連載コラム「猫の名言」
日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら)
Vol. 25 「目から鱗の猫の名言」
愛するとは互いに見つめ合うことじゃない、ふたりで同じ方向を見ることだ。
(元野良猫、茶羅の言葉)
Vol.13「孤独を愛する寂しがり屋」のアメリカの著名な芸術家アンディーウォーホールの回で、少しお話致しました我が家の元野良猫「茶羅」のこの名言は、彼がはっきり言葉で述べたものではなく。在る時、じっと私の眼を見つめて、しみじみと眼と心で語ってくれた名言です。
それは前述の機会にもお話しました、彼と共に保護した彼の妹かお嫁さんが「プチ家出」をした時のことです。
毎日、日中のみならず、夜明けも深夜も、彼と交替にベランダで彼女が現れるのを待ち、現れれば「帰っておいで!」と呼びかける一週間ほどの日々の後半に、彼がとつとつと語ってくれた想いなのです。
保護する前は、彼に餌付けをしていたご近所さんが「この子は絶対に触らせないから保護なんて無理!」と言っていたのに、今では、毎日の薬(幼少の野良時代の不摂生のツケが出て来ました)も頑張って口を開けて飲んでくれています。
そんな「真摯に孤高の野良を生きた」彼が、「ああ、この人間も、僕と同じに彼女を心底心配しているんだ」と思った時。
毎日、朝から晩迄、同じベランダから同じ方向をくまなく見つめている時に、彼は表題の言葉の想いをしみじみと痛感し、分かってくれたのでしょう。
世界の歴史に残る著名人の名言を集めたサイトは幾つかあれど、この「癒しツアー」さんほど、多岐多様を整理整頓し、しかも掘り下げて紹介しているものは少ないと思います。私も日々、読者として愛読し、学び気づかせて頂き感謝しております。
そうして、つくづく思いますのは、「人間の素晴らしさと愚かさ」は、常に「表裏一体」であり、時には「諸刃の剣」であるということです。
その点を単純に比較すれば、それらから解放された猫は、「羨ましいほどに立派だ」と思える反面。
だからこそ、私たちはその「表裏」をしっかりとわきまえて、猫に出来ない「思考と探求、つきつめること」で、人間ならではの理知的な答えを見出し、その時々の問題に向かい合って、より良き方策や解釈をすべきではないだろうか。
それがひいては、人間が猫たちや様々な生き物や自然を守ることに繋がるのでは? と考えるわけです。
「人間の素晴らしさと愚かさ」「表裏一体」「諸刃の剣」に共通して言えることは、「相反するものの対峙」でありましょう。
私たち人間は、日々、それら「相反するもの」の選択に迫られ、苦悶し、葛藤して生きている。
それに対し猫は、何処か「悟り切った」ように「どっちでも良いじゃん」と冷静であるので、つい「羨ましい」が「恨めしい」に至ってしまうわけです。
そのような意味で、私たち人間が、「他者の言葉」を聴く時にも、「相反するふたつの心理」が働いていることに気づきます。
その一方は、「その時直ぐに『正におっしゃる通り!』と賛同出来る言葉」と、もう一方は、「その時には首を傾げる言葉」。もしくは、「後から分かる言葉」。または、「眼の鱗が落ちる様に」その時迄の理解と解釈を覆す様な言葉であろうと思います。
このように、人間は、常に、「相反する二つ」のものごとや心理の中で、何らかの必然性を持ってバランスを取って生きているのではないでしょうか。
言い換えれば、長い期間どちうらか一方に偏って居ることは、決して良いことではない、ということです。
かつて、若気の至りと言いますか、血気盛んな頃、音楽の神髄や奥義を探求することに使命感を抱いていた頃のことです。
「インド独立の父」と称されるマハトマ・カンディー氏の言葉に、打ちのめされるような衝撃的な感銘を覚えました。
それは、「眼の鱗が落ちる」などという程度ではありませんでした。
それを要約すると、
「貴方がそれをやるべきなのは、それによって世の中を変える為ではない」
