猫の想い – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Lucky the fur

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 18 「猫の想い」

 
たとえ9回生まれ変わっても、あなたの猫があなたを理解しているほどに、あなたが愛猫を理解することはできないだろう。

Michael Anthony Zullo (マイケル・ズッロ 豪サッカー選手 / 1988~)
 

 意外に少ないのがアスリートの愛猫家です。知られていない、語られていないだけかもしれませんが、文豪・芸術家と比べれば圧倒的に少ないはずです。
 やはり自宅で仕事をする人間は、猫の世話も出来れば、猫に近い存在。加えて、ある意味「引きこもり系」。それに対して、サッカーに限らず、大観衆を前にして、大きなフィールドで自分の限界に挑戦するアスリートは、家に居る時間も少なければ、意識も大分違うのでしょう。

 それでもフィールドどころか空を駆けたリンドバーグは愛猫家ですし、同じく飛行機乗りだった「星の王子様」の作者、サン=テグジュペリもその発想から、おそらく愛猫家であったろうと推測します。そして、現在も活躍中のこのズッロ選手。
 言い換えれば、引きこもらず忙しく外で体を張って生きる人生なのに、猫が好きだったり、猫のことを理解していたりするのは、逆に見上げた愛猫家と言えるかもしれません。
 
 そして、何より感心させられるのが、ズッロ選手が用いた「9回」という言葉です。欧州では、猫にまつわる言い伝えに「9」が多いのです。基本「猫は9回生まれ変わる」というのがあって、イギリスの諺にも「猫は9回生きる、3回は遊びに、3回は放浪の旅に、3回はじっとしていることに費やす」というのがあるそうです。

 想像するに、ズッロ選手は、子どもの頃、自然や犬や猫や鳥に囲まれて、きっと祖父母とも一緒に暮らしたか? 昔の言い伝えを良く学んでいた両親に恵まれたか? もしくは全く逆で、都会の下町に暮らし、野良猫と接する時間が多かったのか? それでも古い諺や、「9と言う数字の持つ神秘的な意味」を知る昔気質の身内がいたこと。そしてそのような古い考えや感覚に少なからず惹かれる感性があったことは確かなのではないでしょうか? 

 もちろん、オーストラリアでは、現代の若者も、国民的習慣で、何かにつけて「9回生まれ変わっても」という表現を普通にするのかも知れません。この辺りとズッロ選手の生い立ちに関しては、詳しい方にぜひお教えを頂きたいと思います。
 
 ズッロ選手の言葉で大切なことは、「猫は飼い主をかなり理解している」ということと、「飼い主は、その愛猫をたいして理解していない」ということですが、それはどういう意味なのでしょうか?
 
 良く語られる、飼い主の多くが、分かっているつもりで実は分かっていないところが、「猫の気分」や「ワガママ」や「つれない素振り」の正体についてです。

 例えば、撫でる場所ひとつを取っても、「ああ、気持ち良い! ぐるぐる……」かと思えば「何よ! そこは止めてよ!」と叱られる。そんな飼い主・愛猫家さんは少なくないのでは? 実は、これは「猫を分かる」というより、少し「鍼灸ツボ」を勉強しますと良く分かるかも知れません。毛並や舌色、表情で、内蔵や血液循環の健康状態を察知して、効果のあるツボを撫でたり、指圧したりすれば「ぐるぐる」間違いなしです。
 
 しかし、ズッロ選手が言っていることは、そんな話ではないはずです。
そもそも、重要なポイントは、「猫は分かっている」ということです。

 
 保護した時に既に、血混じりのよだれを垂らすほど酷い口内炎で、六年頑張りましたが最期は壮絶な闘病の果てに逝った、猫エイズだった「Chame」。母屋の猫たちと隔離して、駅を挟んで反対側のマンションの一室を借りていた民族音楽教室に住んでいました。

 なので、言わば「教室のマスコットボーイ」でした。

 しかし、今思えば不思議なことに、あの当時の数十人の生徒さんの中で、猫好きは一般平均より少なかったように思います。「民族音楽=自然に囲まれ自然素材の楽器で、伝統的で、根源的な叡智に根ざす音楽」という感覚に共感するのであるならば、生き物や自然に対する憧憬も深かろうと思うのですが………….。

 
 著名人たちの別な名言に、「猫は心地良い場所を探す名人だ」のような言葉が幾つかあります。
 
 「Chame」は、クラスが入れ替わると、程なくして、誰かに狙いを定めてその人の胡座の上に入り込むのです。アジア民族楽器の多くは座奏でした。
 ところが、その生徒さんのほとんどが実は「猫が苦手」。ならば、「Chame」にとっても「居心地」はさほど良くないはずなのです。

 猫にしては「Chame」は、ほんとに寡黙で、ほとんど何も話してはくれませんでした。(亡くなった後、代わりに、妹分からたくさん聞きましたが)
なので、「どうして、喜んでもくれない生徒のところに入り込むの?」とは聞かずじまい。 
 けれど、ほどなく、「はっ!」と気づいたのです。
 
 「Chame」は、その日そのクラスで、「一番気後れしている生徒さん」の胡座に入り込むのでした。 

 私が、「音に生気が無い」とか、「気もそぞろだ」と気になってその生徒さんに目をやると、何時の間にか、「Chame」が先回りして懐に入り込んでいるのです。

 「誰っ? 今の音違うよ!」とか「○○さん! 集中が足りないよ!」などと言いかける度に、「Chame」と目が合って。

 「分かってる! もうちょっと待ってあげて!」と見つめ返されてしまうのです。

 確かにズッロ選手がおっしゃるとおり、私も最初は分からなかった。何人かは「Chame」の御陰で、「猫嫌い」や「猫恐怖症のトラウマ」から解放された生徒さんもいますが。その人たちも含め、「Chame」の本当の気持ち、
 「気後れで弱まった気をサポートする」
 という「Chame」なりに教室助手を買って出ていた想いは、いまだに誰も分かっていないかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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独りで生きられること – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Gabriel González

連載コラム「猫の名言」

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Vol. 17 「独りで生きられること」

 
私はスペシャリストを好まない。私にとって自分を専門化すること自体、自分の宇宙を狭めることであるからだ。

Claude Achille Debussy (クロード・ドビュッシー 仏作曲家 / 1862~1918)
 

 この連載のVol.5でご紹介した、ラヴェルと同時代のフランスの作曲家のドビュッシーもまた、知る人ぞ知る愛猫家です。
 
 ドビュッシーが言う、「専門化=専門家=宇宙を狭める」を、分かり易くすると「専門化=専門家=世界観を狭める」ということであり、いわゆる「樹を見て森を観ず」なのです。これに「宇宙」を持ち出してくる感覚こそは、前々回のVol.14で推理小説家ブラウン氏が述べた、「猫独自の見地」に他なりません。それほどにドビュッシーもまた「猫的な人間」なのです。

 何故ならば、猫は常に、宇宙と繋がった感覚を抱いているからです。それ故に、猫の「見地=感覚と判断基準」は、自然の摂理を超越した道理に根ざしているのです。などと言うと「お伽話」のようですが、仮にこれが「大げさな話し」であるとしても「当たらずとも遠からず」なのです。

 猫は、「樹に捕われない自由な心で、森=森羅万象を常に感じている」ということであり、それは、社会性や人間関係を優先せねばならない私たちには、想像もできない視野と世界のはずなのです。しかるに「宇宙」も決して大げさな話ではないのです。

 しかし、ドビュッシーが「嫌いだ」と言った「専門化=専門家」ですが、ドビュッシーやラヴェル、サティー、ピカソ、ダリ、エドガー・アラン・ポー、などなど愛猫家の芸術家・文豪は、独り籠って集中する自営業であり、それは学問や物作りの「専門家」に負けないほど、専門的な姿であるはずです。

 と言うことは、やはり、「専門化と宇宙観」という、一見かけ離れた組み合わせが大きなキイワードなのでしょう。
 つまり、「森を観る、感じる」ということは、森全体を「ぼーっ」と眺めていることではないのです。逆に、そもそも「樹を見て森を観ない」タイプの人間が「専門化」するということは、ある意味、「群棲における個人能力による棲み分け」に即した発想であるとも言えるのでしょう。

 この姿勢(生き方や価値観)は、時に様々な問題を引き起こし、往々にして「無責任」な結果を招きます。
 例えば「医療」ですが、今日でこそ「総合心療科」という「全身医療的な価値観」の必要性が唱えられて来ていますが、本来西洋医学も東洋医学と同様に「全身医療、予防医療」だったはずで、そもそも、すべてのお医者さんは、医師免許を得る段階では「総合診療医」だったはずです。それが「専門化」するのは、得意分野もありましょうが、やはり「棲み分け」の要素が多いのではないでしょうか? 
 私の母は、卒中で半年生死の境を彷徨いましたが、あの当時、近所に「総合心療科」があったら「頭が痛い?風邪でしょう、様子を見ましょう」とはならなかったかも知れません。

 また、昨今話題になっています、食品管理のずさんさや違法な手抜き建築も、自分のところだけ及第点であれば「問題ない」「責任は果たした」という「専門・分業感覚」が裏返って「共存感」や「共有感」が薄れた結果なのではないでしょうか? 

