坂本龍馬の名言・格言




坂本龍馬の名言・格言


坂本龍馬(1836年~1867年)

江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。脱藩後は志士として活動し、倒幕、明治維新に大きな影響を与えた。


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1836年、土佐(現在の高知県高知市)の郷士(下級武士)坂本家に次男として生まれる。龍馬が生まれる前の晩に、母親が龍が天を飛ぶ夢を見たことに因んで龍馬と名づけられる。商家出身の坂本家は下級武士であったが、非常に裕福な家庭であった。

10歳のときに母が死去し、龍馬は父の後妻に養育された。

少年時代の龍馬は気弱な性格であり、いじめにあって抜刀騒ぎを起こし、漢学の塾を退塾させられたという。以後、姉の乙女が武芸や学問を龍馬に教えた。12歳で剣術道場に入門して小栗流を学ぶ。

1853年、18歳のときに剣術修行のため江戸に出て、北辰一刀流の桶町千葉道場の門人となる。同年、ペリー提督率いる米艦隊が浦賀沖に来航。

1854年、江戸修行を終えて土佐へ帰国。翌年に父が他界する。1856年に再び剣術修行のため江戸に出て、武市半平太らとともに築地の土佐藩邸中屋敷に寄宿。1858年に土佐へ帰国する。

1861年、武市半平太が土佐藩を尊王攘夷の方向へ導くため、土佐勤王党を結成。龍馬も加盟する。しかし、勤王党の尊王攘夷の主張は藩内の支持を得ることができず、1862年3月に龍馬は土佐藩から脱藩。この時期に、長州藩の久坂玄瑞、高杉晋作らとも交流。

1862年8月に江戸に出て小千葉道場に寄宿。その後、勝海舟の門人となる。その後は日本の未来のために志士として活動し、1865年には、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成。1866年には、雄藩として大きな影響力をもつ薩摩藩(西郷隆盛ら)と長州藩(木戸孝允)の同盟の斡旋や江戸幕府の終焉となる1867年の大政奉還の成立に尽力し、倒幕および明治維新に影響を与えた。

しかし、大政奉還成立の1ヶ月後に龍馬は近江屋事件で暗殺され、満31歳の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

坂本龍馬の名言・格言集




坂本龍馬の名言(1)


名言・格言

 

日本を今一度

せんたくいたし申候

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

世の人は我を何とも言わば言え

我が成す事は我のみぞ知る

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

義理などは夢にも思ふことなかれ

身をしばらるるものなり

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

事は十中八九まで自らこれを行い

残り一、二を他に譲りて功をなさむべし

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

恥といふことを打ち捨てて

世のことは成るべし

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

何の志も無きところに、

ぐずぐずして日を送るは、

実に大馬鹿者なり

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

時勢に応じて自分を変革しろ

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

われ、はじめて西郷を見る。

その人物、茫漠としてとらえどころなし。

ちょうど大鐘のごとし。

小さく叩けば小さく鳴り。

大きく叩けば大きく鳴る。

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

感涙とどめず、

遥か江戸の地より拝し、

龍馬かならずこの恩に報うべし、

と天地神明に誓ふ。

 

- 坂本龍馬 -

※父が亡くなった時に詠んだとされる句


名言・格言

 

文(ふみ)開く衣の袖は濡れにけり

海より深き君が美心(まごころ)

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

世界の海援隊でもやりますかな

 

- 坂本龍馬 -


名言・格言

 

丸くとも

一かどあれや人心

あまりまろきは

ころびやすきぞ

 

- 坂本龍馬 -



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