牧野富太郎の名言には、次のような言葉があります。
- 雑草という草はない
- 草を褥(しとね)に木の根を枕、花と恋して九十年
「日本の植物学の父」と称される植物分類学者・牧野富太郎(1862~1957)の名言をご紹介します。
牧野富太郎の生涯
| 氏名 | 牧野富太郎 |
|---|---|
| 生年月日 | 1862年5月22日 |
| 没年月日 | 1957年1月18日 |
| 享年 | 94(歳) |
| 国籍 | 日本 |
| 出生地 | 土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町) |
| 職業 | 植物分類学者 |
| 名言 | 雑草という草はない |
1862年(文久2年)5月22日、土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)で酒造業を営む裕福な家に一人息子として生まれる。
3歳のときに父を、5歳で母を亡くし、祖母に育てられる。
1872年(明治5年)、10歳のころから寺子屋へ通い、習字や算術などを学ぶ。
この頃から植物の採集観察を始める。
その後、藩校に入り、西洋流の地理・天文・物理なども学ぶ。
1874年(明治7年)、12歳のときに小学校が開校されて入学。
しかし、2年で小学校を中退し、好きな植物採集に明け暮れる生活を送るようになる。
酒屋は祖母と番頭に任せていた。
1877年(明治10年)、15歳の富太郎は、佐川小学校の臨時教師となり、2年間教鞭をとる。
17歳で小学校教師を退職し、学問のために高知市に出る。その地で高知師範学校の教師を通じて欧米の植物学に触れる。
その後、江戸時代の本草学者・小野蘭山の『本草綱目啓蒙』に出会い、植物学に傾倒。
19歳のときに書籍や顕微鏡を購入するため、初めて東京へ旅行。
富太郎は本格的な植物学を志し、22歳のときに再び上京。
帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)植物学教室の矢田部良吉教授を訪ね、同教室の文献・資料などの使用を許可される。
1887年(明治20年)、25歳のときに植物学教室の学生ら3人と共同で『植物学雑誌』を創刊。
同年に祖母が死去。
富太郎はまだ日本にはなかった植物誌(植物図鑑)の制作に取り掛かり、1888年(明治21年)に『日本植物志図篇』第一巻第一集を出版。
翌年に日本で初めてヤマトグサに学名をつける。
この頃、富太郎が研究費を湯水の如く使ったこともあり実家の経営も傾いていた。
1890年(明治23年)、矢田部教授に「自分も日本植物志を出版しようと思うから、今後お前には教室の書物も標品も見せることは断る」といわれ、植物学教室の出入りを禁じられてしまう。
富太郎は大学の職員でもなく、学生でもないので諦めるしかなかった。
1891年(明治24年)、財産整理のために高知へ帰省中に、東京で矢田部教授が罷職され、松村任三教授から大学に入れてやると連絡がある。
1893年(明治26年)に東京帝国大学助手に任ぜられ、月俸十五円の辞令をうける。
富太郎は1890年(明治23年)、28歳のときに結婚。
月給十五円の俸給生活者になるも、毎年のように子どもが生れ、十五円ではとてもやりきれず、多額の借金をつくる(子ども13人生まれる)。
その後、松村教授と植物の命名などを巡って対立。
1912年(大正元年)から1939年(昭和14年)までは東京帝国大学理科大学講師を勤める。
1927年4月(昭和2年)、65歳で東京帝国大学から理学博士を受ける。
翌年、妻が55歳で死去。
1940年(昭和15年)、東京帝国大学を退官後、78歳で研究の集大成である『牧野日本植物図鑑』を刊行、この本は改訂を重ねながら現在も販売されている。
1957年(昭和32年)1月18日に死去。94年の生涯を閉じる。
同年、文化勲章を追贈される。
「日本の植物学の父」と称される牧野富太郎は、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製。1500種以上を命名し、600種余りの新種を発見したとされます。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
牧野富太郎の名言・格言集
・牧野富太郎の名言(1)
・牧野富太郎の名言(2)
・牧野富太郎の名言(3)
牧野富太郎の名言(1)
私は天性植物が好きだったのが何より幸福で、この好きが一生私を植物研究の舞台に登場させて躍らせた。
何事も心が純正でかつ何時も体が健康で、自ら誇らず、他をねたまず、水の如き清き心を保持して行くのは、神意にかなうゆえんであろう。
少し位知識を持ったとてこれを宇宙の奥深いに比ぶればとても問題にならぬ程の小ささであるから、それは何等鼻にかけて誇るには足りないはずのものなんです。
花は黙っています。
それだのに花は何故あんなに綺麗なのでしょう。
何故あんなにも快く匂っているのでしょう。
思いつかれた夕など窓辺に薫る一輪の百合の花をじっと抱きしめてやりたい様な思いにかられても、百合の花は黙っています。
そして一寸も変らぬ清楚な姿で、ただじっと匂っているのです。
学位や地位などには私は、何の執着をも感じておらぬ。
ただ孜々(しし)として天性好きな植物の研究をするのが、唯一の楽しみであり、またそれが生涯の目的でもある。
私はむしろ学位など無くて、学位ある人と同じ仕事をしながら、これと対抗して相撲をとるところにこそ愉快はあるのだと思っている。
人生まれて酔生夢死(すいせいむし)ほどつまらないものはない。
大いに努めよや、吾人!
