ブルース・リーの名言・格言




ブルース・リーの名言・格言


ブルース・リー(1940年~1973年)

サンフランシスコ出身の中国武術家、俳優、脚本家、映画プロデューサー。代表作は『ドラゴン危機一発』、『燃えよドラゴン』。32歳の若さでこの世を去った。

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香港の俳優であった父が家族を連れてアメリカを長期巡業中の1940年11月27日、サンフランシスコの病院でブルース・リーは生まれた。

第二次世界大戦終了後、ブルース・リーは香港にて子役として多くの映画に出演。また、13歳ときから5年間、香港の武術家のもとで修業した。

18歳のとき、父から渡米を命じられたブルース・リーは、わずか100ドルの所持金で単身シアトルに移住。

ブルース・リーは新聞配達のアルバイトをしながら高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。

勉学に励むかたわら、道場を開いて中国武術の指導を始めたブルース・リーは、医学生で道場の生徒でもあったリンダ・エメリーと結婚。

その後、ブルース・リーは大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(ジークンドー)を創始する。

25歳のブルース・リーが詠春拳の演武をしたフィルムがTVプロデューサーの目に止まると、TVシリーズの準主役に抜擢される。日系アメリカ人のカトー役を演じたブルース・リーは派手なアクションで人気を博した。

TVシリーズの後、米国の連続テレビドラマ『燃えよ!カンフー』を企画し、自ら主演を願ったが、東洋人であることなどを理由に叶わなかった。

1971年、30歳のときにブルース・リーの主演作である香港映画『ドラゴン危機一発』が公開され、一躍、香港のトップスターに躍り出る。

1973年1月から、アメリカと香港の合作映画『燃えよドラゴン』の撮影が始まる。

1973年7月20日、頭痛を訴えたブルース・リーは、鎮痛剤を飲んでベッドに横になったがそのまま昏睡状態に陥る。病院へ搬送されたが死去。香港にて32歳の生涯を終えた。

その後、『燃えよドラゴン』が世界各地で公開され、大ヒット。アクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、すでに彼は亡くなっていた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

ブルース・リーの名言・格言集




ブルース・リーの名言(1)


名言・格言

 

原理原則に縛られることなく、

それに従うのだ。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

失敗は、

それを認める勇気さえあれば、

いつでも許されるものだ。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

成功する戦士は、

レーザーのような集中力を身につけた、

ごく普通の人間である。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

覚えてろよ、

俺は世界一の中国人スターになる。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

境遇なんてクソくらえだ。

俺は自らチャンスを創りだす。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

わたしは一万種の蹴りを

一度だけ練習した男は怖くないが、

一つの蹴りを

一万回練習した男は恐ろしい。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

考えるな、

感じろ。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

何かを得るには、

心の中でそれを思うことから始まる。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

考えているばかりでは、

決して成し遂げることはできない。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

俺はお前の期待に応えるために

この世にいるわけではない。

そしてお前も俺の期待に応えるために

生きているのではない。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

簡単な人生を願うな。

困難な人生を耐え抜く強さを願え。

 

- ブルース・リー -


名言・格言

 

日々何かを増やすのではなく、

日々何かを減らすのだ。

重要でないものを切り落とせ。

 

- ブルース・リー -



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