諸葛孔明の名言・格言




諸葛孔明の名言・格言


諸葛孔明(諸葛亮)(181年~234年)

中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家、軍師。

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181年、徐州(現在の山東省)に生まれる。

幼い時に両親が死去。その後、叔父に連れられ南方へ移住。

諸葛亮は荊州(現在の湖北省)で弟と共に晴耕雨読の生活に入る。この時期に地元の名士の娘と結婚。

200年、諸葛亮が19歳のときに、華北では曹操(155~220)が覇権を手中にして南進の機会を窺っていた。劉備(161~223)は劉表を頼り、荊州北部に居城を貰っていた。

友人が諸葛亮のことを劉備に話すと、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、彼を幕下に迎える「三顧の礼」。

208年、曹操が南下を開始。劉備は曹操の軍に追いつかれながらも、手勢を連れて夏口へ逃れる(長坂の戦い)。

その後、諸葛亮は孫権(182~252)に曹操との交戦と劉備との同盟を説き、これに成功。劉備・孫権の連合軍は曹操軍と長江流域で対決し、勝利(赤壁の戦い)。

劉備は孫権・曹操の隙を衝いて荊州南部の4郡を占領。諸葛亮は軍師中郎将に任命される。

211年、劉備は益州を攻撃。諸葛亮は張飛・趙雲・劉封らとともに長江を遡上し、郡県を平定すると劉備と共に成都を包囲(劉備の入蜀)。

220年、曹操が死去して長子の曹丕が魏王朝を建てる。翌年、劉備は蜀漢を建て、諸葛亮は丞相・録尚書事となる。

223年、諸葛亮が42歳のときに、劉備は病気により死去。劉備の子、劉禅が帝位に即くと、諸葛亮は政治の全権を担う。

諸葛亮は孫権との友好関係を整え、孫権は魏との関係を絶ち、蜀と同盟。

228年、諸葛亮は魏へ侵攻。蜀軍は隴西を攻略できず、全軍撤退を余儀なくされた(街亭の戦い)。

その後も諸葛亮は北伐と撤退を繰り返したが、234年の第5次北伐中に病に倒れ、54年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

諸葛孔明の名言・格言集




諸葛孔明の名言(1)


名言・格言

 

天下は一人の天下にあらず、

すなわち天下の人の天下である。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

時の流れがわからなければ、

寛大であろうと、

厳しくしようと、

政治はすべて失敗する。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

人生とは、

困難との戦いの連続である。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

勢力や権力を目的とした交際は、

長続きさせることが困難である。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

治世は大徳を以ってし、

小恵を以ってせず。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

無欲でなければ志は立たず、

穏やかでなければ道は遠い。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

優れた人は静かに身を修め、

徳を養なう。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

立派な人間の友情は、

温かいからといって花を増やすこともなければ、

寒いからといって葉を落とすこともない。

どんな時でも衰えず、

順境と逆境を経験して、

友情はいよいよ堅固なものになっていく。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

自分の心は秤のようなものである。

人の都合で上下したりはしない。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

内部の守りを固めずに、

外部を攻めるのは愚策である。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

人の心をつかめる人は、

敵を消滅できる。

古来、兵は戦を好まない。

 

- 諸葛孔明 -


名言・格言

 

学ぶことで才能は開花する。

志がなければ、

学問の完成はない。

 

- 諸葛孔明 -



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