猫と語り合うこと – 連載コラム「猫の名言」




猫の名言
photo: Krzysztof Belczyński

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 35 「猫と語り合うこと」

 
伝えるのではなく、語り合い、話し合うのです。伝達するということは、常に何かを押し付けることです。しかし会話の中では、押し付けられるものは何もない。

John Cage (ジョン・ケージ 米国の音楽家、作曲家、詩人、思想家 / 1912~1992)
 

 先のVol.31でもご紹介致しました、西洋クラッシックの現代音楽の巨匠で、愛猫家で知られるジョン・ケージ氏の再登場です。
 Vol.31のケージ氏の言葉は、人間の場合、異なる感情や物事に対する異なる価値観や判断があるからこそ「対話」が成り立つと説き、その一方で、お互いがもし何も所有しなくなった時、そこには「詩」が在る、と語っていました。

 クラッシック音楽の既成の観念をことごとく破壊してみせながら、おそらくそれから数10年経った今日でさえ、私たちがまた完全には理解出来ずその価値観に到達出来ていないような斬新な芸術を提唱したジョンケージ。流石にその文言は、彼ならではの謎めいた雰囲気と、深い示唆に富むものであると感嘆させられます。

 しかし本日のお言葉は、比較的分かり易いと言いましょうか、ケージ氏にしては素直に言ってくれている、と思わされます。
 表題の文言は、ほぼ額面通りに受け止めて何の問題も無いように思います。

 そもそも、本日の表題のテーマに於いて、回りくどかったり裏の意味があるのでは、全くテーマにそぐわないと言えます。
 その意味では流石のジョン・ケージ。あの時代に有りがちな奇異な問い掛けをし、答えを薮の中に紛らわしてしまうことが芸術のような人とは異なり、ストレートに伝えるべき時は実に素直に言ってくれるのです。

 とは言っても、あまりにそのまま額面通りに捕らえるだけでは、私たちの日々の生活の中に応用することが出来ません。よって、文言の中のより本質的な「何か」を見出さないことには、聞き流してしまったことと同じになってしまうとも言えます。

 そう思って読み返してみると。50年近く音楽を生業にして来た私にとって、表題の文言は、けっこう「耳に痛い」ものがあります。しかもそれを大音楽家に言われてしまうと、尚更です。

 
 私たち音楽家は「音楽には、何らかのメッセージ性を持たせるべきだ」と勘違いする時期が必ずあります。勿論生涯その勘違いを貫く人も少なくないですし、リスナーさんでもそう思い込んだままの人も多いかも知れません。また、そういう音楽を「メッセージ・ソング」とか「メッセージ音楽」として一種のジャンルであると理解することは可能でしょう。しかし、その場合、「それ以外の音楽の存在」も同時に分かって下さる必要があることは言うまでもありません。

 何故ならば、喩えば「絵」と言えば「塗り絵」しか知らない人が居たとして、その人に「白い紙と絵の具」を渡したとしても何の意味も生じないことと同じで、「メッセージでは無い音楽」に対し「つまらない」「意味が分からない」となってしまうだろうからです。

 
 音楽家には、そのような段階があると共に、「作曲された音楽」を如何にその時々見事に生き返らせるか?に心や命を注いでいるタイプもあれば、「その時々の統べてのこと」を即興音楽としてその場で創造することを主にしているタイプも居ます
 私の専門の民族音楽の場合、この二つのタイプが入り交じっていることが基本です。つまり基の音楽そのものが即興を加える要素がとても多いのです。なので、仮に楽譜があったとしても「フォルテだピアノだ」「段々に早く」などの指定は全くありません。

 
 それでも私は長年即興演奏は、自分の感性の中から迸ってくるものと勘違いしていました。そうではなく、その場に漂う全てのことから自然に導き出され、音楽家はそれを聴く人の耳と心に届ける「案内人」のようなものである、と気づいたのは、恥ずかしながら最近のことです。
 
 そう気づくことが出来たのも、やはり猫の御陰です。

 とは言っても、猫にもタイプと段階があります。段階は、幼猫から若猫(7~8歳)までの間は、物事に対して直感的に反応することが主で、私たち人間との会話も、それらから生じた欲求をひたすら訴えるばかりという感じです。そして「何で分かってくれないの! もういい!ふん!」みたいな時の方が多いという段階です。
 それが8歳を過ぎて大人に成ると、人間に換算すると既に中年の域ですが、人間の言葉をしみじみ聞けるようになってきます。そんな時、「兄弟や両親を大事にして良い子だったね」とか、「子どもたちを一生懸命に育てたね」などの昔の偉かった話しをすると、じっと聞き入って目を細めたりします。

 猫は、わりと同じ話しを何度でも聞きたがるような気がします。人間ですと「またその話し?」と嫌がりますが、猫の場合、単に膝の上に居たいだけでなく、話しを聞きたいと思った時には、膝の上で顔を持ち上げて「ねえ!ねえ!あのお話して!」と強請ります。
 勿論科学的に言うならば、話しの中身というよりは、人間が優しい気持ちで語る事が「心が撫でられたような」気がするのでしょうけれど。

 でも、ある時同じような優しい口調で、目の前のパソコン画面の政治のニュースのようなものを心を込めて読んで聞かせましたところ。「ふん!つまんない」と直ぐ膝を降りて何処かに行ってしまいましたから、話しの中身も大切なのかも知れません。

 勿論「聞き上手の猫」も居れば「話し上手の猫」も居て、若い頃から話しを聞くことの方が好きな猫も居ます。でも、そんな子が言葉少なく何かを言う時、それを理解するのはとても大変で、「うぎゅっ」の一言だったりしますから、猫との会話は、禅問答より難しいとさえ思えます。

 もしかしたら猫との会話は、その場その時のキャッチボールではなくて、十年掛かりの壮大なものなのかも知れません。だとしたら、猫が小さい時、「なんだよ!訳が分からない!うるさいなぁ!ご飯は食べたでしょ!」ではなく、それをたっぷり聞いてあげて、数年後大人になった時に、ゆっくり返答してあげるのが一番なのかも知れません。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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著者紹介(若林忠宏氏)

「福岡猫の会」




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