エレノア・ルーズベルトの名言・格言




エレノア・ルーズベルトの名言・格言


エレノア・ルーズベルト(1884年~1962年)

米国の第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人、国連代表、婦人運動家、文筆家。

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1884年、ニューヨーク市に生まれる。エレノアは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪に当たる。両親とも名門出身で裕福であったが、父はアルコール中毒、母は冷酷な人であった。両親とは早くに死別したため、祖母に養育される。

その後、英国に渡り女学校に入学。先生はフェミニストとしても有名な人物であり、進歩的な考えに大きな影響を受けた。帰国後、貧しい移民の子どものための学校で働き、初めて貧困の現状を目の当たりにする。この体験が生涯人権のために働く原動力となった。

1905年、父親のいとこに当たるフランクリン・ルーズベルトと結婚。五男一女の子供をもうける。1910年、夫フランクリンが州上院に出馬し、当選。夫の政界入りに伴い、エレノアも州民主党婦人部長を務め、家庭の外で活躍を始めた。

1933年、夫フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任。フランクリンが三選された12年間、エレノアは夫の政策に対して大きな影響を与える。ルーズベルト政権の女性やマイノリティに関する進歩的政策のほとんどが、エレノアの発案によるものであった。エレノアは、第二次世界大戦中の日系アメリカ人強制収容にも反対していた。

1945年、夫フランクリンが死去。エレノアは静かな余生を送るつもりだったが、トルーマン大統領の要請で国際連合の第一回総会代表団の一員に任命される。ロンドン総会で人権委員会の委員長に選出されると、エレノアは世界人権宣言の起草に着手し、1948年の国連総会で採択された。

1952年まで米国の国連代表をつとめ、退任後は人権擁護の象徴的存在として、世界の女性の地位向上などに大きく貢献した。

Wikipedia(日本語版) / Wikipedia(英語版)


 

エレノア・ルーズベルトの名言・格言集




エレノア・ルーズベルトの名言(1)


名言・格言

 

あなたの心が正しいと思うことをしなさい。

どっちにしたって批判されるのだから。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

未来は美しい夢を

信じる人のためにあります。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

人生は生きることが大事なのです。

いつも好奇心を持ち続けることです。

どんな理由があっても

決して人生に背を向けてはいけません。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

どんな関係においても大切なことは、

何を受け取ったかではなく、

何を与えたかです。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

自分にはできないかも知れないという

恐れに真正面から立ち向かうたびに、

あなたは強さと自信と経験を勝ち取るのです。

だから、できないと思うことに

挑戦してごらんなさい。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

女はティーバックみたいなもの。

熱湯につけられてはじめて、

その強さに気づくのです。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

若くて美しいことは、

自然のいたずら。

年をとっても美しいことは芸術です。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

どこに行っても

逃げて歩いていたなら、

自信は失われるばかりです。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

自分自身に負けない限り、

それは敗北ではないのです。

 

- エレノア・ルーズベルト -


名言・格言

 

人の生き方を一番よく表すのは、

言葉ではありません。

それは、その人の選択なのです。

わたしたちの選択とは、つまるところ、

わたしたちの責任なのです。

 

- エレノア・ルーズベルト -



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