高杉晋作の名言・格言




高杉晋作の名言・格言


高杉晋作(1839年~1867年)

江戸時代末期の長州藩士。長州藩の尊王攘夷の志士として活躍。奇兵隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。


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長州藩士の長男として生まれる。1857年に吉田松陰の松下村塾に入塾。翌年、藩命で江戸へ遊学。1859年に師の松陰が安政の大獄で処刑される。1860年に帰郷後、結婚。1862年に幕府使節随行員として中国・上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある状況に大きな影響を受ける。

帰国後、長州藩は尊王攘夷派が台頭し、桂小五郎(木戸孝允)や久坂玄瑞たちと共に尊攘運動に参加。1863年、長州藩は関門海峡において外国船砲撃を行うが、米仏の報復により惨敗(下関戦争)。下関の防衛を任せられた高杉晋作は、百姓・町人など身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成した。

京都では薩摩藩と会津藩が結託して長州藩を追放。脱藩して京都へ潜伏した高杉晋作は、脱藩の罪で野山獄に投獄される。長州藩は禁門の変で敗北して朝敵となる。高杉晋作は、再度の長州征討に備えて、防衛態勢の強化を進め、1866年には、坂本龍馬らを仲介として、薩長同盟が結ばれる。

1866年の第二次長州征伐では海軍総督として軍艦に乗り込み、幕府艦隊を夜襲してこれを退ける。第二次長州征伐における幕府の敗北により、幕府の権威は大きく失墜し、翌年の大政奉還への大きな転換点となった。

その後、晋作は、肺結核のため療養生活を余儀なくされ、1867年、大政奉還を見ずして29歳でこの世を去る。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)



 

高杉晋作の名言・格言集




高杉晋作の名言(1)


名言・格言

 

「朝に人としての道を悟ることができれば、

その晩に死んでも悔いはない」

という事こそが人の道である。

人としての努力をすることもなく、

ただ死に向かうのは人の道ではない。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

シャクトリムシのように身を屈するのも、

いずれは龍のように伸びるためだ。

そのためには、

奴隷になっても、

下僕になっても構わない。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

いまの場合、

一里行けば一里の忠を尽くし、

二里行けば二里の義をあらわす。

尊王の臣子たるもの

一日として安閑としている場合ではない。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

少年の頃、読んだ本に

「学問を成すなら

世間から利口と思われる人になるな。

世間から愚者と思われる人になれ。」

とあったので

世間から愚者と思われる人になろうと

僕は願った。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

苦しいという言葉だけは

どんなことがあっても

言わないでおこうじゃないか。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

人間、窮地におちいるのはよい。

意外な方角に活路が見出せるからだ。

しかし、死地におちいれば、

それでおしまいだ。

だから、おれは困ったの一言は吐かない。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

真の楽しみは

苦しみの中にこそある。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

古くから天下のことを行う者は、

大義を本分とし、

決して他人に左右されることなく、

断固として志を貫く。

禍福や死生によって

気持ちが揺れ動いたりするものではない。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

過ちを改めれば、

それは過ちではないのだ。

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

今さらに なにをかいわむ 遅桜

故郷の風に 散るぞうれしき

先生を 慕うてようやく 野山獄

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

おもしろき

こともなき世を

おもしろく

 

- 高杉晋作 -


名言・格言

 

これよりは

長州男児の腕前

お目に懸け申すべく

 

- 高杉晋作 -



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