手塚治虫の名言・格言




手塚治虫の名言・格言


手塚治虫(1928年~1989年)

日本の漫画家、アニメーター、医学博士。「漫画の神様」と称される。

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1928年、大阪府、現在の豊中市に長男として生まれる。少年時代、当時珍しかった手回し映写機が家にあり、自宅でチャップリンの喜劇映画やディズニーのアニメ映画を観る。また、家には母が買い与えた200冊もの漫画本があり、見様見真似で漫画を描くようになる。

1941年、中学校に入学した年に太平洋戦争が勃発。1945年には、勤労奉仕中に大阪大空襲に遭遇、頭上で焼夷弾が投下されるも九死に一生を得る。1945年に大阪帝国大学附属医学専門部に入学。

終戦後、子供向け新聞に4コマ漫画の連載を開始。その後、漫画家の酒井七馬が手塚治虫の才能を見出し、長編ストーリー漫画『新寶島』を合作。1947年に出版され、ベストセラーとなった。漫画執筆が忙しくなると大学の単位取得が難しくなり、教授から医者よりも漫画家になるように忠告され、母の後押しもあって、専業漫画家になることを決心。大学は卒業し、医師免許を取得している。

1950年より『ジャングル大帝』の連載を開始。翌年には『鉄腕アトム』の前身となる『アトム大使』を連載するなど多数の雑誌で連載を始める。

1959年に結婚。1961年には、自身のプロダクションに動画部を設立。日本初のテレビアニメーションシリーズ『鉄腕アトム』の制作を開始する。1967年に『ジャングル大帝』がヴェネツィア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞を受賞する。

しかし、次第に古いタイプの漫画家とみなされ人気も低迷。虫プロダクションが倒産し、巨額の借金を背負う。しかし、1973年に連載開始された『ブラック・ジャック』やその後の『三つ目がとおる』がヒットし、本格的復活を遂げることになる。

100歳まで描き続けたいと言っていたが1988年に体調の悪化により入院し、胃癌と判明する。病院のベッドでも仕事を続け、最後まで仕事への執着心を無くさなかった。1989年、60歳の生涯を閉じる。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

手塚治虫の名言・格言集




手塚治虫の名言(1)


名言・格言

 

人を信じよ、

しかし、

その百倍も自らを信じよ。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

人間は何万年も、

あした生きるために

今日を生きてきた。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

人生は一人じゃない。

二人三脚で走らねばならんこともある。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

物語は

ここから始まるのだ。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

好奇心というのは

道草でもあるわけです。

確かに時間の無駄ですが、

必ず自分の糧になる。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

井の中の蛙を決め込んでいるのは、

敗北だと思う。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

最後まで努力をするってのが、

本当の生き甲斐ではないでしょうか。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

数えきれないほど、

悔しい思いをしてきたけれど

その度にお袋の

「我慢しなさい」って言葉を思い浮かべて、

なんとか笑ってきたんです。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

医者は生活の安定を約束していた。

しかし、僕は画が描きたかったのだ。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

一攫千金は偽りの成功。

真の人生の勝負は、

じっくり腰を落ち着かせてかかるべきだ。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

インプットがないのに、

アウトプットは出来ません。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

人の後をついていたら安全というのは、

この世界じゃ通りません。

 

- 手塚治虫 -


名言・格言

 

ぼくたちは、

かけがえのない地球に

「同乗」している、

仲間です。

 

- 手塚治虫 -



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