伊藤博文の名言・格言




伊藤博文の名言・格言


伊藤博文(1841年~1909年)

長州藩の武士、政治家、初代内閣総理大臣。

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1841年10月16日(天保12年9月2日)、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現在の山口県光市)の百姓・林十蔵の長男として生まれる。幼名は利助。

1849年、博文が8歳のときに一家は萩に移住。家が貧しかったため、父が武家奉公人の養子となる。その後、その武家奉公人が長州藩の足軽・伊藤弥右衛門の養子となり、父も博文も足軽となった。

1857年、16歳の博文は吉田松陰(1830~1859)の松下村塾に入門。

翌年、博文は松陰の推薦で長州藩の京都派遣に随行。1859年は長崎で勉学に努め、同年10月からは桂小五郎(木戸孝允)の従者となり長州藩の江戸屋敷に移り住む。

1959年、吉田松陰が安政の大獄で斬首される。この後、博文は桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作、井上馨らと尊王攘夷運動に加わる一方で海外渡航も考えるようになる。

1863年5月、21歳の博文は井上馨らと共に長州五傑の一人としてイギリスに渡航。

ロンドンで英語を学ぶと共に博物館・美術館に通い、海軍施設、工場などを見学。圧倒的な国力の差を目の当たりにして博文は開国論に転じる。

1864年3月、米英仏蘭4国連合艦隊による長州藩攻撃が近いことを知った博文は、井上馨と共に急ぎ帰国。長州藩へ戻り戦争回避に奔走したが、8月に4国連合艦隊の砲撃により下関戦争が勃発、長州の砲台は徹底的に破壊される。

明治維新後は長州閥の有力者として、参与、外国事務局判事、大蔵兼民部少輔など明治政府の様々な要職を歴任。

1871年、30歳の博文は岩倉使節団の副使として渡米。1873年に帰国して関わった征韓論では「内治優先」路線を掲げた大久保利通(1830~1878)らを支持。

1877年、西南戦争で西郷隆盛が敗死、翌年には大久保も暗殺される。博文は内務卿を継承し、維新の三傑なき後の明治政府指導者の一人として辣腕を振るう。

1885年12月、内閣制度移行に際し、44歳の伊藤博文は初代内閣総理大臣となる。以後、伊藤は4度にわたって内閣総理大臣を務めることになる。

1894年、博文が2度目の首相を務めていたときに日清戦争が起こり、勝利。下関条約により清国から朝鮮を独立させる。

その後、ドイツ・フランス・ロシアの三国干渉を引き起こし、第二次伊藤内閣は遼東半島の放棄を決め、博文は首相を辞任。

1904年の日露戦争に日本が勝利。1905年、第二次日韓協約により韓国統監府が設置されると伊藤博文が初代統監に就任。日本は実質的な朝鮮の統治権を掌握した。

博文は国際協調重視派であり、韓国併合については保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取っていた。

1909年10月26日、伊藤博文はロシア蔵相と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うために訪れたハルビン駅で大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺され、68年の生涯を閉じた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

伊藤博文の名言・格言集




伊藤博文の名言(1)


名言・格言

 

大いに屈する人を恐れよ、

いかに剛にみゆるとも、

言動に余裕と味のない人は

大事をなすにたらぬ。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

本当の愛国心とか勇気とかいうものは、

肩をそびやかしたり、

目を怒らしたりするようなものではない。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

国の安危存亡に関係する外交を

軽々しく論じ去つて、

何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、

多くは実験のない人の空論である。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

いやしくも天下に一事一物を

成し遂げようとすれば、

命懸けのことは始終ある。

依頼心を起こしてはならぬ。

自力でやれ。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

今日の学問はすべて皆、

実学である。

昔の学問は十中八九までは

虚学である。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

お前に何でも俺の志を継げよと無理は言はぬ。

持って生まれた天分ならば、

たとえお前が乞食になったとて、

俺は決して悲しまぬ。

金持ちになったとて、

喜びもせぬ。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

たとえここ(英国)で学問をして

業が成っても、

自分の生国が亡びては何の為になるか。

 

- 伊藤博文 -


名言・格言

 

われわれに歴史は無い。

我々の歴史は、

今ここからはじまる。

 

- 伊藤博文 -



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