ゴッホの名言には、次のような言葉があります。
- このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
- 何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家でもあるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)の名言をご紹介します。
ゴッホの生涯
| 氏名 | フィンセント・ファン・ゴッホ |
|---|---|
| 英語名 | Vincent van Gogh |
| 生年月日 | 1853年3月30日 |
| 没年月日 | 1890年7月29日 |
| 享年 | 37(歳) |
| 国籍 | オランダ |
| 出生地 | 北ブラバント州ズンデルト |
| 職業 | 画家 |
| 名言 | 何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。 |
1853年3月30日、オランダ南部の牧師の家庭に長男として生まれる。
ゴッホは幼少のころから絵画への興味が芽生え、多くの絵を描いていた。
1869年、16歳のゴッホは画商の店員となるも23歳のときに解雇される。
その後、聖職者になるために王立大学への進学を目指すが受験科目の多さに挫折。
ゴッホは神学の道を捨てきれず、ベルギー伝道師養成学校の試行期間を経て、ベルギー炭坑地帯で伝道活動を始める。しかし伝道師の仮免許は継続されなかった。
伝道師の道を絶たれたゴッホは画家を目指すようになり、父からの仕送りに頼って模写や炭鉱夫のスケッチをして過ごす。27歳からは弟テオからの生活費の援助が始まる。
1882年、29歳のゴッホはオランダ・ハーグに移り、従兄弟で画家のアントン・モーヴから絵の指導を受ける。同年、絵のモデルの娼婦シーンとその子どもたちと暮らし始めるも翌年に別れて帰省。
1885年、父が発作を起こして急死。同年、最初の本格的作品「ジャガイモを食べる人々」を完成。その後はベルギーへ移り、王立芸術学院で人物画や石膏デッサンのクラスを取る。
その頃、ゴッホはジャポネズリー(日本趣味)に魅了され、多くの浮世絵を買い求めた。金銭的には困窮しており、弟テオの仕送りを画材とモデル代につぎ込み、口にするのはパンとコーヒーとタバコだけだった。
1886年、33歳のときにパリで働く弟テオの部屋に住み込む。1888年に南フランス・アルルに移り、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」などの名作を次々に生み出す。
南フランスに画家の協同組合を築くことを夢見て、ポール・ゴーギャンとの共同生活を始めるも二人の関係は行き詰まり、ゴッホの「耳切り事件」で共同生活は終焉。
以後、ゴッホは発作に苦しみながら病院への入退院を繰り返す。1889年に精神病院に入院。発作の合間にも多くの風景画、人物画を描き続ける。
その後、精神病院を退院してパリ近郊に移り画作を続けたが、1890年7月29日、フィンセント・ファン・ゴッホは自ら銃を撃った傷により37年の生涯を閉じた。
ゴッホの晩年には高く評価する評論が現れていたが、生前に売れた絵はたった一枚。ゴッホの死後、回顧展の開催、書簡集や伝記の出版などを通じて知名度が上がるにつれ作品の市場評価も急騰することになった。
Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
ゴッホの名言・格言集
・ゴッホの名言(1)
・ゴッホの名言(2)
・ゴッホの名言(3)
【関連ページ】
・英語の名言・格言【ゴッホ】
ゴッホの名言(1)
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ。
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ。
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない。
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。
なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。
ただ相手に与えるだけではいけない。
相手からも貰わなくては。
日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい。
私はいつも、まだ自分ができないことをする。
そのやり方を学ぶために。
人の本当の仕事は30歳になってから始まる。
僕の人生はそれほど長くないだろう。
だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。
ここ数年のうちに何がしかの仕事をやりとげてみせる。
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう。
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい。
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ゴッホの本・関連書籍
ゴッホが一発の銃弾で37歳の生涯を閉じたとき世人はその作品をガラクタとしか見ていなかった。この書簡集はこうした世の無理解や悪意と戦って画業に燃焼しつくした天才の類まれな魂の記録である。上巻には親友であった画家ベルナール宛の、中・下巻にはいわば生涯を兄にささげた弟テオドル宛の書簡を収めた。
ゴッホの全油彩画集。
19世紀後半のフランスに起こった絵画運動で、現代日本でも絶大なる人気を誇る「印象派」。“光”を駆使したその斬新な描法によって映し出されたのは、貧富差が広がる近代の「矛盾」という“闇”でもあった。マネ・モネ・ドガからゴッホまで、美術の革命家たちが描いた“ほんとうのもの”とは。
ゴッホの名言・言葉の一覧
| No. | ゴッホの名言一覧 |
|---|---|
| 1 | このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ。 |
| 2 | 偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。 |
| 3 | 一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ。 |
| 4 | 何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。 |
| 5 | 自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない。 |
| 6 | 与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては。 |
| 7 | 日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい。 |
| 8 | 私はいつも、まだ自分ができないことをする。そのやり方を学ぶために。 |
| 9 | 人の本当の仕事は30歳になってから始まる。 |
| 10 | 僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやりとげてみせる。 |
| 11 | 僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう。 |
| 12 | たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。 |
| 13 | 99回倒されても、100回目に立ち上がればよい。 |
| 14 | 人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ。そこに一切の真理がひそんでいる。 |
| 15 | 女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる。 |
| 16 | 夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になることだ。 |
| 17 | 常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ。 |
| 18 | 愛し合う前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある。 |
| 19 | 絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている。 |
| 20 | 私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい。 |
| 21 | 人間が生きる限り、死人も生きているんだ。 |
| 22 | 確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動せよ。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる。 |
| 23 | 虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ! |
| 24 | 色彩は、それ自体が、何かを表現している。 |
| 25 | 直観力と想像力を、抑え込んではならない。 |
| 26 | 美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。 |
| 27 | あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな。 |
| 28 | もし、黄色と橙色がなければ、青色もない。 |
| 29 | 私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う。 |
| 30 | 何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ。線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない。 |
| 31 | 絵を描くのは、人生に耐えるための手段だ。泣かないでくれ。僕がしてきたことは、僕たちにとっていちばんいいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない。 |
| 32 | 愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない。 |
| 33 | 神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ。 |
| 34 | 私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む。 |
| 35 | 考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく。 |