ルソーの名言・格言




ルソーの名言・格言


ジャン=ジャック・ルソー(1712年~1778年)

ジュネーヴ共和国(現在スイスの都市)出身の哲学者、政治・教育哲学者。

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1712年、都市国家ジュネーヴの市民階級の家庭に生まれる。

父は時計師、母は生後8日で亡くなる。幼少の頃から小説や歴史の書物を読み、理性よりも感情を重んじる思想の素地が培われた。

13歳のとき、父が退役軍人との喧嘩がもとでジュネーヴから逃亡。兄も家出する。孤児同然となったルソーは、牧師に預けられる。その後、彫金工などに弟子入りするも3年後に出奔して放浪生活に入る。以降、さまざまな職業を試しながら自分の進むべき道を探求する。

20歳でジュネーヴを離れ、男爵夫人の愛人となる。その庇護の下で教育を受け、膨大な量の書物を読み、教養を身につけた。

男爵夫人と別れた後、1740年からフランス・リヨンのマブリ家の家庭教師を務め、1742年に音楽の新しい記譜法を発表してパリに出る。33歳のとき、下宿の女中を愛人として、10年間で5人の子供を産ませるが子供は養育院に入れてしまう。

1750年、執筆した『学問芸術論』が懸賞論文に入選。以後、次々と著作・音楽作品を創作。1753年に大作『人間不平等起源論』を発表、1761年の恋愛小説『新エロイーズ』はベストセラーとなる。

1762年、50歳のときに『社会契約論』を出版、同年、教育論『エミール』が世に出ると、その自然宗教的な内容からパリ大学神学部から断罪され、『エミール』が禁書に指定される。ルソーにも逮捕状が出たため、スイスに亡命。

1770年に偽名でパリに戻り、自叙伝『告白』の執筆を続ける。1778年、66歳のときにパリ郊外て死去。

ルソー以前、フランスなどでは「君主主権」の観念が絶対王政を支える根拠となっていた。しかし、ルソーの人民にこそ主権が存するという「人民主権」の概念が、フランス革命に影響を与え、その後の民主主義の進展や普通選挙制の確立に大きく寄与する。日本でも、明治10年に「民約論」、明治15年に中江兆民訳「民約訳解」が発表された。

ルソーの影響を受けた哲学者としてドイツのカントが有名である。また、帝政ロシアの作家トルストイも青年期にルソーを愛読し、生涯その影響を受けた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

ルソーの名言・格言集




ルソーの名言(1)


名言・格言

 

ある者は明日に、

他の者は来月に、

さらに他の者は十年先に

希望をかけている。

誰一人として、

今日に生きようとする者がいない。

 

- ルソー -


名言・格言

 

ある真実を教えることよりも、

いつも真実を見出すには

どうしなければならないかを教えることが

問題なのだ。

 

- ルソー -


名言・格言

 

最も教育された者とは、

人生のよいことにも悪いことにも

最もよく耐えられる者である。

 

- ルソー -


名言・格言

 

人は手に入れているものよりも

期待するものを喜ぶ。

 

- ルソー -


名言・格言

 

私たちは無知によって

道に迷うことはない。

自分が知っていると

信じることによって迷うのだ。

 

- ルソー -


名言・格言

 

男は知っていることをしゃべり、

女は人に喜ばれることをしゃべる。

 

- ルソー -


名言・格言

 

恋と同じで、

憎悪も人を信じやすくさせる。

 

- ルソー -


名言・格言

 

人は、実際の恋愛対象よりも、

自分で心に描き出した

相手の像の方を一層愛する。

人がその愛する者を

正確にあるがままに見るならば、

もはや地上に恋は無くなるだろう。

 

- ルソー -


名言・格言

 

生きるとは呼吸することではない。

行動することだ。

 

- ルソー -


名言・格言

 

私たちは、いわば二回この世に生まれる。

一回目は存在するために、

二回目は生きるために。

 

- ルソー -


名言・格言

 

洗練された眼差しは、

細やかで鋭敏な感性に他ならない。

 

- ルソー -



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