 猫は、「独りでも生きて行くし、生きて行ける生き物」です。そんな猫が人間のように言語を用い、物を作ったらもの凄いことになるでしょう。それぞれの家で、畑を耕したとして、農機具も全部自分で作ってしまい、しかも料理人でもあることでしょう。すると、そもそも隣の家との間でさえも、取引や物々交換さえも滅多になく、「果たしてそれは社会なのか?」という話しになってしまいます。
 
 そう考えると、やはりドビュッシーは、社会に作品を発表して生業にしておきながら、実は、社会性というものを否定している本音も垣間みられます。
 互いに親交もあった同時代のフランスが生んだ大作曲家、ラヴェルやエリック・サティーと比べると、流麗な繊細さとスマートなイメージでしたが、実は意外に偏屈なのかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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自己責任に生きる猫 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: devopstom

連載コラム「猫の名言」

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Vol. 16 「自己責任に生きる猫」

 
すべての神の創造物の中で、唯一縄の奴隷にならないものがいる。それは猫だ。もし人間が猫と交配出来たなら、人間は進歩するだろうが、猫は退廃してしまうだろう。

Mark Twain (マーク・トウェイン 米小説家 / 1835~1910)
 

 マーク・トウェインも愛猫家として知られ、なんと11頭も居たと言われます。
この言葉も、かなり含蓄のある言葉ではないでしょうか。

 「縄の奴隷」とは、「捕らえて意のままにする」という意味と思われます。なので、カブトムシにも、池の鯉や鮒にも縄も紐も着けられませんが、捕らえて飼育することは可能です。しかし、猫は、まるで家族のように共に暮らしながら、猫と私たちの関係は、犬のような「主従関係」には至らないのです。下手をすると私たちの方が「下僕」のようでさえあります。

  そして、トウェイン氏が続けて述べたことは、「人間と猫の交配種は、人間を上回るが、猫を下回る」という意味と思われます。
 つまり、猫は「自律の自立によって、真の自由を勝ち得た」ということであり、それによって「猫は人間を上回る」と説いているのでしょう。

 何故そこまで言いきれるのか? もちろんトウェイン氏の真意は分かりません。しかし、述べさせていただいたのには、それなりの根拠があるのです。

 それは、トウェイン氏没後、世界はふたつの世界大戦を体験し、二度も敗戦国となったドイツの心理学者エーリッヒ・フロムが第二次大戦後、ナチスを標榜して戦争に至ったドイツ国民の心理を説いた著書『自由からの逃走(1949)』の中で、自由についてこう述べているからです。(要約です)

「自由は、孤独と責任を引き受ける覚悟の自発性、自主性でのみ得られる」と。

 流石に「猫に責任感があるか?」ということは疑問ですが、そもそも「責任」というものは、群棲の形である社会にて、他者との関係において発生するものですから、無理矢理「責任」という概念を猫に当てはめるならば、群棲社会に頼らず生きる猫は、「すべて自己責任」ということになるのです。
 
 フロムの提言は、その後のドイツ憲法(正確には暫定的な基本法)で「自由からの逃走の禁止」と明言されるに至っています。「自由からの逃走」とは、「孤独と責任を負うこと」から逃げたことが、ナチスの台頭を許したという、非常に厳しい反省から生まれたものです。
 
 それらのことをひっくるめて考えると、フロムの格言的な言葉、
「自由は、孤独と責任を引き受ける覚悟の自発性、自主性でのみ得られる」
 は、まさに猫の生き様そのものと言えるのです。

 もっとも、「猫の自己責任」に関しては、鼠番をしていた頃の昔の家猫や野良と、今日の家猫とでは大きく変わっていると思います。昔の家猫や野良は、自分の腕前、勘、判断力、決断力次第で、その日のご飯にありつけた訳で、まさに過酷な「自己責任」の日々でした。それに比べ、今の家猫は、他の子の分まで横取りしては食べ過ぎでお腹を壊したり、食後にがぶがぶ水を飲み過ぎて嘔吐したり、自分の体とメチャ喰いにさえも無責任な子さえいますので。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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ちいさな命って? – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Tambako The Jaguar

連載コラム「猫の名言」

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Vol. 15 「ちいさな命って?」

 
犬や猫を大事にしない者は信用できない。

Abraham Lincoln (エイブラハム・リンカーン 米16代大統領 / 1809~1865)
 

 「猫派」を自称される方々は、いわゆる「動物愛護や様々な生き物が好き」ということと、「愛猫家」は違う、とおっしゃります。表題の名言を残したリンカーンもまた、犬猫分け隔てなく生き物、動物を愛した人なのでしょう。

 つまり、リンカーンは「愛猫家」というくくりとはちょっと違うのかも知れません。しかし、彼が南北戦争の前線を視察した際、前線基地で数頭の子猫を見つけ、士官に保護を頼んでホワイトハウスに連れ帰った話しは、その時代、立場と状況、距離、社会への影響力から、スケールの大きな「野良子猫保護」の話であるとは、言えるのではないでしょうか。

 ところが、人間心理をやや斜めに捕らえる人々や、別な意味で深く厳しく分析する人々は、そのようないわゆる「美談」を「売名行為だ!」とか「偽善だ!」とおっしゃります。
 すると逆に「保護活動」をしている人たちは、少なからず反発を感じ「そういう人間には分かってもらわなくて良い」とシャッターを降ろしてしまう傾向もあるようです。おそらくこれは古今東西の永遠のテーマなのでしょう。

 大げさに言えば、洋の東西のほとんどの宗教における、「人間の存在意味」や「創世記」の類いにまで遡ることが出来るテーマなのです。つまり、「人間は神の祝福を得た選ばれた生き物である」や「世の中は、人間の為に創世された」という観念が存在すると、どうしても他の生き物に対して「上から目線」で見てしまうということです。これは、「愛護精神」があろうとなかろうと、普遍的にです。

 別な意味では、人間も含め、あらゆる生き物は他の生き物の命を奪うことで一時一時の命と時間を得ている訳です。だから日本には「いただきます」の言葉があり、西洋、西アジア、インドや仏教圏でもそれぞれの教えや戒律が多くあります。
 
 ところが、近現代では、加工食品のみならず加工食材が普及し、いわゆる「生々しさ」が薄れると、基本的な感覚も当然薄れてしまいます。その結果、生き物の命は、果たして「大切に思うべきなのか?」だとして「それは何故なのか?」。逆に、「命を奪うことで生きるということは?」というテーマは、世界的規模で変質していることも大きな意味を含んでいる事実なのです。
 
 
 全く別な次元で、心理学的な見地から考えますと、「動物愛護」の人々だけでなく、人間は、その心理の内訳を誰もがそんなに明確に認識出来ていないはずです。 
 なので、一方から「偽善だ!」と言われると「違う!」とは思いつつ、論理的には言い返せないし、説き伏せることが出来ないのでしょう。 その結果「どちらが正しいとは言えない」という「うやむやな結論」で終わってしまうのでしょう。 
 
 つまり、古今東西で、この「命」に関するテーマは、結局は「人それぞれ」のままで、定説も無ければ、論理的な「概念」も無いまま、何千年も続いて来ているのです。

 ただ、ひとつ言えることは、「愛護精神」がある人々の中でもやはり「論理的な概念」が無い。逆の人々もまたしかり。ということです。

 例えば、「掛け替えのない小さな命」という表現がありますが。これひとつをとっても「小さい体の命=小さい生き物の意味だ」という感覚と、「どうみても小さいから小さいと言うしかない」という感覚と、そこに「健気でもろくか弱い=から守ってあげねば」の感覚などなどが、「入り交じっていて、整理出来ていないのでは?」ということです。なので、「小さな命」とはどういう意味であるか? ひとつをとってもみても、「誰も正解を示せない」のです。逆に言えば「曖昧さを多分に含ませたままの方が都合が良い」かのような常套句になっているのです。
 私自身は、人が発した場合は「小さい体の大きな命」を略しておっしゃっているのだろう、と聞き。自分では使ったことは一度もありません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫の倫理観 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Takuma Kimura

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日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 14 「猫の倫理観」

 
猫を理解するには、彼が独自の才能と独自な見地、独自な倫理観まで持っていることを悟らねばならない。

Lilian Jackson Braun (リリアン・J・ブラウン 米推理小説家 / 1913~2011)
 

 シャム猫の「ココとヤムヤム」が、記者が取り組む難事件の解決の糸口を与えるという膨大な推理小説シリーズの作者だけあって、私たち愛猫家も「はっ!」とさせられる、流石の深い洞察力の言葉ではないでしょうか。

 この文言は、猫の「才能、見地、倫理観」の独自性を理解せねば、「猫という生き物」は理解できない、という意味なのでしょうけれど、さらに言えば、個々の猫でもそれらが異なるので、「それぞれの猫を理解するため」には、それぞれの「それ」を理解せねばならない、というとても広く深い世界なのです。

 もちろん、ブラウン氏が述べるように、多くの猫に共通した、しかし人間の想像をしばしば大きく超えた「独自な思考と感覚」を持っていることも確かです。

 その最たるものが、猫が単独で生きて行く性質上に自然に持っている「自立心と自律心」。つまり、「群れを頼り守られ、その対価として、義務や責任を負う」という感覚を持ち得ないというものであると言えます。

 その結果、私たち人間の苦悶や困惑、しばしば心を痛めたり、他者を傷つけたりすることの源泉である、「比較意識、優越・劣等感、被害者意識、自意識」といったややっこしい感覚を、猫はほとんど持ち合わせていないのです。
 なので、それらから生じる「不遇感、不幸感、厭世観」も、「羨ましい、妬み、恨み」も抱くことがないのです。
 
 人間感覚で言えば、「実に出来た心の生き物である」ということですが、人間、猫の垣根を超えて一言で言うならば「心が自由」ということではないでしょうか。
 
 もちろん、多くの猫が、「嫌なことの記憶」はしっかり持っています。それは生きる上で不可欠であり、言わば「酸っぱいものを食べて、お腹を下した」だから「以後、酸っぱいものは食べない」というようなものであり、「こらっ!泥棒猫!」と怒鳴られたり、水を掛けられたり、もっと酷い虐待を受けたとしても、そこに生じる感覚は、「恨み」という次元のものではないのです。
 
 では、自由な心を持っている猫に、はたしてブラウンさんが言うような「倫理観」は必要なのでしょうか?

 人間にとっての「倫理観」のほとんどは、西洋ではキリスト教、東洋では仏教や儒教によって教えられたものと極論させていただくとして。猫にはそれらは無縁なはずです。さすれば、「倫理観」から発する「道徳観」も、「親切」も、「礼儀」も、「思いやり」も、「義務と責任」も生じようが無い、ということになるはずです。しかし、猫には、「見地」。つまり、「物事の判断基準」「自らの物差し」そして「善悪の判断」があるとブラウンさんは言っている訳です。
 
 結論を申し上げさせていただきます。
 
 確かに、猫には、独自な「倫理観と見地」があるのです。私は、ささいなことから感動的なことに至る、それらを何度もたくさん目撃し、痛感することとなったのです。

 初めて知った時、初めて目撃したときの様子と感動については、いずれすこし詳しくお話しいたしたいと思いますが、例えば以下のような事柄で、猫たちの「独自な倫理観、見地」についてしみじみと理解することができました。

 
出来事(その1)
「足の裏にも目があるの?」

出産直後、母猫は何故か赤ん坊を決して踏むことが無い。

 
出来事(その2)
「中に猫がいる布団には飛び降りない?」

棚上から寝ている人間には容赦なく飛び降りる猫が、猫の上にはしない。

 
出来事(その3)
「弱い子からはフードも奪わない?」

幼い子猫、弱った子からはフードを横取りしたりはしない。

 
出来事(その4)
「尊敬する猫には、遠慮する?」

尊敬する猫、同室の最年長猫には、とても礼儀正しい。

 
出来事(その5)
「わざわざトイレで嘔吐する子」

嘔吐の原因にもよりますが、辺り構わずの子もいれば、わざわざトイレでする子もいます。つまり、本能や習慣ではない何かの思いがあるのです。

 
出来事(その6)
「トイレを守る子守れない子」

ごく希に守れない子がいます。ということは守る子も本能・習慣ばかりではないということなのです。

 
出来事(その7)
「怖くて嫌な薬を頑張る」

口に何かをねじ込まれることは、馴れの問題ではないようです。

 
出来事(その8)
「爪を出す子、出さない子」

よそっている私の手に待ち切れず手を出す時、爪を出す子と出さない子。その違いも、本能や条件反射ではないようです。

 
出来事(その9)
「大合唱が止む」

重篤な子への投薬が始まった瞬間。「ご飯!」の大合唱がぴたりと止む訳は?

