豊臣秀吉の名言・格言




豊臣秀吉の名言・格言


豊臣秀吉(1537年~1598年)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、武家関白、太閤。織田信長に仕官して頭角を現し、信長の死後に天下統一を果たした。


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1537年、尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)に足軽の子として生まれる。

1554年頃、織田信長に小者として仕える。清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて成果を挙げる。

1568年、近江箕作城攻略戦で活躍。1573年には長浜城の城主となる。

1577年、秀吉は毛利氏の勢力下にある中国地方攻略を命ぜられ出陣。

1582年、織田信長が明智光秀の謀反により本能寺で自害。秀吉は明智光秀の軍勢を征伐。織田家の実力者たちとの戦いに勝利し、家臣第一の地位を確立。

勢力を伸張した秀吉と徳川家康の対立が深まり、1584年の小牧・長久手の戦いで秀吉は家康と対峙。家康は軍略的には勝利したものの政略的には後れをとり、秀吉に臣従する。

1587年の九州平定、1590年の小田原征伐と奥羽仕置の完了をもって、秀吉は天下統一を達成。

1592年、明の征服と朝鮮の服属を目指して16万の軍勢を朝鮮に出兵。やがて戦況は膠着状態となり、明との間に講和交渉を開始。

1598年、秀吉は後継者の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没。61年の生涯を閉じた。

1600年、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握。大坂の陣(1614~1615)で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

豊臣秀吉の名言・格言集




豊臣秀吉の名言(1)


名言・格言

 

戦わずして勝ちを得るのは、

良将の成すところである。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

戦は六、七分の勝ちを十分とする。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

主従や友達の間が不和になるのは、

わがままが原因だ。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

主人は無理をいうなるものと知れ。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

一歩一歩、

着実に積み重ねていけば、

予想以上の結果が得られる。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

この黄金の輝きも 

茶の一服に勝るものかな

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

家康は愚か者だ。

が、油断のならない愚か者だ。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

側に置いておそろしい奴は、

遠くに飛ばす。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

負けると思えば負ける、

勝つと思えば勝つ。

逆になろうと、

人には勝つと言い聞かすべし。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

いつも前に出ることがよい。

そして戦のときでも先駆けるのだ。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、

これも又皆がいやがるところでの

我慢があったればこそ。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

世が安らかになるのであれば、

わしはいくらでも金を使う。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

いくら謙信や信玄が名将でも、

俺には敵わない。

彼らは早く死んでよかったのだ。

生きていれば、

必ず俺の部下になっていただろう。

 

- 豊臣秀吉 -


名言・格言

 

信長公は勇将であるが良将ではない。

剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、

柔が剛を制することをご存じなかった。

ひとたび敵対した者に対しては、

怒りがいつまでも解けず、

ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。

だから降伏する者をも誅殺した。

これは人物器量が狭いためである。

人には敬遠され、

衆から愛されることはない。

 

- 豊臣秀吉 -



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