ボブ・ディランの名言には、次のような言葉があります。
- 自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている
- 泳ぎ出したほうがいいよ。そうしないと石のように沈んでしまう
グラミー賞やアカデミー賞など数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしているボブ・ディラン(1941~)の名言をご紹介します。
ボブ・ディランの経歴
| 氏名 | ボブ・ディラン |
|---|---|
| 英語名 | Bob Dylan |
| 生年月日 | 1941年5月24日 |
| 国籍 | アメリカ |
| 出生地 | ミネソタ州ダルース |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 名言 | 自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている |
1941年5月24日、アメリカ中西部の北部にあるミネソタ州ダルースに生まれる。出生名はロバート・アレン・ジマーマン。後に本名もボブ・ディランに改名。
ボブ・ディランの祖父母は現在のウクライナやリトアニアからの移民で、両親はアシュケナジム(東欧系ユダヤ人)の一員であった。
ボブ・ディランは幼少時に家にあったピアノを独習。ラジオを聴き、レコード店に入り浸り、ギターやピアノを弾いて育つ。
高校時代はロカビリーの全盛期。ディランもエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組む。
1959年、18歳のボブ・ディランは奨学金を得てミネソタ大学に入学。半年後には授業に出席しなくなり、ミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始める。この時にボブ・ディランと名乗る。
「ボブ」は自身のロバートの愛称ボビーから、「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマス(1914~1953)にちなむ。
1961年、20歳のボブ・ディランは大学を中退。ニューヨークに移動し、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りを始める。
やがてコロムビア・レコードにその才能を見出され、1962年3月にアルバム『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』でレコードデビュー。
1963年5月、セカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』をリリース。7月、ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」がビルボード2位のヒットを記録。
1963年8月28日、キング牧師らによる人種差別撤廃を求めるワシントン大行進でボブ・ディランが演奏。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいてディランは次第に「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになっていった。
1964年1月、アルバム『時代は変る(The Times They Are a-Changin)』リリース。しかし、過激化する運動や世間が抱いている大げさな自分のイメージに違和感を持ち、次第にスタイルを変化させ、次のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』(1964年)では、プロテストソングと呼べる曲はなくなっている。
その後、ビートルズやローリング・ストーンズなどのイギリスのミュージシャンと交流。1965年頃のジョン・レノンはボブ・ディランに傾倒し、作風から精神面、スタイルに至るまでディランに触発された。
一方、ディラン自身もこれらブリティッシュ・インヴェイジョンに刺激を受け、『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』などエレクトリック楽器を取り入れた作品を矢継ぎ早に発表。従来のフォーク・ソング愛好者、とくに反体制志向のプロテストソングを好むファンなどはこの変化を「フォークに対する裏切り」ととらえ、賛否両論を巻き起こした。
1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきたボブ・ディラン。現在も「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍。
ボブ・ディランはグラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たした。
2012年にはアメリカの文民最高位の勲章である大統領自由勲章を受章。
2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を受賞。
2016年、歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
ボブ・ディランの名言・格言集
・ボブ・ディランの名言(1)
・ボブ・ディランの名言(2)
・ボブ・ディランの名言(3)
【関連ページ】
・英語の名言・格言【ボブ・ディラン】
ボブ・ディランの名言(1)
自由なものなど何もない。
鳥さえも空につながれている。
僕は何も定義しない。
美も愛国心も。
僕はそれぞれをありのままで受け止める。
こうあるべきだという既存のルールを無視して。
君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない。
苦しむ側につく者が政治的人間とは限らない。
僕が本当にしたいことは、君と友達になることなんだ。
やらなきゃいけないことをやるんだ。
そうすればうまくいくさ。
風向きを知るのに天気予報官はいらない。
どんなレッテルを貼られてもかまわない。
歌うためなら。
言葉はいろんな意味を持ち、10年後には違う意味になる。
すべての美しいものの陰には、何らかの痛みがある。
ブーイングは素敵だ。
逆に、やさしさが人を殺す場合がある。
世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる。
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ボブ・ディランの本・関連書籍
伝説のシンガー、ボブ・ディランの半生が、今、自らの手によって明かされる。この自叙伝はこれまで謎に包まれていた彼の私生活やその折々の彼の心情が赤裸々に吐露されている。
名曲「フォーエバー・ヤング」の絵本。アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードによる歌える日本語訳。
ディランの歌は深読みを誘う。聴けば聴くほど憶測をよぶ。意味を問えば問うほど意味が逃げていく。謎多き現代の吟遊詩人。数々の名曲で人びとを魅了しながらも、つねに人びとの理解を超えていく。その人生の足跡と作品の軌跡をたどりながら、幻惑するトリックスターの核心に迫る。
ボブ・ディランの名言・言葉の一覧
| No. | ボブ・ディランの名言一覧 |
|---|---|
| 1 | 自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている。 |
| 2 | 僕は何も定義しない。美も愛国心も。僕はそれぞれをありのままで受け止める。こうあるべきだという既存のルールを無視して。 |
| 3 | 君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない。 |
| 4 | 苦しむ側につく者が政治的人間とは限らない。 |
| 5 | 僕が本当にしたいことは、君と友達になることなんだ。 |
| 6 | やらなきゃいけないことをやるんだ。そうすればうまくいくさ。 |
| 7 | 風向きを知るのに天気予報官はいらない。 |
| 8 | どんなレッテルを貼られてもかまわない。歌うためなら。 |
| 9 | 言葉はいろんな意味を持ち、10年後には違う意味になる。 |
| 10 | すべての美しいものの陰には、何らかの痛みがある。 |
| 11 | ブーイングは素敵だ。逆に、やさしさが人を殺す場合がある。 |
| 12 | 世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる。 |
| 13 | ヒーローとは、自分の自由に伴う責任を理解している人のことだ。 |
| 14 | 大学なんて老人ホームみたいなもんだ。ただ、大学で死んでしまう人のほうが多いけどね。 |
| 15 | 朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ。 |
| 16 | マイルス・デイヴィスはブーイングを浴びてきた。ハンク・ウィリアムズもブーイングを浴びた。ストラヴィンスキーもそうだ。君もたまにブーイングを浴びないと何者でもなくなる。 |
| 17 | 私が自信を持って出来ることは、自分自身であること。たとえ自分という存在が、どんな人間であろうとも。 |
| 18 | 日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい。 |
| 19 | 泳ぎ出したほうがいいよ。そうしないと石のように沈んでしまう。 |
| 20 | 恋をしながら賢くなんてなれやしない。 |
| 21 | 時間を止めようと人はいろんなことをする。しかし、そんなことはできない。 |
| 22 | 僕にとって未来とは、既に過去のことなんだ。 |
| 23 | 僕にはヘンな癖があるけど、捨てなかった。それがぼくの個性だから。 |
| 24 | あのころ自分はずいぶん年をとっていた。今はもっと若い。 |
| 25 | 君の立場になれば君が正しい。僕の立場になれば僕が正しい。 |
| 26 | 最低の犯罪者とは、間違ったものを目にし、それが間違っていることに気づいたにもかかわらず、そこから目を背けてしまう人たちだ。 |
| 27 | 僕はよそ者だった。ますます疎外感を感じた。違うのに道づれにしようとするんだ。 |
| 28 | ある時からぼくに対して歪んだ見方をする人が出てきた。 |
| 29 | あなたの心に従ってゆきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく。 |