 
 などなどを、何頭の猫に何度も見てきましたから、偶然ではないのです。本能でも無ければ、習慣でもなく。何か「まずった!」と思った経験や記憶があるからではないのです。これらこそ「独自な見地、倫理観」ではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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孤独を愛する寂しがり屋 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: EmsiProduction

連載コラム「猫の名言」

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Vol. 13 「孤独を愛する寂しがり屋」

 
孤立することが悪いなんてちっとも思わない。僕にとっては最高の気分さ。

Andy Warhol (アンディ・ウォーホル 米画家、芸術家 / 1928~1987)
 

 現代美術の奇才、ウォーホルもまた無類の猫好きとして知られています。

 彼がしばしば、周りの人間に理解できない言動を行ったり。友人たちやファンたちの気を損ねる態度をとる度に、人々は彼を「孤独を愛する人間」と精一杯の評価を下したのでしょう。そして、思わずその点を本人に問いてみれば、表題のような言葉を平然と言ってのけたわけです。まさに「猫的な猫好き」の典型と言える「偏屈の塊」、「変人」だったのです。

 しかし、猫好きで、猫を分かっている人間のみならず、彼のこの言葉には、多分に「強がり」があることが分かるはずです。本当にそう思っていて、それが自然で普通の状態であれば「最高の気分さ!」などとは言わないはずです。

 おそらく彼も、ある時は、仲間の輪に入って賑やかに楽しむことを「良いこと」として「望むべきだ」と試みたに違いありません。そして、そこそこに「これこそ最高の気分だ!」と感じたこともあったのでしょう。むしろ純粋な分、誰よりも盛り上がっていたこともあったかも知れません。また、意外にも芸術創作活動は、そのような時に大いなるひらめきを得たりもします。

 しかし、それも時間によって断ち切られ、散り散りにそれぞれの家に帰って行く。「宴の後の寂しさ」を、彼のような性格は、人一倍、「虚しく、寂しく」思ったのではないでしょうか。
 もっとも、宴もたけなわの最中に突然ひらめいて、仲間を放って家に帰って創作してしまうようなことも度々あったのでしょう。そして、作品が出来上がって、真っ先に仲間たちに報告し、感謝を述べようと飛んで行けば、もはや誰も相手にしてくれない。
 そんなことが度重なったことも加わって、当然のごとく「孤立」してしまうのでしょう。これは、猫好きで猫的な芸術家や文豪に共通した不憫な性です。
 
 なので、ウォーホルのような性格の「猫的な人間」は、決して「孤独を愛している」訳ではないのです。むしろ、無類の「寂しがり屋」かも知れません。それは、猫を知れば知るほど分かることです。猫はとっても「寂しがり屋」です。

 しかしそれは「認めてもらいたい」という「関係性」の問題ではないのです。「存在承認願望」もまた「群れ社会」に依存する人間ならではのことなのでしょう。

 猫はとても情が豊かな生き物ですから、大好きな猫や人間と「ずっと一緒にいたい」と強く思っているのです。ただ、「独りになりたい時」や、「撫でて欲しい場所、欲しくない場所」のこだわりが強かったりが玉に傷ですが。

 野良で二年のおつきあいだった子が、兄弟が轢かれて死に、当の子も前足の一本が地に着かなかったので捕獲保護した際。数ヶ月前から寄り添っていた「彼女」らしきべっぴんさんも一緒に保護しました。猫仲間や猫の専門家さんに言わせると「不必要なこと。人間感覚の誤解」らしいですが。私はきっと寂しがると思ったのです。案外、「猫を分かっている!」とおっしゃる人の方が、「猫は孤独を愛する」と思い込んでいるのかも知れません。

 ところが捕獲して一年近く経った頃、「彼女」の方が、わずかなスキに家出をしてしまったのです。我が家では雌猫は避妊しないので、季節になるとどうにも落ち着かなくなります。
 その日から、彼と私は、一日に何度もベランダに出て「彼女」の帰りを待ちわびました。程なく彼も私の想いが自分と同じだと気づいたようで。「さあ!交代しよう!」「部屋でお休み!」と言うと「とことこ」と部屋に入って行き。「あっ!来たかも!」と呼ぶと飛んで来たりしました。一週間後、無事に再保護出来ましたが、彼はそのとき以来、がらっと変わって、深い所で心を通わせてくれるようになりました。
 もちろん、個体差もありますが、屋内で生まれた家猫二世よりも、野良を体験した子の方が、物事の有り難みを良く分かっているようです。
 猫にとっての「寂しさ」は、純粋な「愛おしさ」であり、「有り難さ」なのでしょう。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫は猫には騙されない – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Nikos Koutoulas

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 12 「猫は猫には騙されない」

 
愛猫家のすべてが猫的な人間ではないが、猫的な人間で愛猫家はすべて偏屈だ。

(元野良マイケル)
 

 猫が「猫的な人間」と認めてくれるには、様々な要素があって一言では言えませんが、良く言って「純粋、素直」、悪く言って「単純、分かりやすい」ということは基本的な条件のようです。

 ところが、「偏屈」は人間ならではのもので、猫には「ぶっきらぼう」はあっても「偏屈」は見られず、猫にとって「実に難解で厄介だ」と思っているようです。では、猫にとっての「偏屈な人間」とはどういったものなのでしょう? 

 このテーマを探るヒントが、かの有名な夏目漱石の飼い猫「吾輩」の言葉にいくつか見られます。
 
 ご存知のように「吾輩」は、とにかく人間や人間の世の中を、かなり斜めに批判的に見ているひねくれた猫で、とりわけ飼い主の英語教師(夏目漱石)に対するする評価たるや酷いものです。それでも「吾輩」が何処かで漱石を憎からず思っているフシは、随所に感じられます。
  
 数ページに渡って、漱石の「あばた面」について語るところもあれば、圧巻は、「枯木寒巌の顔つきのしなびかけた」というぼろくそな表現でしょう。さらに、酷評は見てくれだけに留まらず、漱石の性格にも及びます。 
 正月になると年始の挨拶客が面倒で引っ込んでしまったり、苦手な友人が来るとアカラさまに嫌な顔をする。などなど、漱石の偏屈ぶりを語るところはあの本の三分の一を占めているのではないか? とさえ思える程です。

 かと思うと、「吾輩」は、ホラ吹きの友人に何度も騙されながらも、何故かその友人の話しを真に受けてしまう辺りの純粋さ(単純さ?)も少なからず語っています。その辺りには、「吾輩」が漱石を不憫に思うと同時に、憎からず思っている雰囲気が伝わります。
 
 マイケルに言わせると、そんな様子こそは「人間と人間社会の最も難解で厄介なところ」だそうです。

 「猫的な人間」の多くは、まさに猫のように純粋なのですが、「純粋だから騙される」「騙されるから人間嫌いになり、いっそう偏屈になる」他者から見れば「多分に身勝手」。なので、「騙そう」という人間にとって「偏屈で身勝手な人間」は格好の獲物ということです。 これは猫にとっては考えられないほどおかしなことのようなのです。
 
 まず、総ての猫には「裏表」がありません。「群れて生きる」という感覚がありませんから「本音と建前」という感覚も「自意識」も持ち合わせません。もちろん中にはワガママで我が強く、利己的な子もいます。たいがいが体の奥底に何らかの問題があったり、幼児体験の心の傷があったりなのですが。大事なポイントは、そんな猫も「そのまま」であるということです。 

 もちろん、頭が上がらないとか、腕っ節で負ける猫がいると大人しくしていて、その猫がいなくなった途端に態度がでかくなるという姑息な子もいますが、それとても「分かりやすい」ですし、周りの猫は誰もそれに騙されることはありません。なので、猫の世界には「詐欺師」というものはあり得ないのです。

 そんな猫からすれば、他人にどう思われるか?を気にしてあれこれ努力をしているけれど、根が正直と言いますか単純なため、しばしば騙されたりする人間は、「まったく訳が分からない!」ということなのでしょう。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫たちの使命感 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: . Gary Winfield

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 11 「猫たちの使命感」

 
猫に関する究極の謎は、そもそも何故「家猫」になることを決意したかである。

Sir Compton Mackenzie (コンプトン・マッケンジー 英小説家、実業家 / 1883~1972)
 

 猫は、紀元前三千年ころの古代エジプト(旧王朝)で、リビヤ・ヤマネコから生まれたというのがほぼ定説になっています。おそらく、リビヤ・ヤマネコ(学名:Felis silvestris lybica)の中の小柄で人懐っこい子を元に繁殖させて、家猫(学名:Felis silvestris catus)が定着したのだろうと思われます。

 ですが、マッケンジーさんほどの人です。人間の心と思考を深く掘り下げ、人々の心を掴む才能に長けた人が「猫の決意である」と言うからには、もっと深い意味があるはずです。ところが意外にも、そのことについて語る人は古今東西ほとんどいないようなのです。

 まず、当時のエジプトでは、猫は太陽神の娘の女神でもあり、人間を滅ぼす神として畏怖の念を込めて崇拝されていました。
 と、まずこの辺りから、今日の私たちには理解出来ない感覚があるわけです。

 儒教の善悪観念が生まれるのは、その時代から二千五百年程も後のこと。キリスト教の教えで、人間を滅ぼすのは悪魔であり、神は人間を守ってくれる存在であるという感覚を抱くのはさらに五百年も後のことです。ところが、五千年前のエジプトの人々は「人間を懲らしめる猫の女神」を崇めつつ、膝の上の猫を愛でていたというのです。
 そのエジプトでも、新王朝の時代の猫の女神は、もはや人間を懲らしめることをしなくなり、むしろ「母性の象徴」として愛されます。この180度もの変化はいったい何を意味するのでしょうか? その謎が解明されない限り、マッケンジーさんの問いかけの答えも見つからないに違いありません。
 
 古代エジプト旧王朝では、ファラオ直々の命で、猫は大切に扱われ、国外不出の掟さえあったと言いますが、フェニキア人がこっそり盗み出しては地中海各地で高く売りさばき、じわじわと世界中に広がり「穀物を鼠から守る益獣」として重宝されるのです。ところが、それでも「猫の謎」は、常に人間たちを悩ませていたのでしょう。中には、猫が苦手、嫌い、怖いという人も少なくなく、何かの風評の類いがきっかけで、十六世紀頃には「魔女狩り」と共に猫も公然の虐待を受けることとなりました。

 それでもなお「人間に寄り添って生きよう」という「猫の決意」は固く。様々な迷信や伝説を重ねながらも、今日までずっとそばに居続けてくれているのです。

 いまだに「鼠の番」で活躍している猫も、洋の東西を問わず多くいます。イギリスの劇場や映画館では、つい最近まで主のような猫が当たり前にいたようですし、ウイスキー工場では、大麦と樽を鼠から守る「ウイスキー・キャット」が今もいるようです。

 でも、少なく見積もっても、世界中で人間によりそって暮らす猫の半分は、もはや「鼠退治」の仕事をしていないのではないでしょうか? 

