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1909年、青森県北津軽郡の大地主の六男として生まれる。父は、衆議院議員などを務めた地元名士で多忙であり、母は病弱だったため乳母らによって育てられた。
17歳のときに『最後の太閤』を書き、作家を志望するようになる。1930年、フランス文学に憧れて東京帝国大学文学部仏文学科に入学。しかし、高水準の講義内容が理解できなかったうえ、マルクス主義に傾倒して共産主義活動に没頭したため、講義にはほとんど出席しなかった。また、小説家になるために井伏鱒二に弟子入り。大学は留年を繰り返し、授業料未納で除籍となった。
1935年、『逆行』を発表。この作品は、第一回芥川賞候補となったが落選。選考委員の川端康成から「作者、目下の生活に厭な雲あり」と私生活を評され、「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか」と反撃した。
学生時代から4回の自殺未遂をしたのち、1938年、井伏鱒二の仲人で結婚。甲府市で生活し、精神的にも安定。『富嶽百景』『走れメロス』などの短編を発表する。戦時下も『津軽』『お伽草紙』などの創作活動を行なう。1947年に発表した長編小説『斜陽』が評判を呼び、流行作家となる。
その後、『人間失格』『桜桃』などを書きあげたのち、1948年に玉川上水で愛人と入水自殺、帰らぬ人となった。
Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)
太宰治の名言・格言集
太宰治の名言(1)
名言・格言
人間は、しばしば希望にあざむかれるが、
しかし、また、
「絶望」という観念にも
同様にあざむかれる事がある。
- 太宰治 -
名言・格言
人間のプライドの究極の立脚点は、
あれにも、これにも
死ぬほど苦しんだ事があります、
と言い切れる自覚ではないか。
- 太宰治 -
名言・格言
一日一日を、
たっぷりと生きて行くより他は無い。
明日のことを思い煩うな。
明日は明日みずから思い煩わん。
きょう一日を、
よろこび、努め、
人には優しくして暮したい。
- 太宰治 -
名言・格言
私はなんにも知りません。
しかし、伸びて行く方向に
陽が当たるようです。
- 太宰治 -
名言・格言
私は、ひとの恋愛談を聞く事は、
あまり好きでない。
恋愛談には、
かならず、どこかに
言い繕いがあるからである。
- 太宰治 -
名言・格言
疑いながら、
ためしに右へ曲るのも、
信じて断乎として右へ曲るのも、
その運命は同じ事です。
どっちにしたって
引き返すことは出来ないんだ。
- 太宰治 -
名言・格言
人間三百六十五日、
何の心配も無い日が、
一日、いや半日あったら、
それは仕合せな人間です。
- 太宰治 -
名言・格言
あなたはさっきから、
乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。
ここにあなたの重大なる
誤謬が存在していたわけだ。
なぜ、あなたは頭上を見ないのです。
また、脚下を見ないのです。
- 太宰治 -
名言・格言
恋愛は、チャンスではないと思う。
私はそれを意志だと思う。
- 太宰治 -
名言・格言
君のような秀才にはわかるまいが、
「自分の生きていることが、
人に迷惑をかける。僕は余計者だ」
という意識ほどつらい思いは世の中に無い。
- 太宰治 -
名言・格言
幸福の便りというものは、
待っている時には
決して来ないものだ。
- 太宰治 -
名言・格言
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。
綿で怪我するんです。
幸福に傷つけられる事もあるんです。
- 太宰治 -
名言・格言
怒涛に飛び込む思いで
愛の言葉を叫ぶところに、
愛の実体があるのだ。
- 太宰治 -
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