ヴィクトル・ユーゴーの名言・格言




ヴィクトル・ユーゴーの名言・格言


ヴィクトル・ユーゴー(1802年~1885年)

フランス・ロマン主義の詩人、小説家。政治家。代表作は『レ・ミゼラブル』『ノートルダム・ド・パリ』など。

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1802年2月26日、ナポレオン軍の軍人であった父の任地(フランス東部ブザンソン)で生まれる。

父はフランス革命以来の軍人、母は資産家の娘でヴィクトルには2人の兄がいた。

ヴィクトルは12歳のときに寄宿学校に入る。17歳のときにはアカデミー・フランセーズの詩のコンクールで一位を取っている。

19歳のときに母が他界。同年、ヴィクトルは幼馴染のアデールと結婚。翌年には詩集『オードと雑詠集』によって国王から年金をもらえることになり、ロマン派の旗手として活躍を始める。

21歳のときに長男が誕生するもひ弱だったためすぐに他界。翌年には長女が誕生。その後、次男、三男、次女を授かった。

1825年、23歳という若さでレジオンドヌール勲章(ナポレオン・ボナパルトによって制定されたフランスの栄典制度)を受章。

26歳のときに父が他界。

1845年、43歳のときにフランス王ルイ・フィリップ(1773~1850)から子爵の位を授けられる。

貴族になり政治活動にも身を置くようになったユーゴーは死刑廃止、教育改革、社会福祉などを主張した。

1848年の大統領選挙でルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が当選。1851年、ナポレオン3世はクーデターを起こして独裁体制を樹立。反対派への弾圧を開始した。弾圧対象となったユーゴーはベルギーへ亡命。

1862年、60歳のヴィクトル・ユーゴーは『レ・ミゼラブル』を完成させ出版。大反響を巻き起こした。

1870年、普仏戦争でフランスは敗北。プロイセン王国の捕虜となったナポレオン3世は失脚。ユーゴーは帰国を決意し、19年ぶりに祖国の土を踏んだ。

1885年5月22日、ヴィクトル・ユーゴーはパリにて死去。83年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

ヴィクトル・ユーゴーの名言・格言集




ヴィクトル・ユーゴーの名言(1)


名言・格言

 

真の恋の兆候は、

男においては臆病さに、

女は大胆さにある。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

第一歩は何でもない。

困難なのは、

最後の一歩だ。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

不運は人物を作り、

幸運は怪物を作る。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

未来にはいくつかの名前がある。

意志薄弱な者はそれを不可能と呼び、

臆病者は未知と呼ぶ。

しかし勇敢な者はそれを理想と呼ぶ。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

空っぽのポケットほど、

人生を冒険的にするものはない。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

人生は

愛という蜜をもつ

花である。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

人は強さに欠けているのではない。

意志を欠いているのだ。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

人生最大の幸福は、

愛されているという確信である。

自分のために愛されている、

否、もっと正確には、

こんな自分なのに愛されているという確信である。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

女は非常に完成した悪魔である。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

強く辛辣な言葉は、

根拠が弱いことを示している。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

人は軍隊の侵入には抵抗するが、

思想の侵入には抵抗しない。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -


名言・格言

 

大きな悲しみには勇気をもって立ち向かい、

小さな悲しみには忍耐をもって立ち向かえ。

苦労して一日の仕事を終えたら安らかに眠れ。

あとは神が守ってくださる。

 

- ヴィクトル・ユーゴー -



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