西郷隆盛の名言・格言




西郷隆盛の名言・格言


西郷隆盛(1828年~1877年)

日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。大久保利通、木戸孝允とともに「維新の三傑」と称される。


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1828年1月23日(文政10年12月7日)、鹿児島城下、現在の鹿児島市加治屋町に下級藩士の長男として生まれる。少年時代に喧嘩の仲裁に入り、右腕の神経を刀で切られる。その怪我で刀が握れなくなり、学問で身を立てることを志す。

1854年、西郷が26歳のときに薩摩藩主、島津斉彬の御庭方役となり、島津斉彬から直接教えを受ける。

1856年、第13代将軍・徳川家定と島津斉彬の養女・篤姫が結婚。島津斉彬の考えは、篤姫を通じて一橋家の徳川慶喜を第14代将軍にし、幕府を中心とした中央集権体制を作り、開国して富国強兵をはかり、露英仏などに対処しようとするもので、日中韓同盟をも視野にいれた壮大な計画であった。西郷隆盛はその手足となって活動。

1858年、西郷が30歳のときに島津斉彬が急逝。島津斉彬の弟、島津久光の子・忠義が家督相続し、島津久光が後見人となる。西郷隆盛は、殉死しようとするも僧・月照らに説得されて、島津斉彬の遺志を継ぐことを決意。

1866年、西郷が38歳のときに坂本龍馬の斡旋により、長州藩士、桂小五郎(木戸孝允)と薩長提携六ヶ条の密約を交わす(薩長同盟)。

1867年、徳川慶喜は大政奉還を建白。しかし、1868年に鳥羽・伏見にて旧幕府軍と薩摩藩との間で戦端が開かれ、戊辰戦争へと拡大。西郷隆盛は東海道先鋒軍の司令官に任じられると、箱根を占領。その後、江戸総攻撃の命令を受けて江戸に入る。

江戸城総攻撃の直前に山岡鉄舟勝海舟と会談、徳川処分案を預かると総攻撃中止を命令し、無血開城が行われる。

その後、薩摩へ帰郷したが、1871年(明治4年)、43歳の西郷は参議として新政府に復職。陸軍大将などを兼務。

朝鮮との国交回復問題では朝鮮開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴くことを提案し、大久保利通らと対立。再び鹿児島に戻り、私学校での教育に専念する。

1877年(明治10年)に私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自刃。1877年9月24日、西郷隆盛は49年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)



 

西郷隆盛の名言・格言集




西郷隆盛の名言(1)


名言・格言

 

もうここらでよか

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬ

というような人物は処理に困るものである。

このような手に負えない人物でなければ、

困難を共にして、

国家の大業を成し遂げることはできない。

 
しかし、このような人物は普通の人の眼では

見抜くことができぬと言われるので、

それでは孟子が

 
「仁という広い家に住み、

礼という正しい位置に立ち、

義という大道を歩む。

もし、志を得て用いられたら

民と共にその道を行い、

志を得ないで用いられなければ、

独りでその道を実践する。

そういう人は、

どんな富や身分もこれを汚すことはできないし、

貧しく身分が低いことによって心がくじけることもない。

力をもってもこれを屈服させることはできない」

 
と言っていますが、

このような人物が

いま仰せられたような人物のことでしょうかと尋ねると、

その通りだ、真に道を行う人でなければ、

そのような姿にはならないものだと答えられた。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

正しい道を踏み、

国とともに倒れてもよい

というほどの精神がなければ、

外国との交際を成し遂げることはできない。

外国の強大なことに恐れをなし縮こまり、

ただ円満に事を収めることを主として、

自国の真意を曲げてまで、

その国のいいなりになるのなら、

軽蔑や侮りを受け、

親しい交わりがかえって破れ、

しまいにはその国に制圧されるに至るであろう。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

過去の功績のご褒美として役職につけるのは、

善くないことの第一である。

功績のある人には俸給をあたえて賞し、

役職はそれにふさわしい人物にあたえよ。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

賢人がすべての役人を一つにまとめ、

政権が一つの方針に進み、

国柄が一つの体制にまとまらなければ、

とても成功どころではない。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

政治の根本は、

教育文化を盛んにし、

軍備を充実させ、

農業を奨励するという

三つに尽きる。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

国民の上に立つ者は、

いつも心を慎み、

普段の行いを正しくし、

驕りや贅沢を戒め、

つつましくすることに努め、

仕事に励んで人々の手本となり、

国民がその仕事ぶりや生活を

気の毒に思うくらいでなければ、

政府の命令は行われにくい。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

何度も何度もつらく苦しい経験をしてこそ、

人の志は初めて堅くなるのだ。

真の男は玉となって砕けることを本懐とし、

志を曲げて瓦となって生き長らえることを

恥とせよ。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

我が家の遺訓。

それは子孫のために良い田を買わない、

すなわち財産を残さないということだ。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

過ちを改めるには、

自分が間違いを犯したと自覚すれば、

それでよい。

そのことをさっぱり思いすてて、

ただちに一歩を踏み出すことが大事である。

過ちを犯したことを悔やんで、

あれこれと取りつくろおうと心配するのは、

たとえば茶碗を割って、

そのかけらを集めて合わせてみるようなもので、

何の役にも立たぬことである。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

大きなことでも、

小さなことでも、

道理にかなった正道を踏み、

真心を尽くし、

決して策略を用いてはならない。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

広く諸外国の制度を取り入れ、

文明開化をめざして進もうと思うならば、

まず我が国の本体をよくわきまえ、

道徳心を高めることに努め、

そのうえで、

徐々に外国の長所を取り入れるべきである。

ただみだりに模倣すると、

国体は衰え、徳も廃れて、

救いようがなくなってしまい、

結局は外国の支配を受けるようなってしまうのである。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

主君への忠義と親への孝行、

他人にめぐみいつくしむという

徳目の実践を促すことこそ、

政治の基本である。

これは、未来永劫、世界のどこにおいても、

不変かつ大事な道である。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

人間の知恵を開発するということは、

愛国の心、忠孝の心を開くことなのだ。

国に尽くし、家のために勤めるという

道が明らかであれば、

すべての事業は前進するであろう。

耳で聞いたり、目で見たりする分野を開発しようとして、

電信を架け、鉄道を敷き、蒸気機関車を造る。

こうして人の注目を集めても、

どういうわけで電信、鉄道が必要なのかを考えもしないで、

みだりに外国の盛大なことをうらやむ。

利害得失を議論することなく、

家屋の作り方からオモチャに至るまで一々外国の真似をし、

贅沢の風潮を助長する。

財産を浪費するならば、

国力は衰え、人の心は浅はかで軽々しくなり、

結局日本は破綻するよりほかないであろう。

 

- 西郷隆盛 -


名言・格言

 

文明というのは、

道理にかなったことが広く行われることを

褒め称えていう言葉であって、

宮殿が荘厳であるとか、

衣服がきらびやかだとかといった、

外観の華やかさをいうものではない。

もし西洋が本当に文明の国ならば、

未開の国に対しては、

慈愛の心をもって接し、

懇々と説きさとし、

文明開化に導くはずであろう。

ところが、そうではなく、

未開蒙昧の国に対するほど、

むごく残忍なことをして、

自分たちの利益のみをはかるのは

明らかに野蛮である。

 

- 西郷隆盛 -



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