では、何故? 猫は人間のそばで生きようとし、人間は猫のことが良く分からないと思いながらも、一緒にいて欲しいと思うのでしょうか? 
 
 世界中の様々な宗教で、「神が人間の世界に降りて来た」という話があります。これは、真実であるかも知れませんし、人間の永遠の願望でもあるかも知れません。
 もしかしたら、古代エジプト旧王朝のころ。人間が猫の女神に「降臨」を懇願し、女神の子孫として、何らかの使命を持ってこの世に現れたのが「猫」なのかも知れません。しかし、人間は、古代エジプト新王朝のころには、もはや猫の女神の存在さえも人間の都合の良い解釈に替えてしまったのです。

 今私たちの側にいたり、膝の上でうとうとしている「猫」たちが、今日もその「何らかの使命」を分かっているか?は、計り知ることは出来ません。

 そう思わせる不思議な出来事はたくさん体験しましたが、単なる私の願望や思い込みに過ぎないかも知れません。マッケンジーさんの問いかけは、人類の永遠の謎のひとつとして、未来に引き継がれて行くしかないのでしょう。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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問題の根本 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Luca Ammirevole

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 10 「問題の根本」

 
猫を追うより、皿を引け

日本の諺
 

 世界中に「猫の諺」がありますが、猫に限らず「諺」に出てくる人間も動物も、たいがいは悪役で、その中でも猫は犬より不当な扱いを受けていると思われます。
 そんな中で、この「諺」は、珍しく比較的悪く言われていないものと言えましょう。他に、同じ意味で、「猫を追うより、魚を除けよ」もありますが、いずれも、「猫を追い払う」ことよりも、その原因である「皿や魚」をしまう、片付けるべきであろう、というものです。

 実のところ、この「諺」には「どきっ!」とさせられました。分かってはいるのです。「出しっぱなしにした自分が悪い」と。でも、あっけなくつまみ喰いされたり、「あっ!こらっ!」と言った途端に驚いて調理台から飛び降り、かえって全部ひっくり返したりするとショックが大きいのです。しかし、確かに、「原因」を差し出したのは私なのです。「諺」というより「そのまんま」の話ですが………..。

 と、「諺」のことに思いを馳せていて、「ふっ」と気づいたのですが、ここ数十年と言いますか、戦後70年に新たに生まれた「諺」や「格言」というのは果たしてどれだけあるのでしょうか? 格言に関しては、洋の東西の著名人が中々の言葉を放っています。アメリカ大統領などは、演説でひとつふたつは名言を発しています。しかし、日本の政治家は如何なものでしょうか? 私の寡聞の限りでは、皆無な気さえします。少なくとも「失言」や「記憶にございません」などの「常套句」よりも「格言」の方が多い、という人は、日本の政治史でもごくごく希なのではないでしょうか? 
 日本人は日本人なりの「洒落」や「粋」の感性があり、それが「諺」や「格言」に活かされていると思うのですが、それが無い、生まれて来ないということに、不安になって来てしまうのです。

 比較的新しい格言で、感銘を覚えましたのが、水俣病の語り部、故杉本栄子さんのお言葉「知らないことは恥ではない。罪なんだ」です。やはり、「格言」や「諺」には、毅然として世の中の風潮に風穴を開ける為の一石を投じるような力があって、「品格ある言葉」になり、「ことばのわざ」になるのではないでしょうか?
 この考え方を由とするならば、この数十年「諺パロディー」ばかり盛んで、今の世の中、そして、未来に通じる「諺」が作られていない風潮に危機感を禁じ得ません。  
 
 実は私は、密かに「猫の諺」を収集しているのです。勿論「猫にまつわる(人間が作った)諺」ではありません。それらは既にインターネットでたくさんのサイトがあります。私が集めているのは、「猫たちの間の諺」なのです。
 ところが、猫は、それを「諺」とは呼びませんので、「諺教えて?」と訊いても返事がもらえません。
 
 ちなみに、もし猫に「人編の諺」を教えたら、けっこう真面目で本気な「諺パロディー」に替えるかも知れません。

例えば、

「覆水盆に返らず」
    ↓
「覆水盆に返すな」
そのまま舐めた方が飲みやすい → 物事そのままがかえって良いの意味

 
「二兎追う者は一兎も追えず」
    ↓
「二兎(鼠)追う者は一等偉い」
何事も限界に挑戦しろ!の意味 → 何も捕れずとも修行になる

 
「思い立ったら吉日」
    ↓
「思い立ったら期日」
何でも即実行!の意味 → でないと直ぐ忘れる

 
「蜥蜴の尻尾切り」
    ↓
「蜥蜴の尻尾っきり?」
役立たずな奴だ!の意味

 
「猫に念仏」→「そのまま」→ 釈迦に説法と同じ意味

 
「猫の首に鈴」
    ↓
「猫の首(の上)に鈴虫」
中々拭えない煩わしさの意味

 
「猫は三年の恩を三日で忘れる」
    ↓
「猫は三年の学を三日で学ぶ」
(ただし、それを半日で忘れる奴も居るが)
 
 などなど。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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逃げるなら前に逃げろ – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Serge Saint

連載コラム「猫の名言」

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Vol. 9 「逃げるなら前に逃げろ」

 
凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。

Sir Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル 英、第61、63代首相、政治家、軍人、作家 / 1874~1965)
 

 第二次世界大戦前後の激動の時代にリーダーシップを発揮した伝説の首相チャーチルもまた、大の愛猫家として知られています。

 私は恥ずかしながら、思春期くらいまで、この物理を理解していませんでした。チャーチルの言う道理を何で気づいたか忘れましたが、「そうなのか!」と思えばすべて考え違いをしていました。「凧」と同様に、飛行機も向かい風で「揚力」を得る。だから離着陸の方向を風向きに合わせて替えていたのです。
 着陸の時でさえ風に向かうことで速度を落とし「揚力」を得ながら降りて行くのでした。

 帆船でさえ、風上方向に行かねばならない時は風を斜め前から受け斜め前にジグザグに進む。向かい風でも目的方向に果敢に進むのでした。ヨットなどは常にそうだとのこと。

 不治の感染症で、二週間不眠不休の壮絶な最期を遂げた「ちゃめ」については、そのエピソード、想い出がたくさんあるばかりでなく、私の「師匠」のひとりに挙げているほど、学んだことが多く。一冊の本が書けてしまいそうです。
 その「ちゃめの教え」の最初で、その後の教えの中でも一番大きいものが「逃げるなら前に逃げろ!」でした。

 「ちゃめ」は、私との約束を守って生まれ変わってやって来ました。ある日二三軒離れた駐車場で目があって、互いに「だよね!」と思いつつ。確証を得るのに一、二ヶ月かかってしまったのです。その間彼は、垣根の上から遠巻きに私を観察していました。
 ある時、冒険してみたのか? コンクリート塀から滑り落ちたのか? 庭でばったり遭遇した時は、お互い慌ててしまい、「ちゃめ」も、塀を登ろうとパニックになっていました。が、流石に無理。すると、なんと!「ちゃめ」は、私に向かって突進して来たのです。思いがけない展開に私が唖然としていると、難なく私の足下をすり抜けて逃げてしまいました。
 
 私は、その時、
 「逃げるなら前に逃げろ」を教わったのです。

 出逢った時に既に重傷でしたから、六年は頑張った方ですが、無念でした。今の知識ならもう数年一緒に居られたと思うとなおさらです。

 その六年のたくさんの「教え」は、日々より深く私の心に届き、少しずつで情けないですが、強くしてくれたと思います。

 猫たちの思考の基本には、「押しても駄目なら引いてみな」という「相反する答え」が常に用意されていることも「ちゃめ」に学びました。「逆説的なところに活路がある」「逆もまた真なり」「二律背反」「真逆は実は同源同義」などなども、皆「ちゃめ」に学んだことです。

 愛猫家のチャーチルは、「凧」の話しの他にも、そのような「猫的思考」を思わせる名言を残しています。例えば、「凧」の話しをより分かり易く説いたと思われるのが、

危険が迫っている時、決して逃げ出してはいけない。むしろ危険は倍増する。しかし、決然と立ち向かえば、危険は半減する。

です。
 
また、

愉快なことを理解出来ない人間に、世の中の深刻な事柄が分かる筈がない。

などの逆説は、正に「猫的思考」の賜物と言えましょう。

その意味では、

私は豚が好きだ。犬は我々を尊敬するし、猫は我々を見下す。豚は我々を対等に扱ってくれる。
 
 などは、愛猫家と知らない人が聞いたら、「豚、犬は好きだが、猫は嫌い」と理解しそうですが、そこがチャーチルの「猫的」なところだ、と言えます。
 元々「猫的な素質」があったのか? チャーチルもまた「猫に学んだ」のか?

