芥川龍之介の名言・格言




芥川龍之介の名言・格言


芥川龍之介(1892年~1927年)

日本の小説家。

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1892年、現在の中央区明石町で牛乳屋を営む一家の長男として生まれる。生後間もなく母が病気になり、現在の墨田区両国の母の実家の芥川家に預けられ、伯母に養育される。11歳のときに母が亡くなり、翌年に母の実兄の養子となる。芥川家は江戸時代に徳川家に仕え、茶の湯を担当していた家柄であり、家中が芸術・演芸を愛好していた。

龍之介は、中学での成績が優秀であったため、無試験で第一高等学校(旧制一高)に入学。同期入学には菊池寛や久米正雄らがいた。1913年に東京帝国大学英文学科へ進学。在学中に菊池寛、久米正雄らと同人誌『新思潮』を刊行。同誌上に処女小説「老年」を発表した。1915年に代表作「羅生門」を発表。同年、夏目漱石門下に入り、「鼻」が漱石に絶賛される。

1916年に大学を卒業後、海軍機関学校の英語の嘱託教官として教鞭を執る。同時に創作にも励み、短編作品を次々に発表。1919年に教職を辞して大阪毎日新聞社に入社。出社の義務はなく、創作に専念する。1919年に結婚。

1921年に海外視察員として中国を訪問。しかし、帰国後次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを病む。作品もこの頃から私小説的な傾向が現れ、晩年の「河童」などへと繋がる。

1926年、病状が悪化し、湯河原で療養。その後、鵠沼の旅館に滞在して妻子を呼び寄せる。1927年4月、帝国ホテルで心中未遂事件を起こす。そして、同年7月、「続西方の人」を書き上げた後、致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。

死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設立。日本で最も有名な文学賞として現在まで続いている。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

芥川龍之介の名言・格言集




芥川龍之介の名言(1)


名言・格言

 

打ちおろすハンマーのリズムを聞け。

あのリズムが在する限り、

芸術は永遠に滅びないであろう。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

自由は山巓の空気に似ている。

どちらも弱い者には堪えることは出来ない。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

どうせ生きているからには、

苦しいのはあたり前だと思え。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

阿呆はいつも彼以外のものを

阿呆であると信じている。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

わたしは良心を持っていない。

わたしの持っているのは神経ばかりである。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

幸福とは

幸福を問題にしない時をいう。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

われわれを恋愛から救うものは、

理性よりもむしろ多忙である。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

女は常に好人物を

夫に持ちたがるものではない。

しかし男は好人物を常に

友だちに持ちたがるものである。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

懐疑主義者もひとつの信念の上に、

疑うことを疑わぬという

信念の上に立つものである。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

軍人の誇りとするものは、

小児の玩具に似ている。

なぜ軍人は酒にも酔わずに、

勲章を下げて歩かれるのであろう。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

道徳は常に古着である。

 

- 芥川龍之介 -


名言・格言

 

古人は神の前に懺悔した。

今人は社会の前に懺悔している。

 

- 芥川龍之介 -



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