生きがいあれや吾人!
青年は是非酒と煙草をやめて欲しい。
人間は健康が大切である。
われらは出来るだけ健康に長生きをし、与えられたる使命を重んじ、その大事業を完成しなければならぬ。
身心の健全は若い時に養わねばならぬ。
大学を出て何処へ行く?
モウよい年だから隠居する?
トボケタこと言うナイ、われらの研究はマダ終わっていないで尚前途遼遠(ぜんとりょうえん)ダ。
マダ自分へ課せられた使命ははたされていないから、これから足腰の達者な間はこの闊(ひろ)い天然の研究場で馳駆(ちく)し、出来るだけ学問へ貢献するのダ。
今日戦後の日本は戦前の日本とは違い、脇目もふらず一生懸命に活動せねばならぬのだから、老人めく因循姑息(いんじゅんこそく)な退嬰(たいえい)気分は一切放擲(ほうてき)して、幾ら老人でも若者に負けず働く事が大切だ。
私はまだ学界のために真剣に研究せねばならぬ植物を山のように持っているのに、歳月は流れわが齢余すところ幾ばくもない。
感極まって泣かんとすることが度々ある。
草を褥(しとね)に木の根を枕、花と恋して九十年
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牧野富太郎の本・関連書籍
わが国の植物分類学を独力で切り拓いた巨人・牧野富太郎。幼少より植物に親しみ、小学校中退後の人生を独学による植物研究に捧げた彼は、権威による研究妨害や貧困に屈することなく、九十五年の生涯の晩年まで現役であり続けた。彼が採集した標本は実に六十万点、命名した植物は二千五百余。「植物学の父」が独特の牧野節で綴る波瀾万丈の「わが生涯」。
独学で植物学を志し、のちに世界的な植物分類学者となった牧野富太郎が、伸びやかに綴った随筆。和漢洋の典籍を渉猟し、本草書を精査した著者が、その学識を背景に、植物の名の由来、その生態、日本人と植物の関わり方の歴史などを明快に説く。「馬鈴薯とジャガイモ」「キャベツと甘藍」「楓とモミジ」など身近な植物の分類にまつわる話から、「昔の草餅、今の草餅」「茶の銘玉露の由来」「中国の椿の字、日本の椿の字」「海藻ミルの食べ方」といった稀有な蘊蓄まで100題。挿絵多数。
ベストセラー「原色牧野植物大図鑑」のポケットサイズ「コンパクト版原色牧野日本植物図鑑」。写真と異なり細密なカラー図版で植物の細部まで確認でき、彩色部分図と部分名により各植物の特徴が一目でわかる。
牧野富太郎の名言・言葉の一覧
| No. | 牧野富太郎の名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 私は天性植物が好きだったのが何より幸福で、この好きが一生私を植物研究の舞台に登場させて躍らせた。 |
| 2 | 何事も心が純正でかつ何時も体が健康で、自ら誇らず、他をねたまず、水の如き清き心を保持して行くのは、神意にかなうゆえんであろう。 |
| 3 | 少し位知識を持ったとてこれを宇宙の奥深いに比ぶればとても問題にならぬ程の小ささであるから、それは何等鼻にかけて誇るには足りないはずのものなんです。 |
| 4 | 花は黙っています。それだのに花は何故あんなに綺麗なのでしょう。何故あんなにも快く匂っているのでしょう。思いつかれた夕など窓辺に薫る一輪の百合の花をじっと抱きしめてやりたい様な思いにかられても、百合の花は黙っています。そして一寸も変らぬ清楚な姿で、ただじっと匂っているのです。 |
| 5 | 学位や地位などには私は、何の執着をも感じておらぬ。ただ孜々(しし)として天性好きな植物の研究をするのが、唯一の楽しみであり、またそれが生涯の目的でもある。 |
| 6 | 私はむしろ学位など無くて、学位ある人と同じ仕事をしながら、これと対抗して相撲をとるところにこそ愉快はあるのだと思っている。 |
| 7 | 人生まれて酔生夢死(すいせいむし)ほどつまらないものはない。大いに努めよや、吾人! 生きがいあれや吾人! |