 今でも不思議な気持ちに包まれるのが、「ちゃめ」とは、なぜかほとんど会話が無かったことです。それは彼にはすっかり私の心がお見通しだったからでしょう。けれど、私は日々新たな学びに感動するばかりで、こちらから何かを訊く余裕が無かったのかも知れません。

 私からの数少ない質問もまた、「なぜ、『前に逃げる』なんて凄いことを思いついたの?」でした。

 すると「ちゃめ」は、珍しく言葉で答えてくれました。

 「じゃあ、何かい? 人間は敵や恐怖に背を向けて逃げるのかい?」

 「僕はそんな怖いことはとっても出来ないね!」

 「だって、それじゃあ、敵や恐怖が何処まで迫って来ているか分からないじゃないか!」 
 と。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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森羅万象を観る猫たち – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Tirso Lecointere

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 8 「森羅万象を観る猫たち」

 
ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。

Edgar Allan Poe (エドガー・アラン・ポー 米小説家 / 1809~1849)
 

 「推理小説は彼によって確立した」とも言われる世界的なミステリー作家ポーをして、「ミステリアス」と言わせる猫。彼もまた、かなりの愛猫家として知られます。
 猫には私たちも日頃頻繁に、まるで感嘆符のように「ミステリアス!」と発してしまいそうになります。それは、することがしばしば矛盾に思えたり、ルールが無いようだったり、逆に妙に頑固にこだわったりするからですが。ポーほど「心の裏、心の奥底」を見つめ、「闇の世界」の果てまで覗いたような人間が言うことです。やはり、より深いものを意味しているのに違いありません。
 
 私たちの中にも、ごく希に、猫の神秘的な様子を目撃したことがあると言う人がいます。確かに、夜中に、数頭が何の気配もしない窓の外の暗闇を見つめていたりすると背筋が寒くなることがあります。「皆が一点を」ならば、野良が迫って来たのでしょうが、あちこちを目が追っているのに、物音がしない時などは、ある種の「恐怖体験」手前な感じがします。
 
 不治の感染症をダブルで負って、或る真冬の日に我が家の玄関をノックして助けを求めてきた捨て雌猫「くずこ」は、既に成猫でした。手術もしたりして頑張りましたが、一年と数週間目の夜中。私の腕の中で静かに息を引き取りました。

 その翌朝、雪も舞った数日続いたどんよりな天気は、驚く程の快晴になりました。なぜか、病気と果敢に向かい合った子が逝った日は、どんな悪天候も一時晴天になるのです。もう十回近く続いています。逆に一頭。よほど無念だったのか、晴天続きが、その一時だけ大荒れになったこともあります。その子によってタイミングはまちまちですが、天気の様子で「ああ、今登っているところなんだな」と知ることができます。

 本連載コラムのVol.2で登場した捨て子猫だった「もなか」の姉。一番重傷で、七年経った今でも失明寸前まで行ったまぶたが開き切らない。けれどとっても明るくて、おかしくて、よくお話をしてくれる小さな雌虎猫の「ごま」。

 「くずこ」の徹夜の看取りの後、「ごま」や「もなか」たちの陽当たりの良い部屋でほんの一時休みました。
 
 私の気落ちが分かってすり寄って来た「ごま」に、色々話しかけました。

 「ごま!」「くずこおばちゃん逝っちゃったよ」
 「ごまが一番大変だった時、おばちゃん、いつも『がんばれ!』って言ってくれてたよね!」
 
 「ごま」は、「うん!そうだった!」と言いながら、しきりに私の頬に顔を何度も擦りつけてくれました。目鼻の後遺症で、いつも涙と鼻水なので、私はべちゃべちゃになります。
 
 「くずこおばちゃん、挨拶に来た?」「もう天国に行っちゃったかなぁ?」
 と言ってほどなく。
 「ごま」は、私の胸の上から急に飛び降りて窓辺に走って行き、
 じっと空の一点を眺めていました。

 鳥かもしれない。と思ってそおっと後ろから「ごま」の目線を追いましたが、何も居ませんでした。

 
 我が子の死を認められずずっと抱きしめるニホンザルの話しや、車に轢かれた相棒の側を離れようとしないワン子の話しをしばしば聞くことがあります。
 それと比べて「猫はちっとも悲しそうにしていない」と呆れることの方が多くありました。看取った直後に、悲しみを堪えながら他の子のご飯の世話を始めれば、何も悟っていないかのように「わあ!ご飯!ご飯!」と、大騒ぎなのですから。
 
 でも、猫たちはとっくに逝った子の寿命は分かっていたのかも知れません。亡くなった直後、挨拶に来てはしばらく側に居たのかも知れません。そして、無事天国に行った後も、時々遊びに来て猫たちと話をしているからかも知れません。あるいは、近々生まれ変わって帰ってくることが分かっているからかも知れません。

 思いがけない愉快さで、「くずこ」の悲しみを和らげてくれたのが、何本か螺子(ネジ)が足りない「里子出戻り」の大きな牡猫「とら」の、ちょっと間抜けな姿でした。

 その晩も、「ごま」「もなか」「とら」たちの部屋で少し休んだのですが。
 いつも自分のことで頭一杯の「とら」も、やっと「くずこ」に気づいたようで、夜中しきりに部屋のあちこちを、蚊を追うような仕草をしておりました。もちろん、真冬でしたから蚊は居ません。「とら」は、その時まで、何があったかが分かっていなかったのかも知れません。それもまた「ミステリアス!」です。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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真の自由 – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Ri 13

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 7 「真の自由」

 
単独で行動する猫は、ひとつの目的を持ち、自分の意のままに行動するが、犬は主人同様、頭の中が混乱している。

Herbert George Wells (ハーバート・ジョージ・ウェルズ 英SF小説家 / 1866~1946)
 

 H.G.ウェルズは、「タイムマシン」「透明人間」「宇宙戦争」などで知られるSF小説の元祖のひとりで、かなりの愛猫家としてもよく知られています。

 
 元祖のもう一人、Jules Gabriel Verne(ジュール・ヴェルヌ 仏 / 1828~1905)の代表作
「海底二万里」「八十日間世界一周」「気球旅行」「地底旅行」
などのほとんどは、すでに20世紀に現実のものとになりました。

と、いうことは、彼らのSFの世界は「馬鹿げた夢物語」ではなかった、ということです。

彼らの「想像の世界」は、その時代の人間には計り知れない、しかし科学の行く末が見越せたかのような天才的な叡智とひらめきと、何らかの啓示の力によるものではないでしょうか。

 
 さらに言うと、現代もまだ実現していないものさえ想像できてしまった、H.G.ウェルズは、より驚異的な空想力の持ち主ということです。

と言うより、彼の超人的な才能は、「現実や現象」を深く掘り下げて感じる観察力と
「自然の摂理」というものを掴み取る洞察力。

「常識」に捕われない価値観に裏打ちされた理解力、分析力の賜物であるはずです。

ならば、そのような人間が言う「猫のこと」です。かなりの深い意味があると考えるべきでしょう。

 
 猫が「自分の意のままに行動する」姿は、誰もが「気ままでマイペースである」「ワガママで自分勝手である」と感じるところですが、ウェルズが言う意味はきっともっと深い意味であり、
それは彼が同時に示した「ひとつの目的」と「独立棲(群れずに単独で生活する)」、そして「群棲の犬と人間は混乱している」というキイワードと共に理解しなくてはなりません。

 
 つまり、猫の一見ワガママに見える「生き方」や「ひとつひとつの行動」は、
大きな目的に沿った必然的な行動の一環であるということ。

そして、それは「群棲の生き物」の感覚を逸脱しているということです。

 それは、この連載コラムのVol.3で述べた「猫は道無き道をも行く」ということと関連しているように思います。

 
 例えば、猫が遠くにある山を目指していた場合、その最短距離に河があればそこを渡り、ジャングルがあろうとつっきって真っすぐに進むに違いない、ということです。

 勿論多少の揺れ動きはあっても、決して山を見失うことはないのです。

 濡れることが嫌いな猫が河を渡ることはないように思えますが。
実際、水より怖いバス通りをエサを求めて何度も走り渡り、そして轢かれて死ぬこともしばしばあります。

 しかし猫は、仲間を引き連れ河を渡り、バス通りを渡り、ジャングルをつっきって行くのではなく、常に「自分ひとりで、自分ひとりの智恵と力で」果敢に立ち向かっているのです。

仲間の命を危険にさらしたりしない替わりに、疲れ果てた仲間や、傷ついた仲間を待つ必要も、足を引っ張られることもないわけです。

 
 一方の私たち人間と犬は、
河に行き当たったら「橋」を探します。

ジャングルに行き当たれば「けもの道」でもよいから少しでも安全に歩ける「道」を探します。

ところが、そうしている間に「山」を見失ってしまうのです。

まるで「道を歩くこと」や「橋を探すこと」が目的だったかのようになってしまうのです。

 加えて、仲間と助け合いながら行けば、心強いし、分業も出来る。

ところが自分のペースは崩さねばなりません。

同じように、いつしかその人間関係が大きなテーマになってしまうのです。

これらは正に「混乱」の姿であるわけです。

 
 では、「猫のひとつの目的」。つまり「遠くの山」は、一体何なのでしょうか?
それを分かるヒントが、ふてぶてしくも憎めない猫キャラクター「ガーフィールド」で知られる猫漫画家Jim Davis(ジム・デイビス 米 / 1945~)の言葉、

我々は心の奥深くに同じ欲望がある。ネコはそれに沿って生活している。

にあります。 

 
 本当は人間もそれを一番欲している。
つまり、それこそは「自由に生きる」ということに違いありません。
しかし、人間は、
「ルールや人間関係のしがらみ」から解放されることが「永遠の願望」であり「目指していた目的」としか思えなくなっているかも知れません。

 
 少なくとも、「溺れる危険をおかして河を渡る」「危険の多いジャングルを行く」ことの先に「目的」があるとは思いませんし、仮にそう思っても、そのような道を行くことを願わないことでしょう。
つまり「傷つくこと」や「苦労」を引き受けて得るものが「自由という目標」であることを見失ってしまったのでしょう。

 猫は、未だにそれをやり続けているのです。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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猫は考える生き物である – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Kristian Thøgersen

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Vol. 6 「猫は考える生き物である」

 
例えば猫の場合だが、彼らは黙して語らない。その代わり深く考え、さまざまに思いを巡らせる。

Andrew Lang (アンドリュー・ラング 英小説家、詩人、童話研究者 / 1844~1912)
 

 「猫の知能は人間の三歳児程である」という説がありますが、とんでもございません。猫の様々な機能、視力や聴力などなどに関する科学者の評価の論拠は、その知覚細胞の数であるとか、脳の仕組みであるとかですが。人間の脳のことに関しても、まだまだ半分も分かっていないはずです。

 また、思考力に関しても、製本技術が発達するまでは、日本では巻物で、海外でも巻物や折り畳みや、カードだったのが、「ページをめくる」という画期的なものが生まれ、考え方や思考も大きく変わったはずです。不思議なもので、それから数百年でパソコンの画面を「スクロール」する、という「巻物方式」に戻った訳です。実際、近年の人間の思考性は、章や項目単位の論理性とは大分変化してきています。

 猫の場合、その優秀な動体視力と同様に、記憶力、分析力、検索力がもの凄く、人間の目では読めないほど高速のスクロールでも「読めてしまったり」「ポイントを探し出す」ことができるのかも知れません。
 また、そもそも猫の思考回路は、リンクで飛び交っているのかも知れません。同じ土俵の同じルールでの比較ではないのですから、三歳児との比較は、どだい無理なことではないでしょうか。そもそも人間の三歳児は野良では生きてゆけませんし。
 