「貴方が世の中によって変えられることを防ぐ為だ」というような言葉です。
猫の中にも、「自分のことで精一杯」の子が居ます。
そんな子は、「押しても駄目なら引いてみな」が理解出来ません。
ところが、気持ちに余裕が在る子は、扉を引くことを自然に思いつくのです。
「発想の転換」というようなことですが。時には、その時迄信じて、拠り所にしていた想いを否定し、全く逆の考え方に変革することも求められ。それには少なからずの勇気と決意が求められるのです。
逆に、私自身も含め、私たちは日々、「おっしゃる通り!」と、その時に思い考えている考え方を肯定してくれる言葉に、喜びを感じがちです。
例えば、これも「若気の至り」の話ですが、まだ恋愛に没頭していた頃は、表題の文言とは逆に、「見つめ合うことが愛すること」と思っていたものです。相手の良い所のみならず、欠点も弱さも総て受け止めて……..。のように。
その一方で「聞いた言葉」には、「ピンと来ない」ものや、「そりゃ違うだろ!」と即座に思うものもあります。
例えば、「人」と言う文字について、多くの人が「素敵な解釈だ」とおっしゃるのに「人と言う文字は、互いに支え合っている姿を著わしている」というものがあります。
しかし私は、その解釈を聞いて直ぐ、「ちっとも『互い』には見えない」と思いました。むしろ「左の棒が右の棒に寄りかかっている」。
もちろん、私たちは互いに支え合い、助け合い。時には励まし合い、競い合って生きて居ます。しかしそれは、それぞれに「前に進む(成長する、向上する)」という指向性があってのことではないでしょうか。
なので、私はくだんの言葉を聞いた後「人という文字は、独りで前に進んでいる(歩んでいる)様子」を表していると言うようになりました。
そんなことに気づいた頃に、「互いに見つめ合う」という愛し方にも疑問を抱く様になったのです。
愛情を自覚し、語り合ったところで「さて、共に何処に向かって歩んで行くのだろう?」とふと考えてしまったのです。
勿論、今でも猫たちとの「愛情の確認」は、「じっと見つめ合う」が基本です。それは猫が「分かっては居ても、人間の眼・まなざしで心を確かめる」からです。
しかしそれも、その時々の私たちの気分や心の様子を確認するに過ぎず、基本的な「心の通い合い」は、やはり表題の言葉のように「同じ方向」を目指し、「同じもの」を慈しみ、心配し、感動する、ということだと思います。
猫たちの多くが「最も嬉しそうな時」は、美味しいご飯を充分に食べられた時、ではない様子です。
「常同性」。常に同じパターンを好む性質の強い猫は、ご飯があれこれ替わることの方が苦痛のようで、直ぐにお腹を壊します。
そんな猫たちが、一番嬉しそうな時は、私がホンの90分ほど、猫たちと仮眠をする時です。わざわざ棚の上や隣の部屋からやって来ては、私の足下に潜り込んだり、腕枕を要求して来ます。
その一時の他は、何時も忙しそうに何かをしている人間が、一緒にまどろんでくれることに、とても安心出来て嬉しい様子なのです。
実は、表題の名言は、我が家の元野良:茶羅から聞いた後、世界的に知られる著名人の言葉であることを知り驚きました。
名言の主は、「星の王子様」の作者、サン=テグジュペリ (1900~1944)です。
彼が「愛猫家」である、という話は語られてはいませんが。その他の言葉も含め、「おそらくそうであろう」と思わされることが多くあります。
もしそうだとしたら、「大空を駆け巡り」ながらも、その心の置き所は、猫たちの「お気に入りの場所」のようにしっかりと決まっている。同じ飛行機乗りで愛猫家、リンドバーグに通じる感覚を多く読み取ることが出来ます。
最後までお読みくださってありがとうございます。
民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏
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