三島由紀夫の名言(4)
女というものは、いたわられるのは大好きなくせに、顔色を窺われるのはきらうものだ。
いつでも、的確に、しかもムンズとばかりにいたわってほしいのである。
女性は先天的に愛の天才である。
どんなに愚かな身勝手な愛し方をする女でも、そこには何か有無を言わせぬ力がある。
親しくなればなるほど礼節をわきまえるのが理想の人間関係である。
崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。
精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。
先生にあわれみをもつがよろしい。
薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、一等手強くない大人なのです。
男の世界は思いやりの世界である。
男の社会的な能力とは思いやりの能力である。
武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えながら、現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。
動物になるべき時には、ちゃんと動物になれない人間は不潔であります。
僕は詩人の顔と闘牛師の体とを持ちたい。
裏切りは友情の薬味であって、コショウかワサビみたいなものであり、裏切りの要素もその危険も伏在しない友情など、味がないと思うようになるとき、諸君はまず、青年のセンチメンタリズムを脱却した、一人前の大人になったと云えましょう。
この世には最高の瞬間といふものがある。
この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。
たいてい勇気ある行動というものは、別の在るものへの怖れから来ているもので、全然恐怖心のない人には、勇気の生まれる余地がなくて、そういう人はただ無茶をやってのけるだけの話です。
やたらに人に弱味をさらけ出す人間のことを私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。
それは社会的無礼であって、われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所をみとめるのに、人も同じように弱いということを証明してくれるのは、無礼千万なのであります。
何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。
それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。
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