 事実、表題のアンドリュー・ラングが言うように、猫は深く思考をするのです。むしろ「猫は考える生き物である」とさえ言ってもよいほどです。もちろん私も比較的最近まで「猫は仕事をしなくて良いなぁ」「寝てばっかりだ」「さすが寝子の名に相応しい」と思っていました。もちろん「まどろみ」も猫は大好きですが、今どちらであるか? は、おでこを触ってみると直ぐに分かります。思考している時は温かです。
 
 我が家の猫たちの間でも、物知りとして知られ、ちょっと皆の尊敬を集めている「マイケル」に、「猫が考えていること」について訊いたことがあります。
 丁度、物思いに耽っていた時です。食後は、消化器に血流が集中していますから、食後ゆっくり昼寝をして、空腹で落ち着かなくなり始めた時に、空腹を紛らわすために思考しているようでもあります。消化器から脳に血流が移動しますから、確かに理に叶っています。

 「何を考えているの?」と訊くと。

 「ほー」「考えている様子が分かるのか?」「珍しい人間だ」
 「庭の蜥蜴(トカゲ)の数と、空の雲の行く先についてだ」

 庭とは、かつてマイケルが闊歩していた、お隣の大家さんの庭です。確かに、蜥蜴はよく見ます。夏前くらいには、お腹が大きくなった雌も見ることがあります。あのお腹に数十の卵があって、孵化から成長までにどうしても減ってしまったとしても、そんなに天敵が多い訳でもなかろうに、爆発的に増えもしないのは不思議でもあります。が、猫のことです。「昨日あそこで緑色を見て、あっちでは金色を見たから」と記憶を頼りに数えているのだろうと思っていました。

 再びマイケルに訊きました。
 「で、その答えは?」

 するとマイケルは、
 「今のところ、答えはまだそんなに多くない」と言うのです。

 「えっ?」「答えって、考えると増えて行くの?」と訊けば

 「えっ?」「人間は違うのか?」
 「やっぱりそうか」「人間が、愚かなことをするのは」
 「考え方がそもそも間違っていた訳か」

 なんと、猫は、考えれば考えるほど、答えが増えてゆくのだそうです。
 そして、そもそもそれが「考えること」の目的であり、愉しみだというのです。

 そう言われて初めて気づく。人間は、考えて答えを絞ってきたことを。言わば「消去法的思考パターン」だったのです。ところが、猫の「考え」は、「増加型・発展型思考パターン」だったのでした。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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自分の命を生きること – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: AleGranholm

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 5 「自分の命を生きること」

 
貴方は既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などありません。

Joseph Maurice Ravel (モーリス・ラヴェル 仏作曲家 / 1875~1937)
 

 「猫に関する名言じゃないじゃない?」とお思いかも知れませんが、彼の大作曲家ラヴェルは、知る人ぞ知る愛猫家です。そして、この言葉は、猫をこよなく愛し、猫に魅せられ。そして、猫に学び、共感する人間ならではのものに違いありません。何故ならば猫は、ふたつとして同じ性格や考え方、感じ方がない生き物だからです。

 ラヴェルは、後に彼に迫るほど世界的に知られる作曲家になる、若き日のガーシュウィンの弟子入りの懇願を、この言葉で断ったと言われます。

 私は、この言葉をピアノ教師だった母から子供の頃に聞いていました。まさか自分が音楽家になり、世界中数十人の師匠に学び、数百人の生徒に教えるとは思ってもいないころのことです。そして、わりと最近になって、ラヴェルがかなりの愛猫家だと知り、この言葉の意味が更に深く、大きく。そしてとても温かく感じられるようになったのです。

 実は私自身、基礎はほとんど「独学」なのです。民族音楽を始めた1970年代は、現地に行くなど考えられませんでしたし、来日コンサートもほとんどありませんでした。それが90年代になって急に増え、「独学ではこれ以上無理」の限界を感じていた私は楽屋に飛んで行って教えを請うたのです。
 なので、今も、猫たちのご飯と薬の為に掛け替えの無い生徒さんには失礼ですが(皆分かってくれてはいますが)、「口を開けて待っていれば餌が来る」と思っているような雛鳥のような学び方では、「自分の音にならない」というのが本音なのです。
 
 もし猫たちが楽器を学んでくれてオーケストラができたら。それはそれは凄い音楽になることでしょう。個性的で、輝いていて。しかもそれぞれの音の命がもの凄いことでしょう。しかし、皆で同じ曲を演るなんて猫では考えられません。全員がソリストなのです。しかも、当然誰の伴奏もしませんから。全員独奏しかないのです。
 
 だからと言って、猫が共同作業が出来ない、しない、ということではありません。いずれお話したいと思いますが、それは素晴らしい純粋な使命感の共有のようなものです。しかし基本では、互いを頼ったりせず、決して依存したりしません。

 師弟関係といえば「師匠が白と言えば、黒も白」的に、完全無垢で妄信的に受け取ることも大切な基本ではあります。洋の東西で、学びや習得や修行は、まず「模写、書き写し、真似」から入るものです。しかし、お互い人間同士ですから、期待も抱けば、頼りもします。そして、良くも悪くも、だんだん親子のようになってゆくのです。猫は、親子でも「個々の命」として向かい合います。

 ラヴェルにとっても、才能と情熱に溢れるガーシュウィンを弟子として抱えたい思いはきっとあったに違いありません。素敵な猫と出逢った時と同じように。
 しかし、その才能と存在を認めるが故に突き放したのだろうと思います。野良で暮らすことに危険が無いならば、子飼いの家猫で収まるよりは「孤高に生きろ!」とエールを送ったのではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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疑いの余地の無い純粋さ – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Barn Images

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Vol. 4 「疑いの余地の無い純粋さ」

 
ネコは絶対的な正直さを持っている。

Ernest Hemingway (ヘミングウェイ 米小説家 / 1899~1961)
 

 私たち人間にとって、「親兄弟の存在」は、しばしばややっこしいことがあります。「血が繋がっているのに、何でこんなに分かり合えないんだろう」などなどと。
 その点猫たちは、生後二ヶ月程度で授乳が終わり、その後四ヶ月程度の「野生」の修行を躾ければあとは「他人(他猫?)」。それぞれがそれぞれを「個々の存在」として認め、頼らないし頼らせない。そこだけを見るととってもクールに思えます。
 もちろん、人間の持つ「憧憬の念」「説明不能な愛おしさ」「尊敬の念」はとても大切なものに違いありません。しかし、問題は、人間はそれらをすべてごちゃ混ぜにしてしまうことでしょうか。いくら考えても区別ができないのです。だから、考えずに思いつきで沸き上がった感情が答えだと思うしかないのでしょう。

 これらは皆、人間が「群れで暮らす」ことから生じる、如何ともし難い「本質的矛盾」であると考える説があります。つまり「群れ」から浮いたり、はぐれたりしたくないという強い本能的な感覚と同時に、「群れ」に埋没してしまい自分を見失いたくない、という意識も持ち得るからだと言います。

 この感覚が人間と猫との一番大きな違いでしょう。なぜならば、猫は、独立棲(群れずに単独で生活する)の生き物であるからです。群れることによって守られようとはしないのです。同時に猫は、他の猫と自分を比較しませんから、コンプレックス、劣等感、優越感はまったく持っていないのです。なので「どう思われているだろうか?」と心配する自意識も持ち合わせません。なので「気に入られよう」とも「良い子になろう」とも思わないのです。

 そんな猫に好かれたとしたら、それはこの世に他に勝るものがないほど、本当のことに違いありません。
 しかも、猫は、喧嘩相手が近づくだけで「しゃー!」「うー!」と警戒しますが、人間が感情的になるスイッチが入る前になだめると、収まったりします。それどころか、何度かそれを繰り返しているうちに、何となく馴れてきてしまい。一、二年後には、冬場寄り添って昼寝をしていたりします。

 猫の「好き」は、「本当に好き」ですが、猫の「嫌い」は、「本当はそんなに嫌いでもない」のでしょうか。だとすると、これほど素晴らしい心の生き物はこの世の他に在るだろうか! と思ってしまうほど「出来た性格」です。

 私は、人間に対しても、我が子に対してでさえ、自分のことを「好きか?」などと訊いたりはしません。それは、人間の思いはひとつに決められないからです。若干混沌としていると言っても良いかも知れません。と言いつつ、猫にも「おじちゃんのことどう思っている?」などと訊いたりしません。それを確かめる間もなく、苦楽を共にしているからです。

 ところが、ある時、何が何でも薬を飲もうとしない子に、つい言ってしまいました。とある会社の倉庫で出産したその日に、娘息子と運ばれて来た小さな母猫です。
 幼少期の何か、捨てられた時の心の傷か? とても恐がりで、その会社の社員数名だけ、一年掛かりでやっと馴れたそうです。なんと当時の名前は「びびりん」でした。あまりに可愛そうな名前なので、引き取ってからは、私が子供の頃からの我が家の名跡「Chimy」を引き受けてもらいました。四代目になります。

 そんな人間の勝手な思い入れが加わったのでしょう、思わず。
 「そんなことじゃ病気に負ける!」「そんなに信用できないのか?」
 「そんなに嫌いなら野良にでも戻るか!」と。

 すると、Chimyは、初めて見せるほど悲しそうな顔をして、必死に体を固めて耐えて、薬を飲みました。
 
 いっぱい撫でていっぱい褒めて、たくさん「ありがとう」を言い、
 「よく頑張ってくれたね!」「これでもっと一緒にいられるね!」
 と言いました。

 するとChimyは、そおっと顔を上げて
 「おじちゃんのこと嫌いじゃないよ!」と言ってくれたのです。

 「どうして?」と訊いてみました。
 するとその答えは、

 「だって、おじちゃん、人間には珍しく分かりやすいから」でした。 

 本当は猫は、もっと人間を愛したいし、愛されたいのかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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人生の道しるべ – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Jorge Gonzalez

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日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 3 「人生の道しるべ」

 
もし道に迷ったら、一番良い方法は猫について行くことだ。猫は道に迷わない。

Charles Monroe Schulz (チャールズ・M・シュルツ 米漫画家 / 1922~2000)
 

 スヌーピーの作者ですから、圧倒的な「犬派」と思えば、なんと猫のことも良くご存知なシュルツさんだったのですね。確かに猫は道に迷いません。人生(猫生涯)も迷わないかも知れません。いや、正確に言うと、「揺れるけれどブレない」感じでしょうか。

 残念ながら、人間はどんなに願ってもどんなに精進しても、遥かに徳の高い猫には生まれ変われないという話を聞き、私は大層気落ちしました。なぜならば、今生、自他ともに認める「猫的な人間」で、言わば「社会性に疎い」「変わり者」的に生きて来ましたので、是非来世は心置きなく猫でありたいと思っていたからです。

