗り出す。藩主や藩のために領民がいるのではない、との考えのもとに人びとの心に希望の火種をうえつけてゆく…。
日本を代表する「名指導者」上杉鷹山。貧窮にあえぎ、再生不能とされた米沢藩を蘇らせたのは、誠実、謙虚、そして慈愛あふれる鷹山の心の力だった。人の上に立つ人のあり方、人を動かす人の極意とは?現代にこそ必要な「リーダーの条件」を鷹山に学ぶ。
内村鑑三(1861~1930)は、「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人をあげ、その生涯を叙述する。日清戦争の始まった一八九四年に書かれた本書は岡倉天心『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』と共に、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作である。
上杉鷹山の名言・言葉の一覧
| No. | 上杉鷹山の名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり |
| 2 | してみせて 言って聞かせて させてみる |
| 3 | 一村は互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしき事、朋友のごとくなるべし |
| 4 | 物を贈るには、薄くして誠あるを要す。物厚くして誠なきは、人に接する道にあらず。 |
| 5 | 父母の恩は、山よりも高く、海よりも深い。この恩徳に報いることは到底できないが、せめてその万分の一だけでもと、力の限り努めることを孝行という。 |
| 6 | 受けつぎて 国の司(つかさ)の身となれば 忘るまじきは 民の父母 |
| 7 | 働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両 |
| 8 | 人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては続かない。 |
| 9 | 伝国の辞 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 |
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