猫のオーラは天井画 – 連載コラム「猫の名言」




猫の名言
photo: Robert Anders

連載コラム「猫の名言」

日本初のプロ民族音楽演奏家でもあり、現在「福岡猫の会」で病気の保護猫たちの看病を続けられている若林忠宏氏による連載コラム。猫や人間に関する世界の名言を紹介しながら、猫たちとの生活のなかで筆者が体験したことや気づかされたことをつづります。(「猫の名言」TOPページはこちら
 



Vol. 23 「猫のオーラは天井画」

 
猫は、どんなに小さくても最高傑作である。

Leonardo da Vinci (レオナルド・ダ・ヴィンチ イタリアの芸術家 / 1452~1519)
 

 この「癒しツアー」さんのサイトでも、「史上最高の画家であり、人類史上最も多才な」と称されるダ・ヴィンチもまた、「愛猫家」として知られています。
 
 この表題の名言の真意を探るKey-Wordは、「小さい」と「最高傑作」がセットになっていることでしょうか。

 つまり、うがった見方で言いますと、ダ・ヴィンチ自身の、もしくは15世紀末~16世紀初頭当時の社会的価値観では、「大きさ=豪華さ=富みと権力の象徴」が優位にあったということと、「創造物」には、駄作から傑作に至るまでの、線引きが難しいけれど確かなる「善し悪し」「審美」が存在するというということが推測できるわけです。
 
 ダ・ヴィンチの作品と言えば、縦横数10センチの手頃なサイズから、縦横2メートル前後の巨大なもの。さらには、大聖堂や城の天井画や壁画まで様々です。が、作品のサイズもさることながら、当時の最先端の技法「明暗と陰影の技法」に加え、彼が水準を高め完成させたと言われる「遠近法」や「ぼかし技法」によって、さらに「奥行きと凝縮された世界観」を深め高めたことでも知られています。
 
 その一方で、人体図、解剖図や、動物、はたまた創造(想像?)の新発明機械などの「写真より精密か?」とさえ思わせるスケッチの緻密さは、今日の私たちでも息を飲む見事さがあることも言うまでもありません。
 
 つまり、彼自身が示した「大きさ=偉大さ=見事さ」には、単なる「派手、迫力」ではない何か。「虚勢や威圧」ではない「説得力や感銘」が強烈な結果の「存在感の大きさ」や「深み、重み、奥行き」といった、「後に残る感動」をよしとする想いが込められているのではないでしょうか。 

 このこととは、「癒しツアー」さんのダ・ヴィンチ名言集にも納められている次の言葉で裏付けられるように思います。

 「どこか遠くへ行きなさい。(そうすれば)(目の前の自分の)仕事が小さく見えて来て、もっと全体がよく眺められるようになります。不調和やアンバランスが、もっとよく見えて来ます」

 この言葉は、ダ・ヴィンチ自身が、創作の最中に、作品を遠くから眺めて吟味していた、ということだけを意味してはいない筈です。

 私の持論への、いささか「我田引水」的ではありますが……….。
ダ・ヴィンチの「全体を俯瞰する」に関する名言の真意は、このコラムで何度か申し上げている、私が猫から学んだ最も重要なことのひとつ。「樹に捕われず森を観ること」と通じるように思えてなりません。

 
 近代以降の人間の多くは、「合理的」をよしとし、「現実的」や「結果論」で物事の価値を判断しがちです。
 それが「当たり前」になっている感覚では、「樹を見て森を観ないのは駄目だ」と言われ「そうなのか」と思っても、手元足下を見ないようにして、森を「ぼーっ」と眺めるだけでは何も気づかないばかりか、足下でつまづいて転んでしまいかねません。もちろん、ダ・ヴィンチが言わんとしていることには到底及びません。

 逆に、その弊害を教訓にすることも含め「足下手元がおろそかになっては駄目だ」という考えも、ある意味説得力があると言えましょう。
 そのような考え方からすれば「樹に捕われず森を観ること」は、「現実や結果から逃避している。それでは単なる理想論。悪く言えば夢想家、馬鹿者だ」とさえ言えるかも知れません。

 このように、目の前のこと、自分のことで精一杯。必死で余裕が無い私たちにとって、「樹に捕われず森を観ること」は、言葉では分かりますが、具体的に実践するのはとても難しいように思えます。
 
 しかし、ダ・ヴィンチ自身が残した創作は、上記の名言と一見矛盾し相反するかのように、「緻密で正確」なのです。にも関わらず「全体を俯瞰して見ろ!」と言うのは何故なのか?

 それはおそらく、実際に「離れて見てみろ」とか、「全体=森を観ろ」ということよりも、「総てが関連している」、「細かな個々は、全体の一部品である」という「感覚」を常に忘れずにいるべきである、ということではないでしょうか?

 つまり、天才ダ・ヴィンチは、筆先ペン先ににじり寄って微細な精密画を描きながらも、「全体との調和やバランス」を感じながら創作(仕事)が出来る。
 が、私たちは、ついつい肝腎なそれ(森を感じること)を忘れてしまう。そんな私たち向けに表題の言葉が発せられたに違いありません。

 私はこのことも、以前お話致しました「猫の道行き」によって、猫に気づき教えられたのです。

 「猫は道に迷うことがない」

 何故か? 

 そもそも猫は、「道」をさほど頼りもせず、信頼もそこそこで、執着、固執などは絶対にしない。その代わり「地理」を把握しているのです。

 だから、犬や猫嫌いの人間に攻撃されるなどの緊急事態に於いても、迷うこと無く初めて走る退路をまっしぐらに逃げることが出来る。

 しかし、日常的に、半径200メートルとも言われるテリトリーの「総て」を探索して理解しているわけではない筈です。実際の野良にそんな余裕はありません。
 が、確かに「感じている」という形で「把握している」には違いありません。

 ダ・ヴィンチが残した言葉の「調和とバランス」は、そのことを意味していると考えられます。

 ダ・ヴィンチの眼にもまた、「小さいなりをして、一日のほとんどをお気に入りの場所で昼寝している猫」は、決して、広大な森を常に駆け回っているように見えた筈はないどころか、むしろこじんまりとした小さなスペースの、言わば「井の中の蛙」のようでさえあったことでしょう。
 
 しかし、猫の「物事に何時迄も執着しない」かと思えば、一時見せる「もの凄い集中力」とその切り替えの技は、常に「全体を感じ」つつ、その時々に必要なことを聡明に判断出来る才能であり、ダ・ヴィンチも大いに学び模範としたのではないか、とさえ思えます。

  つまり、表題の「最高傑作」の言葉の意図は、造詣物・存在としての美しさというよりも、猫の「心持ち」に対する感銘と評価にあるのではないでしょうか。

 
 最後までお読みくださってありがとうございます。

 
 民族音楽演奏家/福岡猫の会代表: 若林忠宏


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著者紹介(若林忠宏氏)

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