 その「猫的、猫性具合」に関しては、我ながらほとほと呆れたことがあります。しかも、50歳代半ばになってからのことでした。

 とある大学キャンパス内で行われたイベントに演奏者で参加しつつも、主催者と懇意だったので、お偉いさんの奥様を校門までお迎えし会場迄の道案内を頼まれた時です。前夜に降った雪が大分溶けていたころでした。
 ところがその奥様は、振り返ると遥か後方にいらっしゃるので、しばしお待ちすること何回か。やっと気づいたのは、ぬかるんだ地面にお洒落なハイヒールがちょくちょくめり込んでとても歩きにくそうだったのです。

 と、言うことは、なんと私は、猫道を案内していたのでした。
 自分がたどり着いた時は、門衛さんに「あの建物だよ」と指差されだけで、教室の脇や花壇の隅を通って、勝手に最短距離で来たのでした。いい歳こいてますから、考えれば分かりそうなこと。流石に自分でも、その「猫性」のひどさ(優秀さ?)、しかし人間としての問題点を痛感したのでした。思い出してみれば、子供のころ、無断で他人の家(知人や親戚でしたが)の裏庭を通って、良く叱られていました。「垣根が痛む!」と。

 
 野良で一年のおつきあい。我が家玄関先で三食食べ、冬は玄関先に設えたホット座布団入りの段ボールを寝床にしていた「マイケル」。ある日怪我をして歩くのもやっとだったので保護してからは、大切な息子のひとりになりました。

 道無き道を忍者のように歩き、何時も神出鬼没。たまに珍しく道を歩く姿は、威風堂々の野良の貫禄。西部劇映画のラストシーンのように素敵でした。家に入ればすっかり可愛らしくなった彼が居るのに。道ばたや垣根の向こうに彼の姿が無いことに、少し寂しく思うことが今でもあります。

 そんなマイケルに、日頃の疑問を訊いたことがあります。
 「ねえ!なんで猫は犬みたいに道だけを歩かないのかい?」と。
 迷い犬はみな、道路を懸命に臭いを探しながら歩いています。
 するとマイケルは、

 「道? なんだそりゃあ?」「あの人間や車が歩く、草木も生えず池も無い長く続く無駄な空き地のことか?」
 
 犬を引き合いに出したからか、少し不機嫌そうなマイケルでした。

 「道ってもんを猫に訊くってなら、そりゃあ今歩いて来た道が道に決まってらぁな」とでも言いそうなマイケルですが、その実は、野良の頃から人間の気持ちを良く汲み取ってくれる、ちょっとシャイな心優しい猫です。

 世界的著名人シュルツさんに物申すならば、道に迷っても猫には訊かない方が良いかも知れません。猫は、出来合いの「道」やその「道順」などは眼中に無いのですから。その代わり、猫は地理をしっかり把握しているのです。だから何処をどう歩こうとも、目的にたどり着ける。生まれ変わって離れた場所で生まれても帰って来ます。頭の中に、猫の神様の情報を受信する「ナビ」でも入っているかのようです。

 思いがけず同じ道を一緒に歩くこととなったマイケルのためにも、自分の道を信じて頑張って歩き続けて行かねばなりません。時には立ち止まり良く考え。時には一旦戻ってみる勇気も持ちながら。 

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏



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何も加えず何も欠かさず – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: zaimoku_woodpile

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 2 「何も加えず何も欠かさず」

 
もし動物が喋れたら、犬はぶっきらぼうで、遠慮なくものを言う正直な奴だ。ところが猫は、余計なことを喋り過ぎないという希有な才能を見せることだろう。

Carl Van Vechten (カール・ヴァン・ヴェクテン 米作家、写真家 / 1880~1964)
 

 猫と何年も一緒に暮らしながら、或る時「はっ!」と気づくまで、考えもしなかったことなのですが、猫が喋る相手はほとんど人間だけなのです。
 猫同士では「おい!邪魔だ!」「こらっ!痛いぞ!」くらいしか発しません。なので、あの「にゃあ」も「うにゃあ」「あーう」も皆人間に向けて喋っているのでした。もちろん、猫は「寝言」も言いますし、「独り言」も言います。その時「にゃあ系」だったら、それは私たち人間を想定して喋っているのでしょう。
 
 また、時々窓辺で、外の鳥にも喋っていることがありますが、その時は「うぐぐぐぐぐ」とか言って、ちっとも「にゃあ系」ではないのです。なので、それぞれの生き物の「言葉」に合わせて、猫も「言葉」を選んでいるのだと分かります。
 また、猫によってもの凄く喋る子と、あまり喋らない子の個体差が大きいのも興味深いところです。やはり猫も人間と同じように「分かって貰いたい!」という思いが強いと、どうしても「言葉が多くなる」のでしょう。
 
 近所のホームセンターの屋上駐車場に、兄弟姉妹四頭段ボールに入れられ封をして放置されていて、酷い感染症と寄生虫から奇跡的に生き残った三頭の一頭、白とグレーのおしゃれな柄の「もなか」という小さな雌猫は、一歳を過ぎるまで「にゃあ」とは一回も言いませんでした。

 他の姉妹が「ごはん!ごはん!」「早く!早く!」と大声で「にゃあ!にゃあ!」良く喋る時でさえ「うぐう」「ぶにゃっ」「ぶにい」を小さくつぶやく程度でした。とっても面白いんだけど「大丈夫か?この子?」と思っていました。

 ところが、初めて病院に連れて行った時。驚いたことに、診察台では文字通り「にゃあにゃあ」言っているのです。
 
 「にゃあ」は、「もなか」にとってはよそ行きの言葉だったのです。

 つまり、他の猫にとっても「にゃあ」は丁寧語なのでしょう。そう考えると確かに、「ごめんなさい」とか「おじちゃん!お願いがあるんだけど」などの時だけはっきりと「にゃあ」を言い、日頃は「なあ」「うにゃあ」とか、酷い時には「びゃあ」「やーん」とか言っています。

 そんな「もなか」に、ある時、とくとくと訊いてみました。
「ねえ! もなかはどうしてあんまり喋らないの?」と。
 すると「もなか」は、一言二言、

 「言わなきゃ分からん奴には、言っても分からん」

 と。

 私は思わず、

「言わなきゃ分からん奴だから、
 あれこれ言い方を替えて必死で伝えてるんだろうが!」

 と言い返しそうになって。「ぐっ」と我慢しました。

 小さな「もなか」に「ずばり!」なことを言われて、大人げなく反論したい自分に気づいたからでした。それも含めて大いに反省し、

 「ごもっとも」と心でつぶやいたのでした。 

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏



連載コラム「猫の名言」
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何も無いが在ること – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Ansel Edwards

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 1 「何も無いが在ること」(無限に自由な想像の世界)

 
猫は元来ミステリアスである。彼らの脳裏には、我々の認識を超えた数多のものが去来している。

Sir Walter Scott (ウォルター・スコット 英詩人 / 1771~1832)
 

 皆さんは、最近「夢想」することがあるでしょうか?  私たちはきっと皆、子供の頃はあれこれ楽しい「夢想」を毎日たくさんしていたはずです。
 もちろん現実の世界は子供にとっても、今も昔も決して楽ばかりではなかったはずです。私の時代は、学校の先生だって遠慮無く体罰を喰らわしていましたし。父親のみならず、母親も容赦なく平手打ちで叱りつけました。それどころか、あの頃は、道ばたや原っぱで縁もゆかりもない知らないお爺さんにまで、怒鳴られ叱られが当たり前の時代でした。
 子供だって「世の中そんなに甘くない」と分かっていたのです。なのに、性懲りも無く「夢想」をする。それがまた楽しくて楽しくて。ちっとも実際には叶いもしないのに。

 ところが、思春期を過ぎて「はたっ!」と気づくのです。「こんな自分は、何処かおかしいのでは?」と。「猫」や「芸術家」ならば、「神秘的! ミステリアス!」と言ってもらえるでしょうが。「現実世界」に生きて行くためには、いいかげん子どもじみた「夢想」から卒業しなくてはいけないんだ! と。以後ぱったり「夢想」をしなくなったのです。

 でもそれは言い訳でした。後に世界に知られる芸術家は、少年時代思春期にその孤独に耐えて来たのでしょうし、そもそも猫は、どんな子でもそれから逃げようとはしない。 

 それから何十年。孫が生まれる歳になって、またあの楽しい「夢想」が出来るようになって。厳しい日々の生活もどうにか頑張れるようになったのは、何時も回りに沢山居る猫の中の、小さく生まれたけれど、真っ先にお母さん猫のお腹から飛び出て来たような元気な雌猫「プリン」から、とても大切なことを学んだことがきっかけでした。

 ある昼下がり、プリンが窓の外を何時迄もずっと眺めているのです。「ああ、また小鳥か烏でも近くに居るのだろうな」と思いながら、猫たちの世話に追われていました。「山が見えるようなところに越して来て良かった!」「プリンも嬉しそうに景色を眺めてくれているんだろう」と思いながら。

 世話が終わって、時間に追われながら部屋を出る時。ちょっとふざけてプリンのほっぺたに頬をくっつけて、何を見ているのか探してみました。
 ところが窓の外には何もありませんでした。ちょっと意外だったので、プリンに訊きました。「一体何を見ているんだい?」と。

 するとプリンはたった一言こう答えました。

 「風」 
 
 と。

 「やっぱり猫はすごいなぁ」

 特にプリンは心が真っすぐなうえに、そうとう賢い子ではありますが。猫たちはきっと、見えないものもたくさん感じているのでしょう。そして、私たちが考えもしなかったようなことを思いついているに違いありません。同じ見えるものでも違ったことを発想している。猫は皆、天性の「夢想家」なのかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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ごあいさつ – 連載コラム「猫の名言」

猫の名言
photo: Stefan Tell

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



筆者:若林忠宏 「ごあいさつ」

 
猫に捧げる猫についての言葉、私たち人間の為の猫の言葉、
 

 初めまして。
 民族音楽演奏家の若林忠宏と申します。この度ご縁をいただき「癒しツアー」さまで連載コラムを書かせていただくことになりました。「演奏家」は、表看板で、その実は、我が家に6頭、近所のシェルターに数十頭の猫たちの「家政婦、介護人」が正体のような暮らしをしています。どうぞ宜しくお願い致します。

 私は、物心ついた時には、目の前に猫やワン子やアヒルや孔雀、たくさんの生き物が住んでいる、近所でも有名な、かなりおかしな家で育ちました。
 俳優・演出家だった父親が自然や生き物が大好きな人だったからです。父の地方公演の時は一二ヶ月。母と私が飼育係でした。小学校でも万年飼育係でしたが。 

