西郷隆盛の名言(3)
節操を貫き、道義を重んじ、心清らかで恥を知る心を持つ。
これを失うようなことがあれば、決して国家を維持することはできない。
上に立つ者が下の者に対して自分の利益を争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もみなこれにならい、人の心は財欲にはしり、日に日に卑しく、節義廉恥の志を失い、親子兄弟の間ですら財産を争い互いに敵視するようになるのだ。
このようになったら何をもって国を維持することができようか。
徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世を治めたが、今の時代は昔の戦国時代の勇将よりもっと勇猛な心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することはできないのだ。
普仏戦争の際、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧を残して降伏したのは、あまりにそろばん勘定にくわしかったがためである。
国が辱めを受けるようなことがあったら、たとえ国が倒れようとも、正道を踏んで道義を尽くすのが政府本来の仕事である。
戦の一字を恐れ、政府本来の使命を果たさないのなら、商法支配所といった商いの元締めというようなもので、もはや政府ではなくなってしまうだろう。
昔から、主君と臣下が共に自分は完全だと思っているような世に、よい政治が行われたという例はない。
自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々の言葉も聞き入れることができる。
自分が完全だと思っているとき、人からその非を指摘されるとすぐに怒るから、賢人や君子も、そのような人を助けようとはしないのである。
どんなに制度や方法を論議しても、その適任者がいなければうまく行われない。
その人あって初めてその方法が行われるのだから、人こそが第一の宝であって、自らがそういう立派な人物になろうとする心がけが大事なのだ。
自分に克つには、あらゆる事柄を前にして、はじめて自分に克とうとしても、そうやすやすとはできないものだ。
ふだんからその心がけを持って、自分に克てるようにしておかなければならない。
学問を志す者は、広く学ぶという心がけが必要である。
しかし、ただそのことのみに偏ってしまうと、身を修めることがおろそかになっていくから、常に自分に克ち、身を修めることが大事である。
広く学び、同時に自分に克ち、男というものは、どんな人でも受け入れるくらいの度量が必要で、人から呑まれてしまってはいけない。
古語にも次のようにあろう。
物事を成そうとの意気込みを広く持つ者にとって、もっとも憂えるべきことは自分のことをのみはかり、けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本として、自分からそうなろうと修業をしないことだ。
では、その古人を目標にするというのはどういうことですかと教えを請うと、徳をもって天下を治めた尭・舜(中国古代の伝説上の帝王)を理想とし、孔子を教師とすることだと答えられた。
人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であり、人はこれにのっとって実践すべきものであるから、何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。
天は他人も自分も区別なく愛されるものであるから、自分を愛する心をもって他人をも愛することが肝要である。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、自分の誠を尽くし、人を咎めたりせず、自分の真心が不足していることを認識すべきなのだ。
自分を愛する(甘やかす)ことは、最もよくないことである。
修業ができないのも、ことが成就できないのも、過ちを改めることができないのも、自分の功績を誇って驕り高ぶるのも、みな自分を愛することから生ずることであり、決して自分を甘やかす心を持ってはならない。
人材を採用するとき、君子(徳行の備わった人)と小人(徳のない人)との区別を厳格にし過ぎると、かえって害を引き起こすものである。
というのは、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これを下役に用い、その力を発揮させるのがよい。
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