| 8 | 青年は是非酒と煙草をやめて欲しい。人間は健康が大切である。われらは出来るだけ健康に長生きをし、与えられたる使命を重んじ、その大事業を完成しなければならぬ。身心の健全は若い時に養わねばならぬ。 |
| 9 | 大学を出て何処へ行く? モウよい年だから隠居する? トボケタこと言うナイ、われらの研究はマダ終わっていないで尚前途遼遠(ぜんとりょうえん)ダ。マダ自分へ課せられた使命ははたされていないから、これから足腰の達者な間はこの闊(ひろ)い天然の研究場で馳駆(ちく)し、出来るだけ学問へ貢献するのダ。 |
| 10 | 今日戦後の日本は戦前の日本とは違い、脇目もふらず一生懸命に活動せねばならぬのだから、老人めく因循姑息(いんじゅんこそく)な退嬰(たいえい)気分は一切放擲(ほうてき)して、幾ら老人でも若者に負けず働く事が大切だ。 |
| 11 | 私はまだ学界のために真剣に研究せねばならぬ植物を山のように持っているのに、歳月は流れわが齢余すところ幾ばくもない。感極まって泣かんとすることが度々ある。 |
| 12 | 草を褥(しとね)に木の根を枕、花と恋して九十年 |
| 13 | 私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものは実のところそこに何にもありません。つまり生まれながらに好きであったのです。 |
| 14 | 今では私と花との恋は、五十年以上になったが、それでもまだ醒めそうにない。 |
| 15 | 私は草木の栄枯盛衰を観て人生なるものを解し得たと自信している。 |
| 16 | 植物を愛することは、私にとって一つの宗教である。 |
| 17 | 花に対すれば常に心が愉快でかつ美なる心情を感ずる。故に独りを楽しむ事が出来、あえて他によりすがる必要を感じない。故に仮りに世人から憎まれて一人ボッチになっても、決して寂寞(せきばく)を覚えない。実に植物の世界は私にとっての天国でありまた極楽でもある。 |
| 18 | われら人間はまずわが生命を全うするのが社会に生存する第一義で、すなわち生命あってこそ人間に生まれ来し意義を全うし得るのである。 |
| 19 | 私は従来学者に称号などは全く必要がない、学者には学問だけが必要なのであって、裸一貫で、名も一般に通じ、仕事も認められれば立派な学者である、学位の有無などでは問題ではない、と思っている。 |
| 20 | 人間は足腰の立つ間は社会に役立つ有益な仕事をせねばならん天職を稟(う)けている。それ故早く老い込んではオ仕舞だ。 |
| 21 | わが姿たとえ翁と見ゆるとも 心はいつも花の真盛り |
| 22 | 私は植物の愛人としてこの世に生まれ来たように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。 |
| 23 | 朝な夕なに草木を友に すればさびしいひまもない |
| 24 | 家守りし妻の恵みやわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹 |
| 25 | 私は幸い七十八歳の今日でも健康には頗(すこぶ)る恵まれていますから、これからの余生をただひたすらわが植物学の研究に委ねて、少しでもわが植物学界のために貢献出来れば、と念じているばかりです。 |
| 26 | 人間に思い遣りの心があれば天下は泰平で、喧嘩も無ければ戦争も起るまい。故に私は是非とも草木に愛を持つ事をわが国民に奨めたい。 |
| 27 | 草木は私に取っては唯一の宗教なんです。 |
| 28 | 私は標品整理完了の暁には、その一部を日本植物学界のために遺し、また他の一部は欧米の植物学界のために寄贈し、以て世界を利せんことを念願としている。 |
| 29 | これから先も私の死ぬるまでも疑いなく私はこの一本道を脇目もふらず歩き通すでしょう。 |
| 30 | 雑草という草はない。 |