 ところが父が海外の演劇祭に出るために年に何度も長く家を空けるようになって、すっかり皆手放してしまったころ、ほんの数年、妹がもらって来た猫と、その子が生んだ猫たちと暮らしましたが、私は既に音楽に目覚めていて、学校が終われば仲間との練習や音楽談義に明け暮れていました。
 同じ頃、母は新築の家に猫たちを入れなくなり、軒下でご飯を食べさせていました。私は、後ろ髪を引かれる想いを振り切り、「寒いよ!入れてよ!」の声に耳を塞いで町へと出掛けて行ったのでした。

 それから25、6年。民族音楽という比較的マイナーな音楽でしたが、第一人者と呼ばれるようになって、気持ちが一段落ついたころに、音楽のお弟子さんが「一晩だけ預かって!」と捨て子猫を連れて来たのです。
 たったの一晩で、子どものころのことや、思春期に見捨てた子たちのことが猛烈にこみ上げて来て。翌朝にはその子を手放せなくなっていて、今日の数十頭にまで至るのです。
 一部はショップ売れ残りですが、ほとんど皆、捨て子猫、野良子猫なので、病気の無い子は大分里子に出しましたが、何かしら不治の感染症を持っている子が多く。もう十頭以上看取りました。

 猫たちに囲まれて暮らすようになって、本が何冊も書けそうなほどたくさんの発見や学び、思い直しや自戒がありますが………………….。
 
 それまでの人生と一番大きく変わったことが、「言葉」についての考えです。

 初めは、とても不思議な感覚でした。何故なら猫は人間の言葉を喋らないのですから。当たり前のことですが。
 
 毎日毎日一日中猫たちと見つめ合い、「うにゃあお」の声を聞きながら、その想いや心を分かろうとしているからかも知れませんが。逆に、私が何かを猫たちに言う時。人間に対してよりも遥かに「言葉」というものを考えるようになっていたのです。

 それはきっと、猫には先に心が伝わっているからなのでしょう。だから「嘘の言葉は言えない」。そう思えば、今まで何も考えずに発していた「言葉」を一瞬確かめるようになりました。そして、同じ意味ならば、一番良い「言葉」を発しようとか、偽りの無い心とセットで一番猫たちの心に残る「言葉」を伝えよう。と、自分の心も昔よりよく考えるようになっていったのです。 
 
 それでも新たな気づきと発見の、まだまだ勉強の日々ですが、そんな「猫の言葉」の数々から、「これは是非!」という「言葉」をみなさまにお伝えできれば、とても幸いです。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。
 今後とも、よろしくお願いいたします。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


連載コラム「猫の名言」
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英語の名言・格言【ウディ・アレン】

英語の名言・格言【ウディ・アレン】

ウディ・アレンの英語の名言には「Eighty percent of success is showing up.(成功の80%は、その場に現れること)」などがあります。

アカデミー賞に史上最多の24回ノミネートされ、監督賞を1度、脚本賞を3度受賞しているウディ・アレン(1935~)の英語の名言をご紹介します。

「ウディ・アレンの日本語の名言」へ

ウディ・アレンの経歴

1935年12月1日、ニューヨーク市のブロンクス区でユダヤ系の家庭に生まれる。

幼少時代、母親はアレンに対して激しい叱責を行う一方、妹に対しては穏やかな扱いであったため、アレンは自分が「愛されている」という感情が持てなくなり、コミック、映画、ジャズに傾倒するようになる。

一家は正統的なユダヤ教徒であり、アレンも8年もの間ヘブライ語学校に通うことになるが、それが彼の宗教嫌いに拍車を掛ける結果となる。

高校入学後、アレンは徐々にコメディに傾倒し、その道を志望するようになる。

高校在学中にニューヨーク・ポストなどにギャグを送り始め、コラムニストにより誌上で紹介され人気を博した。これが芸能エージェントの目にとまり、アレンは臨時雇いのギャグ・ライターという道を歩むことになる。

1953年、ニューヨーク大学教養学部に入学。映画製作を専攻したが授業の大半をさぼり、中退。

1955年に放送作家養成プログラムに参加し、ギャグ・ライターと放送作家を並行して行うことになる。その後、作品がエミー賞にノミネートされるなど放送作家としての地位を確固たる物にした。

しかし、アレンは放送作家の仕事に興味を持てなくなる一方で、続々舞い込む仕事に心を病み、1959年から精神科への通院を始める。

1960年からはスタンダップ・コメディアンとして活動を始め、人気を集めていった。その後、映画界からもオファーが飛び込み、アレンは映画界へと身を投じる。

アレンの映画では、生まれ育ったニューヨークの文化や暮らし、人々のメンタリティをテーマにすることが多い。

ユダヤ人であることの差別やコンプレックス、自己意識などを織り込んだコメディを得意とする。

「監督、脚本、主演の三役をこなして成功することが出来た映画人は、チャップリンとオーソン・ウェルズとアレンの三人だけだ」といわれている。

Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)


ウディ・アレン 英語の名言・格言集


ウディ・アレンの名言メニュー

ウディ・アレンの英語の名言

【関連ページ】
ウディ・アレンの名言・格言(日本語の名言)

ウディ・アレンの英語の名言


1.英語の名言・格言

 

Life doesn’t imitate art, it imitates bad television.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
人生は芸術を手本にしない。質の悪いテレビ番組を手本にするのだ。


2.英語の名言・格言

 

Eighty percent of success is showing up.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
成功の80%は、その場に現れること。


3.英語の名言・格言

 

Confidence is what you have before you understand the problem.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
自信とは、問題の本質を理解していないときに現れるものだ。


4.英語の名言・格言

 

A relationship, I think, is like a shark. You know? It has to constantly move forward or it dies.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
恋愛とはサメのようなものだ。常に前進してないと死んでしまう。


5.英語の名言・格言

 

I took a speed-reading course and read ‘War and Peace’ in twenty minutes. It involves Russia.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
私は速読のクラスを取り、『戦争と平和』を20分で読んだ。ロシアについて書いてあったと思う。


6.英語の名言・格言

 

To you, I’m an atheist. To God, I’m the loyal opposition.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
君にとって僕は無神論者だろう。でも神にとって僕は誠実な反対勢力なのだ。


7.英語の名言・格言

 

To love is to suffer. To avoid suffering, one must not love. But, then one suffers from not loving.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
恋をすることは苦しむことだ。苦しみたくないなら、恋をしてはいけない。でも、そうすると、恋をしていないということでまた苦しむことになる。


8.英語の名言・格言

 

Life is divided into the horrible and the miserable.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
人生は悲惨かみじめかどちらかでしかない。


9.英語の名言・格言

 

Life is full of misery, loneliness, and suffering – and it’s all over much too soon.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
人生はみじめさ、孤独、苦しみに溢れている。そしてそれはあまりに早く終わってしまう。


10.英語の名言・格言

 

There are two types of people in this world, good and bad. The good sleep better, but the bad seem to enjoy the waking hours much more.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
世の中には2種類の人間がいる。善人と悪人だ。安眠できるのは善人のほうだが、起きている時間をはるかに愉しんでいるのは悪人のほうだ。


11.英語の名言・格言

 

What if nothing exists and we’re all in somebody’s dream?

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
もし存在なんてものはなく、すべては誰かの夢だったとしたらどうだろう?


12.英語の名言・格言

 

Time is nature’s way of keeping everything from happening at once.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
時間とは、すべてのことが同時に起きるのを防ぐ、自然の法則である。


13.英語の名言・格言

 

I hate reality but it’s still the best place to get a good steak.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
僕は現実が嫌いだ。でもおいしいステーキを食べるのにこれ以上の場所はない。


14.英語の名言・格言

 

If only God would give me some clear sign! Like making a large deposit in my name at a Swiss bank.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
神様は何かわかりやすい啓示をくれるべきだよ!たとえば、スイス銀行に僕名義でお金を振り込んでくれるとかさ。


15.英語の名言・格言

 

My one regret in life is that I am not someone else.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
今まで生きてきて残念に思うことのひとつは、僕が、僕以外の誰か他の人ではないと言うことだね。


16.英語の名言・格言

 

Dying is one of the few things that can be done as easily lying down.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
死ぬということは、楽に寝そべっていてできるわずかな事柄のうちのひとつである。


17.英語の名言・格言

 

I’d never join a club that would allow a person like me to become a member.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
私を会員にするようなクラブには入りたくない。


18.英語の名言・格言

 

I’m not afraid of death; I just don’t want to be there when it happens.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
死ぬのは怖くない。ただ事が起こる時、そこに居合わせるのがイヤなんだ。


19.英語の名言・格言

 

Anything worth knowing cannot be understood by the human mind.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
頭で理解できることに価値はない。


20.英語の名言・格言

 

If you want to make God laugh, tell him about your plans.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
もし神様を笑わせたいのなら、君の将来の計画を神様に話してごらんなさい。


21.英語の名言・格言

 

If you’re not failing every now and again, it’s a sign you’re not doing anything very innovative.

 

- Woody Allen (ウディ・アレン) -

 
もし時々失敗することもないというのなら、それはあなたがあまり革新的なことをしていないという証拠だ。


おわりです。

下に「偉人の一覧」、「人気コンテンツ」、「ウディ・アレンの本・関連書籍」がございます。

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ウディ・アレンの本・関連書籍


『ただひたすらのアナーキー』
(ウディ・アレン)

(Amazonでチェック)

トリュフをめぐる謎に巻き込まれる私立探偵、ノベライズを依頼された貧乏作家、壊滅的な一軒家と格闘する夫婦、落ちぶれた大物プロデューサー…皮肉とユーモア、そして哀愁に満ちた18の物語。ウディ・アレンが25年ぶりに贈る待望の短編集。


『ウディ・アレンの映画術』
(エリック・ラックス)

(Amazonでチェック)

ウディ・アレンのすべて―インタビューは、36年間の折々に行なわれた。映画のアイデアから脚本、監督業、キャスティング、撮影、音楽、そして映画人生などのすべてについて語った。後世に残る必備書、待望の翻訳。


『ウディ・アレンの浮気を終わらせる3つの方法』
(ウディ・アレン)

(Amazonでチェック)

電波男につきまとわれる脚本家、不倫キャラたちに監禁された劇作家、恋愛バトルにまきこまれてしまう挙動不審な小説家 - ニューヨークの浮気な作家たちが繰りひろげる、3つの一幕劇集。

ウディ・アレンの書籍一覧(Amazon)


テーマ別の名言集と偉人の一覧

「人生」「癒し」などのテーマ別の名言集やおすすめ偉人の名言一覧が表示されます。

偉人の一覧(全169名)

【文学家】
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