ヘルマン・ヘッセの名言・格言




ヘルマン・ヘッセの名言・格言


ヘルマン・ヘッセ(1877年~1962年)

ドイツ生まれの小説家、詩人。ノーベル文学賞を受賞。代表作は『車輪の下』『デミアン』『荒野のおおかみ』など。

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1877年7月2日、ドイツ南部のヴュルテンベルク王国のカルフに生まれる。

父はスイスの宣教師であり、ヘルマンは4人兄弟の2人目の子どもであった。

ヘルマンは14歳のときに難関とされる試験に合格し、マウルブロン神学校に入学。

しかし、半年で学校から脱走。ヘルマンは悪魔払いを受けるが効果はなく、自殺未遂を図ったため神経科病院に入院した。

退院後ヘルマンは中等教育機関のギムナジウムに入学するも退学。本屋の見習い店員となるが3日で脱走した。これらの経験は『車輪の下』の原体験になったといわれる。

その後、ヘッセはさまざまな職に就きながら作品を発表。

1904年、ヘッセは27歳のときに結婚。3人の子どもをもうける。

1912年にスイスのベルンに移る。第一次世界大戦中(1914~1918)にはドイツの捕虜救援機関やベルンにあるドイツ人捕虜救援局で働く。

1919年、42歳のヘッセは『デミアン』を執筆。この頃、ヘッセは第一次世界大戦の影響などで精神的危機を経験。ヘッセの深い精神世界を描いた作品が『デミアン』であった。

それ以降の作品には、現代文明への強烈な批判と洞察、精神的な問題点などが描かれ、ヘッセはドイツ文学を代表する作家となった。

1924年、47歳のヘッセはスイスに帰化。

ドイツにナチス政権が誕生すると平和主義を唱えていたヘッセの作品はドイツ国内で紙の割り当てを禁止される。

1946年、69歳のヘッセはノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞。

1962年8月9日、ヘッセは43年間を過ごしたスイス・モンタニョーラの自宅で死去。85年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

ヘルマン・ヘッセの名言・格言集




ヘルマン・ヘッセの名言(1)


名言・格言

 

人生の義務はただひとつしかない。

それは幸福になることだ。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

真剣に考えるべきことを学んだら、

残りは笑い飛ばせばいい。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

君自身であれ!

そうすれば世界は豊かで美しい!

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

恋とは私たちを

幸せにするためにあるのではありません。

恋は私達が苦悩と忍従の中で、

どれほど強くありえるか、

ということを自分に示すためにあるものです。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

ものごとは口に出した瞬間、

少し違ったものになる。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

人生が生きるに値するということこそ、

すべての芸術の究極の内容であり、

慰めである。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

学問とは相違を発見することに

没頭することにほかならない。

学問とは識別の術である。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

詩は音楽にならなかった言葉であり、

音楽は言葉にならなかった詩である。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

自ら考えたり責任を取れない人間は、

指導者を必要とし、

それを強く要求するものだ。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

はかなさがなければ、

美しいものはない。

美と死、歓喜と無常とは、

互いに求め合い、

制約し合っている。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

地上には多くの道がある。

けれど、最後の一歩は

自分一人で歩かねばならない。

 

- ヘルマン・ヘッセ -


名言・格言

 

しがみつくことで

強くなれると考える者もいる。

しかし時には

手放すことで強くなれるのだ。

 

- ヘルマン・ヘッセ -



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