連載コラム「猫の名言」
日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら)
Vol. 32 「犬は人に着き、猫は家に着く」
家族同様に暮らして行くうちに、猫は次第に家庭の中心的存在になってくる。この愛らしくも不思議な動物は、生き生きとした静けさを醸し出し、王の様な気品を漂わせながら悠然と我々の間を歩き回り、自分にとっておもしろそうなもの、楽しそうなものを見つけた時のみ足を止める。
Jean Cocteau (ジャン・コクトー フランスの芸術家 / 1889~1963)
ジャン・コクトーは、19世紀初頭のフランス文化人を代表する一人で、その肩書きは、詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家という驚くべき多才ぶりです。
19世紀中葉から第二次世界大戦最中まで、セーヌ右岸の丘モンマルトルから、セーヌ左岸、そしてソルボンヌ大学周辺と拠点を替えながらも続いていた芸術家たちの元祖異業種交流の夕べで、ジャン・コクトーは、モンマルトル時代の花形的存在でもありました。
モンマルトルでは、コクトーの他に、ゴッホ、ロートレック、ピカソなどが夜な夜なグラスを傾けながら芸術談義を戦わせ、「はっ!」と閃いてはアトリエに飛んで帰り創作する。かと思えば、芸術談義が盛り上がり過ぎたり、閃きでその場で何かをしでかした。そんな「夜の閃き(Night Science)」の姿を人々は、「アンコエラン(支離滅裂な人々)」と称したと言います。
モンマルトルのアジトは、二三の「カフェ・コンセール(音楽喫茶)」だったと言われますが、いわゆる「キャバレー」のようであったらしく、そのひとつ、愛猫家でもある画家:スタンランの描いたポスターで有名な「シャノアール(その名も黒猫)」では、ドビュッシーやラベルとも親交のあった奇才ピアニスト(作曲家):エリック・サティがピアノを弾いていた時期もあったと言います。
コクトーは、サティー、スタンランとも親交が深く、彼らを通じてシュールレアリズム、ダダイズムの詩人、芸術家とも面識があったらしいですが、コクトー自身はそれらと共に括られることを嫌ったり、批判・対立さえしていたとも言われます。
「良き時代であった」と言ってしまえばそれまでですが、その多才ぶりから派手な交遊ぶりを聞かされると、コクトーは、正に自由奔放、自身の才能と時代に溺れるように暴れ回ったイメージが浮かんで来ます。そのイメージは、愛猫家の芸術家に多く感じられる、言わば「引き蘢り」的で孤独で苦しい創作活動とは、いささかかけ離れた感じさえ抱かされます。
ところが私は、コクトーの表題の言葉に意外な一面を垣間みました。
表題の言葉は、名言の類いとしては何だか長ったらしく。しかも何度読んでも「当たり前?」な感じがして深みも味もない、単なる「猫馬鹿?」な言葉のようにも思えます。が、決め手は冒頭の「家族同様」と後半の「我々の間」なのです。
コクトーの浮き名に関しては、数多の謎多き妖女、伯爵夫人、はたまた俳優(男性)まで枚挙に暇がありません。人生の最期に至っては、まるで後を追うように、大ファンで親友でもあった歌手エディット・ピアフの死の直後に心臓マヒで逝ってしまった程です。そんなコクトーが「家族・我々」と言ったとしても「一体何時の誰とのことなのか? 」というほど果てしない話しです。
しかし、人間とは切なくも矛盾多き生き物です。それが「当たり前のこと」だったら、わざわざ語らないに違いないのです。
派手な交遊・芸術家との閃きの日々から考えれば、コクトーは決して猫のような「単独性」ではなかったようにさえ思えます。しかし、心はむしろ何時でも孤独だったのではないでしょうか。
そんなコクトーの内面を感じさせてくれる言葉がありました。
自分の家が大好きだからネコが好きだ。
しばらくしたらその二つは見える魂になる。
もちろん、コクトーの表題の言葉の「家族・我々」は、人間の愛する誰かとの温かくも安らぐ一時を言っているに違いありません。が、それらはいずれも長くは続かなかった。それはコクトーが、自分自身でさえ持て余すかのように止めども無く沸き上がる創作意欲と同じに、ただただ無性に人間に対して生じる非凡な感情のせいに違いありません。もちろん、そんなコクトーと心を通わすお相手も、同様の烈しい性格の持ち主だったのでしょう。
如何に反動的に強く願い求めても、普通の平凡な日々は送れない性質なのです。
それどころか、コクトーは、まるで猫のように時を愛し、心を愛し、魂を愛し、取り憑かれたような創作と、その使命感に身を捧げた人物だったのではないでしょうか。
しかしコクトーは、猫のような「生き生きとした静けさ」、「静かな躍動」は、実践出来なかった。その言葉には、強い憧れの気持ちが感じられます。その意味では彼もまた、時代の犠牲者であり、才能の犠牲者だったのかも知れません。
しみじみと語ったふたつめの言葉には、そんな彼のもうひとつの姿と想いが感じられるような気がします。
最後までお読みくださってありがとうございます。
民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏
連載コラム「猫の名言」
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